21.先生の先生

「ふわぁ……」

「かんべせんぱい……がんばって……」

「二人とも帰りなよ。半分寝てるって」

「大丈夫! カエデせんせー来るんだもん!」


 そう言った神戸は五分後、俺にもたれかかってきた。ふわりと神戸のいい匂いがして咄嗟に身を引きそうになって、でも肩に神戸の頭を乗せてしまっているので動くことができなかった。


「お、に、い?」

「これはどうしろと?」


 神戸を無理矢理動かそうとはさすがの燈できないらしく、静かに寝息を立て始めた神戸にただ不服そうな顔を向けるだけだった。不満げな顔をしていたかと思えば、いつものように笑ってブランケットを持ってきた。


「なんて、冗談だよ。なんなら亜鳥も優希にもたれかかってもいいと思うよ。ね?」

「おい」

「ふぇ……じゃあ……」

「なっ……ちょっ、亜鳥……!?」


 もたれかかって、と燈が言っていたにもかかわらず星島さんは俺の膝を枕にして、あっという間に小さな寝息を立て始めた。


「……………………」

「燈さん?」

「いいご身分だね、お兄ちゃん」

「星島さんに関してはお前が悪いだろ……」

「はぁ……部屋から亜鳥の毛布持ってくる。足痺れたら言って、代わるから」

「えっ。俺このまま?」


 俺にもたれかかっている神戸と、足を枕にしている星島さん。二人を無碍に扱うわけにはいかないので動くことができない。


「……そう。その二人は、君にとってそれほど大切な存在なんだ」

「夏葉?」

「なんでも。ううん、なんでもないことはない。ただ、いつまでもそういう立ち位置は、わたしと燈の特等席なんだって勝手に思っていたから。少しだけ、ほんの少しだけ思うところがあって」


 そういえば、昔はこうしてよく団子になって寝ていた。燈は今でもこうして引っ付いてくるけど、さすがに夏葉はそんなことはしないだろうと思っていた。だけど、夏葉にとってもこういうことは思い出らしい。

 そうやって言ってくれるのは嬉しいが、クラスメイトと後輩にこうして引っ付かれるとどうすればいいのかわからないというのが本音だ。もう少し警戒心を持ってほしいというか、年頃の女の子である自覚を持ってほしいというか。


「わたしがそうやって寝転んだら、君は怒る?」

「いや別に怒りはしないけど」

「……そう、なんだ?」

「別にお兄ちゃん、二人に怒ってるわけじゃないもんね。はい毛布」


 俺の足に寝転んでいる星島さんに毛布をかけて、燈は黙ってキッチンに向かった。楓さんのためになにか作ってあげるのだろう。やっぱり考えることは同じだ。

 しばらくするとインターホンが鳴った。何も言っていないが夏葉はこくりと頷いて玄関の方に歩いていった。


「遅くなってごめんみん……な……」

「……すません、疲れちゃったみたいで」


 遊び疲れて眠る二人を見て、それから俺の顔を見てにやっと口元を歪めた楓さんは、そのまま当たり前のようにソファーに座った。


「で、どっちが好きなの?」

「うるせぇ、はっ倒すぞ。すぐそういう話に持っていくな」

「あ、でも夏葉も入れて三人か。おいおいー」

「もう帰る?」


 なかなか見せないとびきりの笑顔の夏葉に、さすがの楓さんも冗談をやめてくれた。別にこういう冗談を言われるのは初めてじゃないし夏葉が相手なら長い付き合いだから軽く流すだけで済むのだが、神戸と星島さんだと申し訳ないという気持ちが強くなってしまう。


「どぞ、夕飯です。ほんとはお兄ちゃんが作ろうとしてたんですけど、あの状態ですので」

「言ってない」

「でも、作ってあげようとはしてたじゃん」


 お兄ちゃんのことならなんでもわかります、という顔で燈は言った。その通りだけどわざわざ楓さんの前で言う必要はないだろ。


「ほんっとに二人とも……大好き!」

「はいはい」


 頬を擦り寄せている楓さんを雑にあしらいながら、燈は楓さんの分の夕飯をテーブルに並べた。

 そんなやり取りが少しうるさかったのか俺の足がお気に召さなかったのかはわからないが、太ももの上で星島さんがもぞもぞと動いた。


「そもそも、二人ともなんでそんなになるまでここに?」

「楓さんを待つって聞かなくて。だから楓さん来たし起こしてやろうと思うんですけど……」

「そんな寝顔されたら起こせないよね。にしても、あたしがかぁ……そっか」


 それが楓さんにとってどれだけ嬉しい言葉だったのかはわからない。俺からすれば楓さんはいて当たり前の人だ。だからこうやって楓さんを待ったりすることもない。事前に来ると言わずに来ることすらある。

 でも、神戸や星島さんにとっては楓さんは頼れる先生なのだろう。その意味が、楓さんにとってはとても大きなものになるらしい。


「でも、今は優希がいるね」

「ん? どういうことっすか」

「あたしはみんなの先生だからさ。二人には、優希って特別な先生がいる。あたしはみんなにとって頼れる先生でいなきゃいけないけど、燈と夏葉も含めて、この子たちにとっては優希はこの子たちだけの頼れる先生だから」


 頼れるかどうかはわからないが、俺はこの四人以外の先生になることはないだろう。また楓さんから頼まれたら別だが、楓さんが俺にその手のことを何度も頼んでくるとも思えない。

 その立ち位置は、俺にとっても少し特別なものな気がする。


「ん、おいしー! やっぱ燈ご飯作んの上手だね。いいお嫁さんになる」

「わたし、嫁に行くつもりはないんですけどねぇ。ありがとうございます」


 そう言いながら燈は俺の斜め後ろに座って、そっと神戸の身体を自分の方に倒した。燈の足を枕にする形になった神戸は、さっきまでより少し和やかな表情になった。ごめん、寝苦しくさせて。推しの膝枕で眠ってると知ったら神戸はどんな反応をするのだろうか。


「こうやって、ずっとお兄ちゃんの助けができたらそれで満足です」

「そっか。あたし、今二人の育て方間違えてなくてよかったって思ってる」

「えぇ? お兄ちゃんのお嫁さんになるって言ってるようなもんですよこれ。間違ってますよ」


 うん、そう言ってるなら間違ってるね。でも、俺も燈がこうやって素直に育ってくれたことが嬉しい。

 それからも楓さんは俺と燈、夏葉の成長を喜んでくれた。とんでもなく甘い保護者だけど、楽しそうに話す楓さんに文句を言う人はいなかった。


「よっし! 久しぶりに三人とゆっくり話せたし帰るかな。栞凪、亜鳥、帰るよー」

「んぇ……えっ、燈ちゃん!?」

「せせせせ先輩!? ひっ、あの、すみません!」

「いいよ別に」


 至近距離の燈に驚く神戸と、飛び上がって何度も謝る星島さん。楓さんが送ってくれるらしく、まだ少し頭が回っていない様子の二人の腕を引いて玄関へ歩いていった。


「せ、先輩……その、寝顔、とか、その。忘れてくださいぃぃ……」

「善処はするよ」


 燈に負けないくらいにかわいい寝顔だったのでそれは少し難しいかもしれない。神戸の寝顔は見えていないのでセーフということにさせてほしい。


「また遊びに来るね」

「勝手にしてください」

「わたしも来る!」

「燈がいるときならいつでも」


 温度差のある対応に神戸と星島さんは楽しそうに笑って、楓さんの車に乗った。楓さんは「優しくしてよー」と言いながら、それでもどこか嬉しそうにしていた。

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