K8.隣にいるのは
「そんな怒らなくてもよくなーい……?」
「…………」
「だ、だってせっかく一緒に来たんだし……」
一時間ほど、数回のリテイクを終えてひとまず動画を撮影し終えた俺たちは、海の家でちょっと喧嘩していた。というか、俺が怒っているふりをしていた。実際には全然、神戸が相手なので怒ってないけど、ちゃんと撮影しようと思っていただけに驚いたのは本当だ。どちらかというと若干呆れている。
「許してよぉ……遊ぼーよ……」
「……ごめん、怒ってないよ。でも、ちゃんと撮影しなきゃいけないときにふざけちゃ駄目。大事な案件なんだろ?」
「別にふざけたわけじゃないよ? ユキせんせーに動画撮ってもらってるのはホントだし、ちょっとだけでも紹介したいなーって。でも、顔出すの嫌だろうなーって思って……その。ほんとにごめんなさい。さすがになんか言っとくべきだったと思ってる」
そういうことだったのか。いや、だとしてもちゃんと事前に言っておいてくれたらなにかまともなことを言えたかもしれないのに。神戸のスマホに残っているのは水鉄砲によってダメージを受けている俺の声だけだ。待って、これ公開するつもりだったの?
「それにね、わたし友達いないーって何回か愚痴ってて。こんな感じだから嘘だーって言う人もやっぱいたんだけど、ちゃんと相談乗ってくれる人もいてさ。だから、友達できたぞーって報告したくて」
「……そう言われたら何も言えないだろ」
いろいろと心配なことはあるけど、神戸がそう言うなら俺に文句は言えない。手段はどうあれ、手伝った俺のことをリスナーにも紹介したかったという気持ちだけは伝わってしまった。その気持ちをわかったうえで咎めることは、俺にはできそうもない。
小さくため息をついた俺が怒っていると思ったのか、神戸は俯き気味のまま視線をさまよわせていた。
「怒ってないから。でも、次からはちゃんと事前に言うこと。今回のは……まあ、さすがにナシで」
「えっ……次も手伝ってくれるの?」
「まあ、神戸が手伝ってほしいって言うときは」
そのくらいの手伝いはしたい。もちろん神戸が作ってきた場所を壊すつもりはないし、俺の手助けなんてなくても神戸が十分シオリとしてやっていけることは知っているつもりだ。だから、これは今の俺のわがまま。
そんな言葉を聞いた神戸は戸惑ったような顔で俺のことを見ていた。
「……そゆとこ、ほんと、ずるいよ」
「なにが?」
「なんでもない! ありがと! あ、あのさ。まだ撮ってないところでちょっと、手とかだけでも出してくれない……?」
「いいよ。ただ、顔は出さないから」
「うん、うんっ! ありがとっ!」
本当に素直な子だと思う。今神戸が向けてくれている好意が素直に嬉しい。いつかこの好意が友人や家族に向けるそれじゃなく恋情になる相手ができたらいいなと思う。
もしかしたら、その相手を見ると嫉妬してしまうかもしれないけど。
「……あ」
「ど、どうかした……?」
「あー、いや。ちょっとトイレ」
「わかった! 待ってるね!」
本当はトイレなんて行かない。ただ、何度か見た神戸の友人たちがこちらに向かっているのが見えたから離れただけだ。せっかく神戸が良好な関係を築いているのだから、それを邪魔だけはしたくない。
「あれ、カンナじゃーん」
「あ……み、みんなも来てたんだー!」
神戸に声を掛けたのはいつも神戸とよく話している二人だった。見た感じ二人で来ているというわけでもなさそうだったので、他にも何人か一緒に来ているのだろう。
「なにさー、予定あるとか言ってたからアタシも誘わなかったのにさー」
「ご、ごめーん! 他の友達と来てて……」
「はー? アタシらよりその友達の方が大事? そんなんなくない?」
「ち、がくてー……」
誰もそんなこと言ってないのに、本当に面倒な連中だ。なんだかんだで今までは割って入ったりしていたけど、ここではそれもできない。今回は自分で乗り切ってもらうしかない。
「こういうのされたら萎えるんだけど」
「ごめん……」
「まあま、二人ともあんま気にすんなし」
「ツムギはカンナに甘すぎじゃん?」
「次の週末遊び行こ? それじゃダメ……?」
「はぁ? なんでカンナがじょーほしてる感じ? あーもういい。行こ」
なんだそれ。神戸に声をかけるだけかけてどこかへ行ったクラスメイトたちの背にため息をつきながら、俺は神戸が俯いている席に戻る。
なんて声をかけたら良いのかもわからなくて、気にしない方がいいという気持ちを込めてとりあえず頭を撫でてみた。俺、相当きもいな。
「……あっ! おかえりユキせんせー!」
「無理しなくていいよ、見てたから」
「……あー……ごめん」
一瞬空元気を見せかけた神戸は、スマホに描かれた二人のサインを撫でながら寂しそうに笑った。
「なんか、わかんなくなっちった」
何がだろう。どれについてか、心当たりが多すぎて俺にはわからない。自分がどうすれば楽しいかがわからないのか、友人と海に来ただけで責められたことへの不安か。あるいは、彼女たちと付き合うこと自体か。
俺にとってはどれもどうだっていい。燈さえいればそれでよかった。そこに夏葉と楓さんがいることで、俺にとっては楽しい日常だった。誰に咎められることもない、閉鎖的な日常。それでよかった。
「諦めてもいいんだよ」
「えっ?」
「神戸には燈も夏葉も、星島さんもいる。クラスには綾川だっているし、楓さんも神戸のことは娘みたいにかわいがってるし。あと、あー、まあ。俺も、いるわけだし」
どういうわけか、今はその閉鎖的だった俺の空間は広がってしまった。閉じられていたはずのコミュニティは、いつの間にか俺だけのものではなくなっていた。
最初は少しだけ手を貸してやれればそれでいいと思っていた。結局俺の手助けなんて気休めにもならない、ただの自己満足にすぎないとわかっていたから。でも、今はそうやって投げることができそうもない。
けれど、それでも上手くいかないことはある。それならば、俺が守ってやればいい。
「神戸は一人じゃないよ」
そう伝えてあげることしか今できることはない。でも、それが神戸にとって支えになればいいと思う。
「……ユキせんせー。ちょっと今泣きそ」
「いいよ」
「ぎゅーってしてー?」
「……ん」
軟弱な身体でも、いつの間にか当たり前になった笑顔を――俺にとって大切になった神戸のことを抱きしめることくらいは、してやれるらしい。
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