K13.許されないこと
「うあー、新学期だよ……」
今日もいち早く登校していた隣の彼女は机に突っ伏して項垂れていた。
「がんばれ」
「がんばれそうにないぃ……なんか元気出ることないー?」
「無茶ぶり」
そうだなぁ。神戸のことはなんとなくわかってきたけど、元気が出ることとかふわっとしたことを言われると難しい。まあ、クラスメイトが来るまで相手をするだけなので、そんなに難しいことでもない気はするのだけど。
「そういえば、明日のテストは大丈夫そうか?」
「なんで今元気がなくなるようなことを聞くのかな?」
「先生的には聞いとかないとだろ」
「そりゃそうだけどぉ……」
なんだかんだで遊んでばかりじゃなくちゃんと勉強もしていたので問題はないと思うけど。とはいえこれは夏休み明けの課題をしていればこなせるものだし、成績に大きく関わることもないので俺もそんなに気にしているわけじゃない。一応、これでも世間話のつもりだ。
「でも、なんかいける気はする!」
「俺は逆に今のでなんか不安になったよ」
「あれっ!?」
そんな話をしていると、教室のドアが開いた。騒がしい声は聞き覚えがある。
「あれ、カンナ今日も早いねー」
「おはよー! ねーみんな、テスト勉強したー?」
「はー? そんなのしてるやついないって」
「そーそ。栞凪じゃないんだしさ」
「なにをー! 勉強しないとダメだぞー」
当たり前のことを言う神戸に、友人たちはおかしなことを言っているように笑う。まあ好きにしてくれたらいいけど、散々神戸に迷惑をかけている自覚を持ったらどうだろう。
「んじゃまたカンナが教えて」なんて当たり前の顔で神戸の机に座った。それに対して神戸はどこか満更でもない様子で、彼女たちに自分のノートを見せる。
「ん? これ誰の字?」
「えっ、えっ。あ……やっ! それは、せんせーの!」
「センセー? 誰?」
「えっ、やっ、そのぉ……」
勉強会用に神戸が準備しているノートには俺が問題に関するメモを書いたりもしている。おそらく今見せていたのはそれだろう。俺と神戸では明らかに字が違う。
「つかー、栞凪シャーペン変わってんじゃん。これも先生?」
「そ、そだよ?」
「へぇ。アタシらとおそろのやつよりそっちがいーんだ?」
「ちょいちょい。そんなん言ってないじゃんね」
「うー……」
なんか今日は詰め方が面倒だなこいつら。こいつらというか片方。いつもは神戸がそうじゃないとか、適当な誤魔化しをすればなんとかなっている気がしていたけど。
とはいえ俺のできることはないので、聞き耳を立てながら綾川と話す。
「明石はどう? 勉強、順調?」
「まあな。綾川は……えっと、宿題終わった?」
「うん。おかげさまで」
夏休み期間で終わらないほどではもちろんないけれど、少しだけ協力させてもらった。別に俺がなにかしなくても一人で何とかしていたと思うけど、そう言ってもらえるのは嬉しい。
「てゆか栞凪、さっき誰と喋ってた?」
「えっ、えーっ? 別に喋ってないけどー?」
「嘘つけ。あ、その先生?」
「うー、そだよぉ」
神戸はちらりとこちらに視線を向ける。とりあえず見るな。
「ほほう……?」
「な、なにさーつむぎー!」
「やー? 別にー?」
「おいー、ツムギもなんか隠し事ー」
「違うって言っとろーが。ほら、せっかく栞凪が見せてくれてんだから、やるよ」
話が長引くようだったら教室から出ていこうかとも思っていたけど、そんなこともなかった。さっきから片方が神戸の言うことになにかと食いついていたが、もう片方が無理やり話を変えている気がする。
「……なんか、変だね」
「気のせいだろ」
心配そうに神戸の方を見ている綾川に、俺はそう返した。
放課後。テストもあるので一応確認を兼ねて小テストを作ってみたので『時間があったら勉強会をするから会議室へ』とメッセージを送っておいた。結局燈以外の全員から返信が来たので、ほぼ普段通りの勉強会になるらしい。
会議室に一番最初に着いたのは俺、それからしばらくして星島さんがやってきた。
「あれ……神戸さんは、まだ?」
「友達と話してんだろ。むしろ今日は夏葉が遅くて心配してた」
「そう?」
少し遅れてやってきた夏葉は、扉を開けると同時にそんなことを言った。いつもは俺と同じくらいのタイミングで来ていることが多いから、何かあったのかと思った。
とりあえず神戸が来るまでに星島さんに小テストを解いていてもらおう。夏葉が自分のものを欲しがるような目で見つめてきたけど、そもそも夏葉は勝手に勉強しているのでどのレベルのものが必要なのかわかっていないので作っていない。
そうして二人で星島さんの小テストを見守っていると、三十分ほどが経った。星島さんはやや詰まりながらも以前までよりもかなり早いペースで解き終わるようになっていた。もうしばらくしたら俺の役目も終わるのかもしれない。少しだけ寂しい。
「さすがに遅いな……」
「見てくる」
「いや、また自称ファンに絡まれたら面倒だろ。俺が行ってくるよ」
「そう? なら、待ってる。星島さん、今日はわたしが採点してもいい?」
「もちろんですっ!」
星島さんのことは夏葉に任せて、俺はとりあえず自分の教室に向かうことにした。普段神戸たちがどこにいるのかは知らないけど、いつも食べカスやらゴミが落ちていることを考えたら教室にいると思った。
階段を上って教室の前に。開いたドアから中を覗くと、神戸の顔が見えた。いつもの友人二人が同じく教室の中にいる。
いつもならうるさい教室。そのはずなのに、三人とも静かになって、神戸は拳を握りしめていた。そして、その頬を雫が伝っていた。
「もう、嫌い。はっきり言う。二人なんか大嫌い!」
「な、んで? アタシらなんか悪いこと……」
「優紗、黙っ……」
「うっさい! うっさいうっさい! 知らない!」
神戸はそう叫ぶと、俺の立っている近くのドアから飛び出して来た。そして、俺と目が合って、焦ったような顔で自分の口元を抑えたまま走って行った。
「神戸っ!」
振り向きもせずに階段を駆け下りた神戸の後を追うように、なにか揉めていたクラスメイトの片方が走って行った。
「……明石」
「なにがあった。神戸はなんで……」
「都合のいい話だってわかってる。でも、栞凪のことはあーしじゃなんもできないと思うから……ごめん」
「そんなことはどうでもいいから。事情を話して」
零れ落ちた涙の理由は、きっとそんなに大きな問題ではなくて。だけど、その言葉たちはきっと神戸には大きな刃になってしまった。
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