18.先生の息抜き

 夏葉以外から問題と解答用紙を受け取って、俺は少し寄り道をして帰っていた。


「どうすっかなぁ……」


 正直、星島さんの答案を見る限りだと授業にも追いつけていないレベルだった。適当に書いたものが当たったのだろうな、という回答もあるくらいだ。本人のやる気は感じられるが、一ヶ月とはいえ高校生活が始まった瞬間から不登校というのは少し厳しいらしい。というか、中学も登校していたのか怪しいところではある。聞き出すつもりもないけど。それでももちろん、俺が思っていたよりはずっとマシだけど。

 神戸と燈に関してはある程度基礎は固まったが、神戸は応用に対する苦手意識がついてしまっているようで、なかなか踏み出せないでいる。燈の方は単純に時間が足りない。

 結局のところ、スタートラインからあまり動けていないというのが実情だ。


「あれ? 明石?」

「……綾川?」

「今帰り? 遅いね」

「まあ、ちょっと。綾川こそ、こんなとこでどしたの」

「まあね」


 学校のすぐ近く。回り道をしようとして出会ったのは、最近何かと話すことの多い綾川だった。よく見ると、綾川はエプロンをつけている。

 あまり他人のファッションなどに興味のない俺でも、綾川のエプロン姿は良く似合うなと思う。


「ここの喫茶店の上、僕の家なんだ。ここは父さんがやってて。今はちょっといないんだけど」

「へぇ」

「せっかくだし、寄っていく? コーヒーの一杯くらいなら奢るよ」

「じゃあ、ご馳走になろうかな」


 楽しそうな綾川に連れられて店内に踏み入れると、ほのかに木の香りがした。決して嫌な匂いではなく、本当に軽く香る程度の、それでも店の雰囲気を作るには十分に足りる香りだった。

 店内にはそれほど客はいなかったが、何人かがいかにも常連といった佇まいでテーブル席に座っていた。


「明石、カウンターでもいい?」

「どこでも」

「ありがと。それで、浮かない顔してたけど、どうかした?」

「あー……まあ、ちょっとな。教え子が、ちょっと」

「教え子」


 名前を出さなければ過度に隠すことも無いだろうなと思ったので、少しだけ話すことにした。

 綾川は慣れた手つきでコーヒーを淹れると、俺の前にカップを置いた。


「その教え子さんの試験結果があまり良くなかった、とか」

「まあ、そんな感じ。本人たちはめちゃくちゃ頑張ってくれてるんだけどさ」

「……ほんと。明石ってすごいね」

「結果出してやれなかったって話なんだけど?」


 どこをどう切りとったら俺がすごいという話なるのだろうか。綾川はからかう様子もなくそんなことを言ってくるからやっぱり少し苦手かもしれない。


「僕だったら嫌になっちゃうかも。明石くらい勉強できるならきっと教えるのも上手だろうし。それで伝わらなかったら、僕だったらその人たちのせいにしちゃうかも」

「あー……それは、違うくね?」


 神戸も星島さんも、最大限やった結果だ。サボったわけでもなければ、できないことにチャレンジしたわけでもない。彼女たちに気負わせないようにするという理由もあるが、点数に関しては完全に俺の落ち度だと思っている。

 だから、次はどうにか彼女たちの求めるラインまで伸ばしてやりたいと思ってしまっている。


「神戸さんのこと、明石は苦手だと思ってた」

「……なんでここで神戸が?」

「えっ、だって明石の生徒さんって神戸さんでしょ?」

「えぇ……」

「普通に考えて、誰とも話さない明石が妹さんや妹さんのユニット? の流川さん以外と話してるのってちょっと変だから。なんかあるんだろうなって思ってた」


 「まあ神戸さんが言ってたのも嘘じゃないんだろうけど」と笑って、綾川はカウンター越しに座った。人のことをよく見ているらしい。

 せっかくなので綾川のいれてくれたコーヒーに口をつける。深い苦味が口の中に広がる、まろやかなコーヒーだ。雑味を一切感じない。


「美味い」

「そう? 口に合ったみたいでよかった。よかったら父さんがやってるときにも来てみてね」

「ん。時間があれば」


 基本的に飲み物にこだわりはないが、せっかくなら自分が美味いと思うものを飲みたい。機会があればコーヒーが好きな夏葉も連れてきてみようか。


「よーっす陸斗……あれ、優希?」

「楓さん……なにしてるんですか?」

「休憩んときはよくここ来るんだよね。えっ、なになに。二人仲良いの?」

「まあ、それなりに」

「えーっ、いいじゃん。あたしにもそーゆーの言って? 教えてよー」

「うるせぇな。過保護ですか」

「過保護で悪いか! 親みたいなもんだからね!」


 ぐいぐいと楽しそうに詰め寄ってくる楓さん。なんだかんだでこの人も仕事のストレスが溜まっていることを俺は知っている。

 担当する学年の違う燈と星島さんの二人の面倒を見ている時点で、楓さんがどういう立ち位置なのかはある程度わかる。嫌な表現にはなるが、教員からすれば二人は面倒事でしかない。楓さんがどう思っているのかはわからないけれど、そうやっていろいろ押し付けられて、それでも楓さんは生徒の前で笑顔を見せ続ける。

 だから、こうやって楽しそうにされると拒絶できない。


「三輪野先生、今日はどうしますか?」

「あー、コーヒーだけにしよっかな。この後ちょっと、嬉しいお呼ばれしてて。ね?」

「来るんすか」

「多分顔出すだけになるけどね」


 そうか、顔出すだけでも来るには来るのか。もしかしたらみんな帰った後になるかもしれないけど、楓さんの夕飯も準備しておこうか。


「明石」

「ん?」

「無理はしちゃ駄目だよ」

「わかってる」

「優希はそうやって言いながら無理するからなぁ。あの子たちにもあたしにも言えないことは、陸斗に言ってみてもいんじゃない?」

「……まあ、その辺は考えときます」


 それからしばらく話して、楓さんが店を出るときに俺も家に帰ることにした。

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