32.クールな彼女の独り言

「明石。途中まで一緒に帰らない? それとも、今日は勉強会?」

「いや、ないよ」


 結局神戸の予定に合わせたスケジュールになっているので、ある日とない日はきっちり分かれている。今日は火曜日、ない日だ。


「おっ、いたいた優希ぃ! せんせーのお願い聞いてくれたりしなーい?」

「うぜぇ……普通に頼めばいいでしょ。んで、なんすか」

「図書室の本の整理」

「絶対俺がやることじゃねぇ」


 そういうのは図書委員だったりがすればいいんじゃないだろうか。いや別にいいけど。


「悪い、綾川」

「ううん。ごめんね、時間があれば手伝ったんだけど」

「全然。気をつけてな」


 せっかくなら綾川の話も聞きたいなと思っていたところだが、楓さんに頼まれてしまったなら仕方ない。


「……えーっと、ごめん! もしかして先約?」

「気にしないでいいっすよ」

「優希はいつもそうやって言うからわかんない……」


 小さいことで余計な気を遣われる方が面倒だ。今度綾川のところに寄らせてもらおう。

 それでも申し訳なさそうにしている楓さんが若干鬱陶しくて、俺は荷物を持って教室を出た。慌てて後ろを追ってきた楓さんは、引き受けたことが嬉しかったのか「ありがとねー」と緩い笑みを浮かべていた。

 図書室は見るも無惨な状態だった。本は乱雑に置かれて、飲食は禁止のはずなのに食べかすらしきものが落ちている。


「図書委員の何人かが嫌になって来なくなっちゃったんだよね。まあ、これはやってる子が悪いんだけどさ」

「これ、一旦整理しても一緒じゃね?」

「その辺はあたしがなんとかする。ひとまず片付けないと話になんないから」


 せっかく生徒に好かれているのに、ちゃんとそういうところはきちんとしようとするのがこの人のいいところだ。というか、こういうことをする輩はどうやってそれなりのレベルではあるうちに来たのか少し気になる。ルールを守れない奴は頭が悪いというのは偏見だったらしい。


「あれ、優希?」

「夏葉? 何してんだ」

「せっかく時間があるから部屋の場所を覚えておこうかと思って。そしたら随分騒がしい部屋があったから」

「……えっと、それで? その騒がしかった奴らは?」

「舌打ちしたら睨みながらどこかに」

「なんでそういうことしちゃうかなぁ、夏葉ぁ」


 楓さんが指導するのとはわけが違う。もちろん図書室でうるさい生徒が悪いが、舌打ちなんかして仕返しをされたら困るのは夏葉だ。それに、SNSなんかで夏葉のあることないこと呟かれるのはリスクが高い。仮に録音でもされていたらと思うと俺も怖くなる。


「まあ、やっちゃったことは仕方ないんだけど……なんかあったらすぐあたしに言うこと!」

「わかってる。頼りにしています」

「ならよし! で、夏葉は今は何してたの? みんな追い出しちゃった後もここにいたんでしょ?」

「……随分乱雑に置かれていたから」

「そっか。ありがとう、手伝うよ」

「優希にお礼を言われる筋合いはないけど」


 乱雑に置かれていたから気になって整頓していた、と最後まで言わないのが夏葉らしい。近くにあった本を見て、夏葉は少し悲しそうにため息を吐いた。


「夏葉もやってくれるってこと?」

「まあ、そういうことっすね」

「ほんと!? 助かるー。じゃあ二人で本を棚に戻してきてもらっていいかな? ついでに棚が汚れてたら拭いて欲しい」

「わかった」

「ほんとごめん」


 散らかった部屋だが、棚の上に掲示している本は綺麗に置かれている。おそらく夏葉が戻してくれたのだろう。棚の中は端から片付けているようで、あ行はほぼ埋まっていた。


「なら、わたしが本を分けるから、優希はそれを棚に入れてきて。多分そうした方が早いから」

「ん。じゃあそうしよう」


 こういうところは要領のいい夏葉に従った方が早いので、言われた通り夏葉が分けた本を棚に戻すだけの作業を始めた。

 とりあえずあ行。それからか行。十五冊程度ずつ本を戻すと、夏葉がそれくらいの量を仕分けてくれているので作業が滞ることはなかった。楓さんは仕事があるからと職員室に戻ってしまったが、この調子ならすぐに終わりそうだ。


「優希と二人は久しぶり。いつも誰か、女の子が優希の側にいるから」

「そう、だな。なんか含みのある言い方だけど」

「別に?」


 そう言うわりにはどこか不機嫌に見える。

 いや、その理由はわかっている。俺が夏葉個人に構うことがないのが不服なのだろう。それは燈と同じで、誰とも本音で話せないから。


「悪かった。わかってるはずなんだけど、なんか夏葉は大丈夫だって思っちゃうんだよな。お前だって話したいこととか、あるはずなのに」

「……こっちも、ごめんなさい。子どもみたいなこと言って」

「俺たちはまだ子どもだぞ」

「そういう君は、随分大人びて見える」


 そう見えるように振舞ってるからな。なんでも知っているようなふりをして、周りに興味にない顔をして。そうしておかないと誰かと関わらないといけなくなる。子どもだから許されるわがままだ。そんなわがままを無視してくる奴も何人かはいるが。

 あとは、そんなわがままを無視してくるクラスメイトや一人が嫌なかわいい後輩に少しでも頼りやすい人間として見てもらえるように、と。最近は少しだけそういう意図もある。


「そんな君だから、わたしも遠慮せず話せるのだけど。はい、持って行って」

「ん」


 クールな顔をしておいて本当は少しだけ寂しがり屋な夏葉だから、俺もこうやって自然に話せるのだが。そんなことは照れくさくて言えない。

 本を棚に戻す。さ行、た行、な行。は行は少なくて、ま行は少し詰め込まないと入らない。や行からはまたかなり少なくなった。


「ここからは独り言なのだけど」


 そう切り出した夏葉は椅子に座って、向かいの椅子を指さした。いつの間にか本は全部棚に戻し終えていたらしい。


「優希は人のことを裏切れないから、困ったときは周りにもっと頼ってもいい……と、わたしは思ってる」

「わかってる。頼るよ。つか、頼ってるよ」

「独り言なのだけど」


 聞き流さなかった俺に夏葉はそう言って、何もなかったように自分が家から持ってきた本を読み始めた。

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