K7.二人だけの思い出

「あれ。お兄ちゃんお出かけ?」

「まあ、ちょっと」

「ふーん。気をつけてね。わたしは午後から遅くまでお仕事だから、今日は夕飯の準備はしなくていいよ。今度ソロの子と一緒になるんだけど、その打ち合わせで。夕飯もどっかで一緒に食べてくるから」

「わかった」


 それなら、神戸の気が済むまで付き合ってあげようか。意外とすぐに帰ろうと言い出すかもしれないけど。そうなったらちょっと寂しいな。


「なんか結構荷物多いね。誰かと遊びに行くの?」

「うん。神戸と」

「……ふぅーん? へぇー?」

「なんだよ」

「どこ行くのどこ行くの」

「……海」

「はぁ!? えっ、二人で? マジ!?」

「俺が言い出したんじゃないから」


 そういえば言ってなかった。燈は信じられないものを見るような目で俺の事を見ていた。だから俺が言い出したんじゃないって。


「まあ、うん。楽しんできてね。後でお話聞かせてよ」

「燈も今度行こうな」

「今年は無理かなぁ。でも行こうね、みんなで。いってらっしゃい、お兄ちゃん」


 来年も神戸は俺の近くにいてくれるだろうか。身勝手なところに失望されないといいな、と思いながら家を出た。

 せっかくだから数日前に小説を買った。神戸にもらった栞を挟んでいるのは本の真ん中くらい。小難しい言い回しが多いタイプのミステリー小説を読んで電車の時間を潰す。今のところはそこそこ面白いけど、これは神戸や星島さんに感想を教えたりしても楽しい話題にはならなそうだ。次は二人とも話せそうなものにしてみようか。

 夏休みだからか、歳の近い人が多く見える。電車内だというのに少し騒がしい。人と話すことには少し慣れてきたけど、やっぱりうるさいのはそんなに好きじゃない。


「ユキせんせー、おはよー」

「……びっくりした。おはよう」


 扉にもたれかかっていた俺の隣にやってきてそう声をかけてきてのは神戸だった。いつも通りにこにこ楽しそうにしているが、それ以上は話そうとはしなかった。

 電車に揺られて目的地に着くのを待つ。せっかく神戸が来てくれたので、本は鞄の中にしまった。ちらっと神戸の方を見ると、神戸もこっちを見ていたようで目が合った。恥ずかしそうにしながらもかわいく明るい笑顔を浮かべてくれる。

 しばらくして駅に着いた俺たちは、少し混みあっていた車内から一斉に出て行く人たちに流されるようにして電車を降りた。


「電車で合流しちゃったね!」

「まあこういうのもいいだろ」

「だね。じゃあ、行こっか」


 さっき降りた人たちも俺たちと同じ海水浴場に向かうらしく、人の流れと俺たちの歩く方向は同じだ。どこか浮ついた雰囲気の中、神戸は特に浮かれた表情をしている。


「付き合ってくれてありがと」

「別に。時間があればいつでも付き合うから」

「言ったなー?」


 基本的にバイトさえなければいつでも暇なんだ、神戸相手ならいつでも付き合う。神戸も言いたいことはわかってくれたようで、また誘う予定を考えながら笑っていた。神戸はいつも楽しそうに笑っている。

 とりあえず着替えてこようということで一旦別れた。別れた、と言ってもずっと神戸からのLINKは止まないので一緒にいるのと大して変わらない。

 さっさと着替えて人の少ないところで神戸を待つ。ちょっとだけ筋トレをしてみたけど、やっぱり成果はそんなに出なかった。


「ゆーきせーんせ! お待たせー!」

「ん、ああ……おお」

「おおって。なーにー? なんか感想とかないの?」

「かわいい」

「ストレートに言われると照れるなーもー」


 ちょっとだけ顔が赤い。派手でも地味でもなく、無難な感じの水着だけど、神戸はしっかり着こなしている。それでも、この水着では神戸の魅力を表現するにはまだまだ足りないと思えてしまうくらいに神戸は綺麗だ。


「なんか、うん」

「なーに?」

「いや……やっぱり神戸にはもっといい水着ありそうだなって」


 俺の言葉を聞いた神戸はぽかんとしてしまった。まずい、こういうときは褒めて終わっておけばよかったかもしれない。燈や夏葉以外を褒めることがなさすぎて、どう褒めたらいいのかもわからない。

 でも、神戸は次の瞬間には笑ってくれた。


「じゃあ、来年も一緒に買いに行こっ!」

「……考えとく」


 素直に答えない俺の返答に、神戸は何度も頷いた。察しも良くて優しくて、そんな神戸がどうして居場所に悩まないといけないのか俺にはわからない。

 とりあえず海に来たということで、パラソルを借りることにした。


「どーする? 先に撮影ちょっとしとく?」

「思ったんだけど、撮影って勝手にしていいの?」

「あー……実は、撮るのPR動画なんだよね! だから、先に撮っていい場所空けてくれてて」

「……マジ?」

「ごめん! ほんとごめん! はよ言えーって思うよね! ごめーん!」

「いやいいけど」


 そういうことなら撮影の手が欲しかったというのも本当なのかもしれない。そういえば神戸はよくこの辺りの店の動画も出している気がするから、PR依頼が来てもおかしくない……のかもしれない。というかすごいな。


「わたしのスマホで撮るんだけど。向こうの方でなんかイベントスペース? みたいなのがあって、今日はそこも使えるからとりあえずそこから撮ろうかなーって。後は海の家とか、その辺りでお話聞いたり。遊んでからだと日が暮れてるかもだし、先撮ってい?」

「いいよ。俺がスマホ持ってたらいいんだよな」

「うん。あ、リアクションは素直によろしく!」

「は?」


 神戸は防水ポシェットからスマホを取り出すと、撮影画面にして俺に手渡した。きらきらのラメが貼り付けられていて、表面には燈と夏葉のサインが見える。水に濡れたら消えてしまうかもしれない。


「俺ので撮ろうか?」

「えっ? ……あー、ううん。大丈夫! また描いてくれるって言ってたから」

「そっか」


 神戸がいいと言うならそのまま撮らせてもらおう。

 人が少ない場所に着いた。普段はなにかイベントをしているのだろう、真っ白な看板に『本日立ち入り禁止』と書いた張り紙が貼られていた。

 神戸が手で大きく丸を作ってくれたので、スマホを向ける。録画開始のボタンを押して、俺も手で丸を作って見せた。


「おはよ! なんか最近動画多いね、シオリだよ!」


 いつも通りの挨拶から始まった。おはようという時間なのかは微妙なところだけど、神戸の動画はたとえ夜でもおはよう、だ。二年前は朝から配信していることが多かったから、それが理由だと思う。


「今日はここのビーチを紹介していくね! 一人で撮影って大変だから、友達に手伝ってもらってまーす!」


 そう言いながら神戸は小さい水鉄砲を俺に向けた。ちょっと待ってさっきまでそんなの持ってた?


「っ、ちょっ……わ、ぷっ……」

「……ふふっ、あっははっ!」


 なんとかスマホは落とさなかった。そんなひやひやしてる俺に対して、神戸は『素直なリアクション』を取った俺をめちゃくちゃ笑っていた。

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