38.それがわたしの

「さて、と」


 授業が終わった。放課後、今日は仕事も勉強会もないのでこのまま帰れる。帰ってもいいことなんてないけど。


「あれ、流川さん? 明石もう帰っちゃったと思うよ?」

「別にいつも優希と一緒にいるわけじゃないからね。でもありがとう、綾川くん」

「そうなんだ。じゃあ、さようなら」

「さよなら」


 優希の友人はぺこりと頭を下げてくれた。いい人だ。

 教室を出る前にちらっとクラスの女子に向けてみる。その中心にいるのは神戸さんで、吹っ切れたような笑顔だ。よかった。

 階段を降りて校門をくぐると、なにかを自慢げに友人に見せている子たちがいた。おそらく自慢しているのはわたしのサインだろう。まあ、最悪SNSに流出してもわたしのサインはかなり真似しやすいからどうにかなると信じたい。学校バレが一番面倒だな。とはいえ友梨はほとんどバレているようなものだし、まあなんとかなるか。

 燈は大丈夫かな。いや、あのシスコンが妹を不安にさせるわけないか。二人のことを考えると自然と元気が出てくるのだから不思議だ。お世辞にも素の彼らは他人に元気を与えられる性格とは言えないはずなのに。


「……早く帰ろう」


 お腹が空いてしまった。昼休みはなるべく神戸さんたちの様子を見ていてあげたいので、昼食は少なくしている。でも、そのおかげで神戸さんと星島さんの役に立てたのだから良しとしよう。

 別に正義感でしているわけじゃない。ただ、あの二人が傷ついたらきっと優希が自分を責めるから。そうなってほしくないから、こうやって時間があるときだけでも優希の大切な人たちに気を遣うようにしているだけ。


「……あ」


 仲の良さそうな兄妹が目に入った。とびきりの笑顔の妹を、若干鬱陶しそうに兄があしらっている。それでも手をしっかり繋いで楽しそうに見える。羨ましいくらいに近い距離。


「……あれ? おーい! なんだ、後ろいたんだぁ」

「いたなら声かけてくれたらいいのに」

「ごめん。ちょっとだけ、見守っていたくて」

「なんそれー、変なの」


 立ち止まってわたしのことを待った兄妹は、そのままわたしを挟んで歩き始めた。待って、わたしが真ん中?


「そういや、昼休みはどこに行ってたんだ? LINK送ったんだけど」

「気づかなかった、ごめん。ちょっとうろうろしてたの」

「もーせっかく一緒にお昼食べようと思ったのにー」


 お昼は一緒だったらしい。優希は綾川くんと一緒にどこかへ行っていたから、おそらく彼も一緒だったのだろう。燈も彼をなんとなく信頼できる相手と思っているみたいで少し安心する。


「明日は仕事かぁ。お兄ちゃん一人でだいじょぶ?」

「わたしも。少し心配」

「俺、そんなに心配されないといけない?」


 本当に心配なのは優希に頼りきれない神戸さんと星島さんだけど、優希のことももちろん心配ではある。

 そんな話をしながら歩いていると、楽しい時間はすぐに終わってしまう。いつの間にかわたしと優希たちの家に着いた。


「じゃあ、また明日」

「明日会えるのはわたしだけだけどね! また明日!」

「またな」


 そうやって声をかけてくれるのが嬉しくて、柄にもなく明るい笑顔を見せてしまった。恥ずかしい。

 玄関のドアを引く。無駄に小綺麗に置かれた花瓶が、無性にわたしを苛立たせる。


「ただいま」

「帰ったか」

「おかえりなさい、夏葉」


 母にだけちらりと視線を向けて、わたしはわざと誰もいなかったように父にだけは目を向けなかった。そんなわたしの態度に、母は少し悲しそうな目をした。


「親への態度がなっていないな。だからあんな奴とつるむなと……」

「それ以上言ったら殺すぞ」


 嘘だ、わたしはそんなことできない。ただの感情にすぎない。でも、気持ちに嘘はついていない。

 わたしがこんな性格なのが優希のせいだと言うのなら、わたしは親不孝な人間でいい。大切で大好きな人を悪く言われるくらいなら、わたしは自分の立場なんてどうだっていい。


「な、夏葉……」

「なに?」

「この前の写真集、二人ともとってもかわいか……」

「その話は俺の前でしないといけないか?」

「……ありがとう、あの子にも伝えておく」


 父への嫌悪と、母への少しだけの罪悪感。それを抱えながら、わたしは自分の部屋に閉じこもった。

 この部屋は何も変わらない。わたしがいなかった間はもちろん、わたしが帰ってきてからも。ベッドと暇つぶしに買った本たちが並んだ棚、勉強机。机の上にはわたしと優希、燈、楓さんの写った写真がある。中学生のとき撮ったやつだったっけ、こんなに笑顔のわたしはやっぱり慣れない。

 そして、窓を開ければ優希の家。


「あ」

「なにしてるの……」


 窓を開けたら、優希と目が合った。


「いや、なんか疲れてたから。ちょっと心配してた」

「優希が? わたしの? その前に自分の心配をすべき」

「ごもっともで。それでも、幼馴染みを心配するくらいは許してくれよ」


 それはわたしにも言えること。わたしだって、本当は優希の心配をするより自分のことをちゃんとしないといけない。それはわかっているけれど、優希は危なっかしいところがあるから放っておけない。

 でも、わたしとしては優希にはわたしよりも、自分自身と燈のことを大切にしてほしい。その他のことはわたしがやればいい。わたしのことなんて、優希は心配しなくていい。


「さっきさ、神戸から連絡来たんだ」

「えっ」

「わたしも他の人と一緒だったって。夏葉たちのことを心のどこかで利用してたって」

「違うの。あの子は……」

「わかってるよ」


 わたしは言うつもりなんて本当になかった。それなのに、なぜ言ってしまったのだろう。優希に嫌われるようなことをわざわざ言う必要なんてない。人には隠していなければいけないことだってある。神戸さんにとって優希がどれだけ大きな存在になっているのかなんて見ていればわかる。


「なんでかな、お前もかよって思わなかったんだよな」

「……わたしも、思わなかった。あの子も星島さんも、綾川くんですらも。きっと心のどこかではみんなそうなんだと思う。それでも」


 あの人たちには、ちゃんとわたしたちを見ようとする意思が見えた。それが本当はすごく嬉しくて、優希のためという建前を作ってあの人たちを支えようと思った。それが本音。それがわたしの、数少ない今を生きている理由。


「……あの子たちは、どこか君と似ている気がする」

「どこがだよ。全然違うだろ」

「全然違っても、似ているところだってある。わたしと君は全然違うけれど、わたしたちはどちらも燈のことを大切に思っている。同じところだってある」


 今のは少しずるかっただろうか。それでも優希は、わたしの言葉を受け入れるように何度か頷いた。しまった、優希はわたしの言葉を重く受け止めすぎてしまうところがあるのは治っていないらしい。


「まあ、なんにせよよかった。神戸のこと、誤解しないであげてほしい」

「わかった」

「あと」


 どこか恥ずかしそうな顔で視線を逸らしながら、聞こえるか聞こえないかギリギリのか細い声で言った。


「夏葉が困ったときは、俺が力になれるように頑張るよ」

「……そ。ありがと」


 きっとそれは神戸さんと星島さんも変わらないけど、それでも今だけはその言葉がわたしにだけ向いていることが嬉しかった。

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