ひとりぼっちの少女たちと、ふたりぼっちの世界から

神凪

独りよがりのわがまま

1.理想の日々へようこそ

 学校に行って、授業を受けて、家に帰って妹と夕飯を食べる。そんななんでもない日々。そんな日々にでも俺、明石優希あかしゆきはそんな日々にある程度満足していた。


「お兄ちゃん朝! ごめんちょっと早いけど起きて! わたしもう出る!」

「起きてる。知ってる、今日早いんだろ。わかってるよ」

「んうぇ、あ、そか。わたしの予定、把握してくれてたんだ」


 妹――ともりに起こされて、俺は身体を起こす。今日は早いから、起こしには来ないと思っていたけど、朝から少し嬉しそうに笑う妹の顔が見れてよかった。

 茶髪を右側でくくって、燈の方はもうお仕事モードだった。今日もサイドアップはよく似合っている。


「えと、朝ごはんはフレンチトースト。ちょっとチンして食べてね。お弁当はテーブルの上!」

「飯くらい自分で準備するのに」

「そうやってお兄ちゃんに全部やらせてしまうのが嫌なので。じゃあ、行ってくるね」

「ああ、いってらっしゃい」


 燈は俺のひとつ下の妹だ。だけど、俺なんかよりもずっとしっかりしている。

 燈は元子役の現役アイドルだ。結成四年目にして動画再生アプリに投稿された一番人気の楽曲の再生数が五億を超えた二人組ユニット『スーパースター☆マイン』の一人、明石友梨あかしともりとしていつも笑っている。それだけでなく、女優や声優としても今は名が売れている。そのうえで俺に家事を全てやらせまいと、俺が寝ている間や買い物に行っている間にやれることは全て終わらせてしまう、あまりにハイスペックすぎる妹だ。つか、俺がやってること少ない。

 そんな妹が誇らしくて、同時に少し自分が情けない。


「さてと……」


 せっかく燈に起こしてもらったので、朝食を取ることにした。リビングに行くとこんがりと美味しそうな焼き目のついたフレンチトーストが置いてあった。『冷蔵庫にバニラアイスがあるよ!』とメモ書きが残されていたので、それを乗せて食べることにした。

 柔らかくて、口に入れると溶けるという表現が咄嗟に思い浮かぶ。お礼にはならないかもしれないが、夕飯は少し早めに帰ってきてなにか燈の好きなものを作ってあげようか。


「あ、紅葉もみじ。朝ご飯の時間だぞ」


 犬に朝食を与えながら、身支度を始める。服を着替えると同時に、気持ちを切り替える。俺は人と話すのが好きではない。というか、はっきり言えば嫌いだ。特に、どこからか俺と燈が兄妹だと知った奴と話すのは嫌いだ。

 だから、俺にとって気持ちの切り替えは重要なことなのだ。


「っし、行くか」


 少し早いが、真面目な印象を与えておくのも大切だと最近になって思い知った。別にそれほど真面目ではないからそういう奴だと思われて絡まれたら少し厄介だが、少なくとも真面目を装っておけば面倒な輩に絡まれることは少なくなった。

 俺の家から徒歩十分程度。駅とは反対側にあるので、近所に住んでいる生徒以外とすれ違うことはない。いつも平和で静かな登下校で助かっている。

 閑散とした道を抜けると、すぐに校舎が見えてきた。校門には『箱林学園はこばやしがくえん』の文字。その傍で見慣れた、どころかもう見飽きた先生がにこやかな笑顔で挨拶をしていた。


「ん……おはよう、優希!」

「なんしてんすか楓さん」


 彼女は三輪野楓みわのかえでさん。数学の教員で俺の担任であり、俺と燈の親戚だ。いろいろと世話になっているし、俺と燈がこの学校に通っているのも楓さんがいるからだ。


「今日は燈来るかなって。その様子だと今日も来れないんだ」

「まあ。忙しいみたいで」

「仕方ないし、なんも言わないけど。燈、勉強大丈夫?」

「要領は良すぎるくらいなんで全然大丈夫っすね」

「そっか。なら大丈夫か。優希もついてるわけだし」


 うんうんと頷いて、楓さんは俺の頭に手を置いた。周りに人がいないから良いものの、そうやっていつまでも小さい頃と同じ対応をされると少し恥ずかしい。

 本当に俺を待つためだけに校門に立っていたらしく、楓さんはにこにこ笑顔を浮かべながら俺の後ろを着いてきた。この人教室まで着いてくるつもりだろ。いや担任だから普通だけど。


「つか、そんな早くから立ってなくてもLINK飛ばしてくれたら良かったのに」


 無料通話アプリ、LINK。最近ではいろんなSNSでやりとりをすることが増えているらしいが、多くの人がこのアプリでやりとりをしている。メッセージを送ることもできるので便利だ。


「いいじゃん。朝から楓さんに会えてよかったでしょ」

「あーはいはい」

「相手して?」


 無視して歩くと拗ねたような顔のまま着いてきた。やっぱり教室まで着いてくるつもりだ。楓さんは燈を除けば気兼ねなく話せる数少ない人なので、別に鬱陶しいとかいうわけではないから良いけど。


「にしても、優希は真面目だねぇほんと」

「急になんすか」

「真面目に勉強して、偉い。高一のときもちゃーんと学年トップだったし」

「別に。それくらいはしないと燈に申し訳ないだけです」

「そうかぁ、そうかそうかぁ。妹のために頑張れるのは、あたしは偉いと思うぞぉ」

「はぁ……」


 楓さんはとことんまで俺と燈に甘い。昔はそれが嬉しかったしありがたかったけれど、今となってはもうちょっとだけ厳しく接してほしいな、とも思ってしまう。でも、楽しそうに俺の当たり前のことを褒める楓さんを見てるとそんなことはとても言い出せなかったし、どうでもよくなった。

 教室に着くと楓さんは手を振ってどこかへ行ってしまった。ほんとに何しに着いてきたんだあの人。

 久しぶりに早く登校したからまだ誰もいない教室。人と話すのが好きではない俺にとってはありがたい。どうせすぐに陽キャたちはやって来るけど。


「……汚ぇ……」


 掃除の後に散らかしやがって。その度に楓さんが悲しそうな顔して片付けているんだぞ、いい加減にしやがれほんと。そんなことはとても俺には言えないから、今日は楓さんの代わりに俺が片付けておくことにした。

 そういえば、一度だけグループのリーダーみたいなやつに話しかけられたときも、真面目に掃除してる俺に「掃除好きなの?」みたいなことを馬鹿にしたような顔で言ってきたっけ。

 そんなことはどうでも良くて。とりあえず食べ物のとかはさっさと片付けてしまいたいので、その辺から片付けてしまうことにした。そんなことを考えて掃除用具の入ったロッカーを開けた瞬間に、教室のドアが開いた。


「……あれ!?」


 驚いたような声。そのわかりやすい反応と声は、クラスの中心の陽キャのそれだった。金髪を一つ結びにして、いつもにこにこ笑っている。

 神戸栞凪かんべかんな。ひねくれた考え方しかできない俺でも、神戸のことはかわいいなと思う。男子で神戸のことを狙っている人も少なくはないらしい。

 それと同時に、実は中学も同じで高一のときも同じクラスだった俺から見れば、苦労しているなぁとも思う。


「あ、あー! ごめん! うあー、ごめんだぁ……明石くんめっちゃ嫌だったよね。真面目だもんね。こういうのすっごく嫌だったよねごめん!」

「えっ。いや、別に」


 まさか謝られると思っていなかった。そもそも、彼女が謝る必要なんてないことはわかっている。神戸だけは、散らかしたりしているのをいつも焦っているような顔で見ているから。

 他の女子が散らかしている中、神戸だけはこっそり大きめのゴミは回収しているのを知っている。だから、俺も別に神戸にだけはなにも思うことはない。ずっとそういう、損な役回りばかりしている。この前だって、神戸の友人の一人が俺に思いっきり鞄をぶつけたのに「やめなよー」とちょっとつらそうに笑っていた。そういうのが本当は苦手なんだろう。


「あ、掃除、代わるね! ごめんごめん」

「いや、俺もやるよ。二人でやった方が早いし」

「えっ、えっ、えっ。えっ、やさしー! うん、うん! ありがとー!」


 いちいちリアクションが大きい子だな。所構わずうるさい連中は大嫌いだが、こういう素直な反応はとても嫌いとは思えない。むしろかわいらしいとすら思う。


「えと、じゃあ明石くんはほうきでゴミ集めてくれる? わたしはぞうきんで汚いところ拭いていくから」

「あー……俺がそっちやった方がよくないか?」


 ほうきなら直接手が汚れることもない。けど、雑巾はもう何度も使い回しているものを使うわけだし、そもそも雑巾臭いし。陽キャ女子はいつもなんとかして雑巾に触らない役をしようとしている。いやそもそも掃除なんかしてないなあいつら。


「なんで?」


 あ、伝わんなかったかー。つか全然気にしてなかったかー、そういう子かー。普通にいい子だ神戸。


「いや、その。雑巾汚いし……」

「……えっ、えっ。えっ、わたしの手が汚くなるから、ってこと?」

「はい……そうです……」

「えーっ! やさしー! えっ、えっいいの? 明石くんの手が汚くなるなぁって思ったんだけど……」

「神戸はこのあと友達と話したりするだろ。俺、友達いないから大丈夫」


 触れてはいけないことだと思ったのか、神戸は申し訳なさそうに目を伏せた。

 俺は友達を求めていない。別に『一人の俺かっけー!』とか思っているわけでなく、単純に空気を読むという行動に疲れてしまっただけなのだ。だから、今みたいに最低限の会話くらいはできるし、必要ならば会話くらいする。コミュニケーションが上手ではないけれど、できないわけではない。

 でも、だからといって仲の良い人を作りたいかと言われたらそんなことはない。お互いのことを知ろうとしつつも相手の嫌がるラインには決して踏み込まないで、それでも話を聞いてほしいときや聞いてほしいことを話してくれる相手の人ならいいが、それは俺の知る限りたった一人、妹だけだ。次点で周りのことを見て適したやり取りをしながらも自分の話したいことを話してくれる人も好感が持てるが、それも俺の知り合いには二人しかいない。そして、どちらも結局は俺のわがままだ。

 そうやって自分から『仲良くなりたい相手』を消していった結果が今だ。だから、俺のわがままが成立している今が俺にとっては今が理想なのだ。でも、そんなことを神戸に話すのも恥ずかしいので友達のいないかわいそうな奴ということにしておくことにした。


「えっ、と! 明石くん、LINKしてる!?」

「気遣わないで?」

「えっ、えーっ、でもぉ……」

「じゃあ、神戸が俺と仲良くなりたいと思ったときに聞いて。俺も神戸と仲良くなりたいと思ったら聞く」

「あ……うん! わかった!」


 卑屈なことを言った自覚はある。それなのに、神戸は笑って何度も頷いてくれた。おそらくそのときは来ないだろうし、なんならこの先神戸と話すことがあるかもわからないけど。

 それから他のクラスメイトが来るまでに掃除を終えた俺たちは、話すこともなくお互いの生活に戻っていった。

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