17.現実は残酷で

 中間試験が終わった。星島さんも試験期間中はなんとか学校に来ていたようで最初は少し注目されたらしいが、燈のおかげでそれも二日で落ち着いたらしい。その間に夏葉が転校してきたことで騒がしかったうちのクラスも少し静かになった。


「ほとんど負けた……」

「いや待て。なんで俺お前に数学負けてんの」

「優希が唯一教えてくれた科目だけど」

「そうだった……」


 テスト明けでクラスメイトはあまり夏葉に注目もしていなかったので、階段からは一緒に来た。とりあえず心配のない夏葉の成績を見て安心しておこうと思ったのだが、安心を通り越してしまった。

 久しぶりに一位以外の文字を見た。もう二度と夏葉に勉強を教えない。良い成績を取るのは燈に顔向けできないからという自己満足でしかないが、それはそれとして転校してきたばかりでしかも勉強をする時間もない夏葉に負けたのはかなり悔しい。

 そうして俺が屈辱に耐え忍んでいる中、夏葉も悲しそうな顔をしていた。


「でも、それ以外はズタボロ」

「ズタボロではないだろ。全部それなりに良い点数だぞ」

「優希に比べたらまだまだ。優希に教えてもらったのに」

「いやよくやっただろ。お疲れ様」

「えっ。う、ん? ありがと?」


 しかし、なかなか悔しい。それも夏葉の言い分では俺が教えたから点数が良くなったとのことなので、なお悔しい。次は負けられない。


「あ、優希。夏葉も。早いなぁ」


 「また話しかけられて遅くなっちゃった」と笑いながら入ってきた燈は、数秒してから申し訳なさそうな顔をした。というか、その顔を隠すために無理やり笑っているようにしか見えなかった。


「ごめん優希ぃ……全部ぴったり平均点十点上……」

「いいんだよ平均点でも。燈はよく頑張ってる。よくやってるよ。つか逆にすごいぞ全部ぴったり十点上は」

「でもなぁ。兄の時間を奪ってまでわたしは平均点ちょい上が取りたかったわけではないのだよ。せっかくならいい点とって褒めて欲しかったな」

「じゃあ褒めない」

「うん! 次は頑張る」


 褒めないのに喜ばれた。自分の妹ながら真面目でいい子だ。夏葉ができてしまうだけで、普通はちゃんと学校に来れないのに平均点が取れるなら十分だ。もちろん、良い点が取れてる夏葉もすごい。


「そもそも、二人のことはそんなに心配してない」

「……君がわたしたち以外のことを気にしているの、本当に慣れない」

「気にしてる、か」


 結局のところ、俺は彼女たちのことを心配しているのか自分のしたことの結果を心配しているのかわからない。それでも、楓さんの頼みだからではなく二人のためにできることをしてやりたいと思ったのは確かだ。

 神戸は友達と話していたが、LINKで『ちょっと遅くなるけど行く!』と連絡があった。対して星島さんは最近は燈と一緒に行動することが多かったが今日は燈だけが来たので、もしかしたら来ないかもしれない。


「もし悪かったら亜鳥は落ち込むだろうなぁ……」

「慰めてやってくれよ」

「任せろ。わたしが優希の役に立てることなんてそれくらいしかないしね」

「燈の存在そのものが俺の助けだよ」

「大袈裟。ありがと」


 大袈裟でもない。実際燈がいなかったら俺はここまで勉強をしていなかったわけで、それなら今俺が神戸と星島さんの面倒を見ることもなかっただろう。


「たまに燈が羨ましくなる」

「でしょ。うちには素敵すぎる兄がいるからね」

「ほんとに。でも、わたしが妹だったとしてもきっと優希は同じようにはしてくれなかったと思う。そういう燈の良さも含めて、燈が羨ましい」

「うん。でも、わたしは優希がいないとダメだから」

「そんなことないだろ」

「別になにもできないとかじゃないよ。優希が何かしなくてもわたしは頑張れる。でも、優希がいないとわたしは生きていけないから」


 そんなことを言う燈は、少し恥ずかしそうに目を逸らした。燈が一人が嫌いなのは知っているつもりでも、そうやって言葉にされると俺も少し恥ずかしくなる。

 なんとも言えない空気になってしまった会議室を変えてくれてのは、神戸だった。


「ごめん! 遅くなっちった!」

「いや、聞いてるから大丈夫だよ。テスト明けだし、今日はなしでもよかったから」

「う、ん。ありがと! でも、今日はこっち来たかったから」

「そっか」


 神戸は俺から勉強を教えてもらう傍ら、全教科赤点レベルの友人たちと勉強もしていた。決して成績が良いとは言えない神戸だが、基礎はしっかりしているので神戸が教えることになるそうだ。

 ただ、神戸の話と俺が見ているだけでも、神戸は友人たちに無理やり話を合わせているだけにしか見えないので、多分疲れてしまったのだろう。


「あと、その。ごめんなさい」

「なにが」

「点数、全部ちょっとずつしか上がらなかった。時間取らせたのに」

「あのなぁ。一ヶ月でそんな劇的に変わるもんじゃないから。落ち込むなよ。そう思うなら次からもっと頑張ればいい。別に赤点ではないんだろ?」

「あ……えっと、うん! わかった! 期末頑張る! 赤点はないよ! 元からないし!」


 燈と似たようなことを言っている神戸に思わず笑ってしまった。正直なところ、全部上がったのなら良かったとすら思っているくらいなのだ。


「友達の方はどうだ?」

「あー……わたし、教えるの下手みたいでダメだった」

「そっか」

「うわー! めっちゃ興味なさそう!」

「ごめん。でも、神戸が少しでもできたらそれでいいから」

「えっ、えっ、えっ。わたしのことは気にしてくれてたんだ!」


 嬉しそうにして神戸は抱きついてきた。えっ? こういうのこの子たちの中では普通なの? 燈すごい睨みつけてきてるんだけど?

 自分の腕をどこへ動かそうか迷っていると、さすがにおかしいと思ったのか神戸が飛び退くようにして離れた。が、代わりに俺の足の上には妹が座ってきた。邪魔だし痛い。


「燈ちゃん、どうしたの?」

「いいえ別に。なんでも」

「なんでもないなら退け」

「うるさーい!」


 退く気はないらしいので、俺が足を少し開くと燈の体がずるずる沈んでいった。これなら足が痛くないので良しとしよう。

 神戸は不思議そうに首を傾げていたが、夏葉がいつものことのような態度でいたので燈も普通に話を始めた。俺も燈を後ろから抱きしめる形で支える。


「ではでは、亜鳥がまだですけど打ち上げなどなどいかがでしょう?」

「えっ、したいしたい! えーっ! するする! あ、でもお兄ちゃんとはいえ男の人と出かけるのとかあんまりやめといたほうがいいかな?」

「事務所にもファンにもブラコンバレてるんで多少は大丈夫ですよ。お兄ちゃんとデート中とか投稿してますし。でも、近場かあんまり人が来ないところだと助かりはします」


 事務所公認のブラコンでいいのかとは思うが、燈本人は俺とのことをSNSにアップするのを楽しんでいる様子なのでなにも言ってはいない。だから、むしろ問題があるとすればシオリとして活動している神戸の方だろう。

 燈もその辺りが気になったようで、「むしろ神戸先輩の方が大丈夫ですか?」と聞いていた。


「シオリのことなら全然大丈夫だよ! むしろユキせんせーが良かったら一緒に撮った写真とかあげたいもん!」

「それは無理」

「友梨ちゃんがやってるみたいな感じでいーから! 手だけとか!」

「……まあ、それくらいなら」

「えっ、えっ! じゃあじゃあ今! えっと、あーんなんもない! どーしよ!」

「打ち上げのときでいいんじゃない?」

「そうするぅ……」


 俺なんかと一緒にいることを投稿しても伸びなさそうだが、神戸が楽しそうなので撮ってあげよう。

 打ち上げの話なんかは俺も夏葉も聞いていなかったが、燈と神戸が勝手にいろいろ決めてしまった。最初はどこか食べに行こうという話だったが、神戸があまりに燈を心配するので俺たちの家で軽く行うことになり、星島さんと楓さんの予定さえ合えば今日この後行うらしい。楓さんも誘うつもりなんだ。


「……あの、遅くなってしまいすみません」

「あ、亜鳥! 待ってたぁ」

「燈、ストップ」


 なにやら暗い顔をしながら部屋にやってきた星島さんにいつも通りの、なんならいつもよりも高いテンションで話しかけようとした燈を夏葉が静止させた。


「どうかした? なんかあった?」

「い、いえ! なんでもないんです。いえ、なんでもないなんて言えませんね……」

「えっと……単刀直入に聞くけど、点数どれくらいだった?」

「ひぃっ……あの、すみません! 英語と数学赤点取ってしまいました! すみません!」

「……なんだ」


 思ったよりもずっとマシだった。全科目赤点でした、なんてことも予想していたので十分すぎる結果だ。それでも星島さんはどこか悲しげな目で俺のことを見ていた。


「お疲れ様」


 目尻に溜まった涙を拭うと、星島さんは驚いたような顔をして、でもどこか安心した様子だった。その表情を見て、俺は星島さんの頭に手を置いた。


「星島さんはよく頑張った、と俺は思う。星島さんは納得いかないかもしれないけど、それなら俺のせいにしてほしい」

「そ、そんなことないです! 先輩はわたしのためにいっぱい時間を割いてくれましたし……そもそも、先輩がいなきゃわたしは全部赤点でした」

「なら、俺がこれからも星島さんのことを見たら赤点なんかすぐなくなる。次だ次。燈も神戸も星島さんも、みんな次頑張ればいい」


 俺も含めて、今回はまだまだ至らない点が多すぎた。だから、次頑張ればいいと思う。きっと楓さんもそういうと思う。

 そもそも、明確な目標が決まっていないのだから、彼女たちのペースでがんばれば良いだけだ。

 話が終わると恥ずかしくなってくる。よく考えたら頭を撫でられるなんてそんなに嬉しいものじゃないし、むしろ鬱陶しいくらいだと思って咄嗟に手を退ける。


「テストの打ち上げ、星島さんもどう?」

「えと、はい。是非」

「決まり! じゃあ、後でうちに集合!」

「うん! ……えっ? 燈の家……? せせせ先輩の家ですか!?」


 久しぶりにうちが賑やかになりそうだ。

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