K14.見返してやる
ちゃりん、ちゃりんと小銭を入れる音がした。
「何買うんだ?」
「あー、ユキせんせー! お金入れたけど何買おっかなーって迷ってたとこ! 選んでー?」
「じゃあ、これで」
俺が選んだのはレモンスカッシュ。最近では自分ではあんまり買わないけど、気持ちがすっきりしないときはわりと助けてもらっている。
「ありがとー!」
「どういたしまして」
「ねっ、こっち座ろ?」
職員室からも教室からも離れた、あんまり需要のない自販機。その近くにあるベンチも当然誰も使わないわけで、かなり古びているように見えた。というか、木が腐ってない?
神戸もさすがにそこに座るのは嫌だったようで、苦笑いのまま「やっぱ場所移そっか」と言ってきた。
ぷしゅ、と音を立てて缶を開けた神戸は、レモンスカッシュを一気に飲み干して笑った。
「ごめ……」
「俺の前では無理しないでほしい」
「……ん。わかってる。わかってても、なんか、わかんないんだ」
いつもの、むしろいつも以上の笑顔で笑いながら、神戸はそうこぼした。
神戸の友人の二人から聞いた話では、原因は俺と神戸が海でデートしていたことらしい。見られていないと思っていたけど、実は見られてしまっていたそうだ。その後も神戸はそっちのグループでの付き合いが悪くなっていたから、彼女たちが半分冗談でそれをいじったそうだ。半分冗談というのは真っ先に神戸を追いかけて行った彼女から聞いたのでなんとも言えないけど。
でも、多分神戸が怒っているのはそういうのじゃない。いじりとか、自分が言われたこととか。そういうことであんなにも怒るわけがないことを知っている。
「ユキせんせーのことをさ、わたしがもてあそんでると思ってたんだって。ユサが言ってた。違うーって言ってんのになんも聞いてくんないし。ツムギもなんかよくわかんないこと言ってるし。やっ、わたしがもてあそんでると思ってるだけなら、いいんだけどさっ!」
多分、ツムギが俺を呼び止めてきた方だろう。いまいちクラスメイトの名前を覚えていないけど、隣の席からの声はいつも聞こえていたからなんとなく覚えている。ユサはなにかと俺に突っかかってくる方。
「……いつも一生懸命わたしのためにいろんなことしてくれるのに。結局ビクビクしてばっかりの自分に一番イラついたのかも」
怒りの矛先は本人も分からないらしい。今までは受け流せていた言葉たちが、今日になって急に神戸を襲ってきたのは、夏休みがあまりにも濃密だってからだろう。ほとんどを一緒に過ごして、距離を縮めて。新しい居場所として、もう神戸にとって手放してはいけない場所になっていた。
そうして孤独から逃れた神戸は、守るべき居場所がわからなくなってしまったのかもしれない。
「やらかしちった! ごめんねー、許してー!」
「そっか。まあ、仕方ない」
「軽いなーもー!」
そりゃあまあ、関係ないし。前までならそう思っていたかもしれないけど、今はもうそんなことを考えられそうもない。
一緒になって落ち込んでほしいわけじゃないことくらいわかる。今は自分のミスを悔やんでいるわけではないだろうから。でも、そう言っていないと本音が出てしまいそうだから、自分が悪かったと言っているだけだ。
「……ここからはちょっと、聞かなかったことにして? でも聞いて?」
「難しいこと言うなぁ」
「ユキせんせーならできる!」
「できるけど」
というか、やってあげるのが今俺にできることだ。それ以外にできることなんてないわけだし。
自販機の場所から少し歩いて、誰もいない教室に入った。俺は自分の教室と同じ位置に座ると、神戸はその机に座った。
「わたしさー、多分ね。ユサのことほんとはそんなに好きじゃないの……かも? 嫌いじゃないんだよ。嫌いじゃないんだけどさ」
「そっか」
「ツムギもー……うーん、どうなんだろ。中学から一緒にいたんだけどさ、なんか最近わかんなくて。でも、好きだと思う」
「あー……いた気がする」
「いたよ!? あれぇ、わたしのことは覚えてたのに」
神戸はその頃から真面目な子だったからなぁ。決して頭は良くなかったけど真面目にいろんなことに取り組んでて、心からいい子だと思っていた。ずっと笑顔だし。
でも、そんな子がいるわけがないんだ。ずっと笑顔で、できないことに対しても真剣に取り組んでいて、頼られたらなんだってしようとする。そんな子が普通の精神で生活をしているわけがないんだ。自分の中で何か理由を作って、その中でようやく自分を確立している。神戸にとってそれは、孤独からの逃避という些細な理由だった。
「でも。もう、さ。全部壊しちゃった。明石くんが興味もないのに、わたしのために守ろうとしてくれたものとか。なっちゃんに最低なこと言ってまで、作ってた居場所とか。ぜんぶね。なくなっちゃったよ」
「そんなことないよ。まだやり直せるし、壊れてないものだってある」
少なくとも、俺が神戸から離れることはない。それに、ツムギは本気で神戸のことを大切に思っているのがなんとなくわかった。きっとまだやり直せる。もちろん、神戸が彼女たちとやり直したいと思うかは別として。
ぽろぽろと神戸の頬を伝う涙を拭って、笑ってみせる。
「神戸は、俺のことすごいって言ってくれるよな」
「すごいよ。ともりんだけいたらそれでいいって、本気で言えてたから。わたしは怖くて、無理」
「それなぁ、実は俺も怖いんだ。だから、燈以外を見たくなかった」
「……どゆこと?」
「神戸は誰かと一緒じゃないとできないことがあるってわかってるだろ?」
「うん。一人じゃなんもできないし」
何もできないことはないんだ。でも、一人でできることなんて限られている。ある程度のことはできて、それでいて生きるのが上手な夏葉ですら、燈や俺に頼るときがある。夏葉ほど上手く生きることもできない俺たちは、誰かと一緒にいることが当たり前なんだ。
その当たり前から逃げ続けた俺にとっては、神戸がとても眩しい。
「それでも俺は燈以外を信じられなかったから、自分だけで燈を支えられるようになろうと思った。結果無駄に知識だけついたけど」
「……それって、明石くん的にできそう?」
「無理。不可能。できるわけがない」
そもそも、誰にも頼っていないつもりでも頼ってばかりだった。楓さんにも夏葉にも、支えているつもりの燈にでさえずっと俺のことを助けさせていた。そうやって気づけたのはつい最近だけど。
「だからさ。俺は神戸がすごいと思う」
「……そっかぁ」
それでも、こうやって言われると俺や神戸みたいな人間には言葉が重く感じるんだ。それを知っていてわざと俺はこんなことを言っている。
「あいつらと仲直り、してくるか?」
「……あははっ。うん、そだね。しない!」
「……えっ!?」
「甘いなー、ユキせんせー!」
想定外すぎる返答に変な声を出してしまった。少なくとも、あのグループにいて神戸が楽しくなかったわけではないことは俺でも見ていてわかる。さすがの彼女たちでも今回の件で俺――というより誰かの悪口を言うこと――が神戸にとっての地雷だということはわかっただろうから、やり直すのは簡単だと思ってんだけど。
俺が戸惑いを隠せずにいると、神戸はさも当然のことかのように胸を張って言った。
「だって、わたし悪くなくない? 好きな人バカにされてさ、にこにこしてる方がヤじゃない? てかおかしくない? 知りもしない人をバカにできるのって普通にヤバくない?」
「うん、悪くないけど。えっ、神戸ってそういうタイプだった?」
「んー、だって、わたしの好きな人をバカにされたんだよ?」
「んっ、そ、うだな?」
「こっちが仲直りしよーなんて言っていいわけないし」
少なくとも、神戸が謝るのは確かにおかしい。おかしいけれど、俺のことなんかで今まで神戸が積み重ねてきたものを壊してしまうのはなんというか申し訳ない。というか、好きな人って言い方やめてほしい。
いや、違うのか。神戸にとっても、俺の存在はもしかしたらとても大きなものになっていたのかもしれない。それこそ、今まで失うのが怖かった友人と天秤にかけられるくらいに、俺のことを大切に思ってくれているのかもしれない。
「今ね、ユキせんせーとともりんの言ってることなんとなくわかるよ! わたしね、ユキせんせーがいたら別に誰もいなくていい」
「駄目な方向に行ってる!?」
まずい。話さない方がよかったかもしれない。なんとか神戸を彼女たちと仲直りさせようと思って話したけれど、変な方向に神戸が思い切ってしまったかもしれない。
「……でも、わかってる。ユキせんせーとかともりんはそれでもすごいからできただけで、わたしには多分難しいんだろーなーって」
「まあ、うん」
「でもね。わたしにとって、ユキせんせーはそれだけの存在なんだ。本当にわたしのことを大切に思ってくれる友達とかいなくて、それでもユキせんせーはわたしのことをちゃんと見てくれた。わたしの心を支えてくれてたのは、ユキせんせーだった」
別に俺もできてたわけじゃないけど、誰にとってもそんな生き方が簡単なわけがない。燈だってそうだ。むしろ、燈は友梨として他人に頼りまくって生きている。
だから、経験者としてはその方向は非常に生きづらいものだろうと思う。まして神戸のような子は、孤立していてもきっと人のことを気にしてしまうんだ。そうして誰かが困っていても手を貸してあげられないことが、今日みたいにいつか嫌になる。
「だから、ユサたちのことを見返してやる!」
「……というと?」
「ユキせんせーはこんなにすごいぞって!」
「えぇ……」
まずい。俺よりおかしなことを言い始めているかもしれないこの子。というかちょっと方向がズレている。それに、これでも全教科でトップの成績とかそこそこレベルではすごいと思うのだけど、それ以外に俺に取り柄なんかないぞ? それですごいって思われてない時点で結構それ詰んでると思うけど?
「あれ? でも成績って上位は発表されてるよね?」
「されてる。ちゃんと俺の名前も出てる」
「あれ」
興味もない人たちにとっては誰が一位だろうがどうだっていいのだろう。神戸はもろもろの理由で俺の成績とかを確認したのかもしれないけど、そういうものだ。それで威張れるなら俺はもっと威張ってる。
なにより、嫌いな人間がなにを頑張っていてもどうだっていいのだ。むしろその功績やら実績やらに腹が立って仕方なくなって、それ自体が価値のないものだと思い込んでしまう。
「……みんなの成績を上げる」
「は?」
「わたしがユキせんせーに教えてもらったこと、全部みんなに教えれるようにする。で、みんなが点数上がったくらいで……えと、赤点なくなって、補習なくなったら! そんとき、全部ユキせんせーのおかげだぞって言う!」
「……な、なるほど?」
よくわからないけど、神戸は「そうと決まれば勉強しよう!」ときらきらした瞳で俺のことを見ていた。もしそれができるのならそれは神戸がめちゃくちゃすごいって話になるんだけど、その辺はあんまり考えていないらしい。
「……まあ、いいか」
本音を言ってしまえば神戸がそれほどまでに俺のことで怒ってくれたのが嬉しかったから。神戸が満足するまで、俺は彼女に付き合うことにしよう。
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