39.それぞれの意味
「それじゃー、はーじめ!」
気の抜けそうな楓さんの合図で期末試験最後の科目が始まった。問題はそれほど難しいわけではない。少なくとも、俺にとっては苦労するほどのものじゃない。
試験時間の半分にあたる三十分が経ったくらいで解答用紙はしっかり埋まった。よし、今回は夏葉に負けてないはずだ。中間と違って彼女たちだけじゃなく自分の勉強にも力を入れた。
「……よし」
隣の席から小さく聞こえた声。テスト中に声を出すのはダメだが、楓さんはさすがに注意はしなかった。ちらっと視線を向けると、これまでにないくらいに真剣な表情の神戸がいた。
本気なんだ。これまで神戸のことを少しでも疑ってしまったことを心の中で謝罪した。
俺も周りばかりを気にしてはいられないので見直しを何度も繰り返す。記入に問題はない、完璧だ。
「終わり! みんなお疲れ様ぁ!」
ここまで緊張した試験は初めてかもしれない。それでも、不思議と心配する気持ちはなかった。
「終わったぁ! ねーユキ……明石くん! お疲れ様!」
「お疲れ」
「綾川くんもお疲れ様! 二人ともどだった、どだった!?」
「僕はまあ、そこそこ。明石は?」
「まあ、うん。そこそこ」
「えっ、えっ、えーっ! えっ、ユキせんせーすごい!」
「おい」
別に綾川に隠すこともないからいいけど、声がでかい。神戸の性格的に難しいだろうが、俺のことはゴミくらいの扱いをした方が友人ともやりやすいだろうに。
でも、嬉しそうな神戸を見ているととても言い出せなかった。
「あ、まだ教室いた。ちょい優希と栞凪来てよ」
「カエデせんせー! どしたの?」
「いいから」
何かあったのだろうか。俺と神戸を一緒に呼び出すということは神戸の成績についてだろうか。とはいえ試験はさっき終わったところなので点数はちゃんと出ていないと思う。
楓さんについて行く。隣を歩く神戸はどこか不安そうな表情だった。
「あ……ともりん」
「あ、どもっす。いやぁ、試験お疲れ様です。優希もお疲れ」
「お疲れ」
燈も何も聞かされていわないようで、神戸と明るく話しながらも不思議そうに俺の方を見ていた。ごめん、俺も知らないんだ。
「あ……先輩! こんにちは!」
「こんにちは、お疲れ」
「おつかれ、ぴーちゃん!」
仲良くなったからか、神戸は星島さんのことをぴーちゃんと呼んでいる。なんでも、名前と小鳥みたいでかわいいからだそうだ。星島さん本人も嫌がる様子はなく、そのぴーちゃん呼びを受け入れているので良いと思う。
俺たちがいつもの部屋に入ると、流れでいつも通りの位置に座った。
「はーい、三人とも座ってー」
神戸と燈がいつも座っている場所に座ったので、俺もいつもと同じところに座った。そしたら楓さんにめちゃくちゃ邪魔そうな顔をされた。ここがよかったの?
「で、全員集めてなんすか」
「夏葉は元から頭いいからあんまり関係ないし、燈はほっといても優希が面倒見るだろうから、二人は呼ぶ必要なかったんだけどね」
「なんで呼んだの……?」
夏葉が不思議そうに首を傾げている。
「みんなの成績、今のところめっちゃ上がってるって!」
「えっ……?」
「なんでそれをもったいぶって言うんだよ……! おめでとう、神戸、星島さん」
「えっ、えっ、えっ!? えっ、ほんとに!?」
「まだちゃんと点数出たわけじゃないけど、昨日と一昨日の科目はめっちゃ上がってるって! 先生たちみんな言ってたよー、あたしも嬉しい!」
「ほ、ほんとですか……?」
それは言ってもいいやつなのかわりと不安ではあるが、何がともあれ神戸と星島さんの成績が上がったのなら良いことだ。
「……でも、優希の成績はちょっと。ほんとにちょっとだけね、下がってる」
「……えっ?」
「本当にちょっとだし、気にするほどのものでもないでしょ。それに、今回は間違いなく上げたよ。夏葉のおかげだ、お前には負けない」
「そう。今回はしっかり全部学年一位だしね。でも、頭いい子が下がってくるのは学校としても避けたいって」
「めんどくせぇな……」
この先俺がどうするかも考えていないのにそんなことを言われても困る。というか、それをわざわざ二人に伝える意味はなんだろう。
「ごめんなさい先輩……」
「違うって。絶対そう言うと思ったけど、ほんとに違うから。二人のせいじゃない」
「……それで、なんだけど。この流れで聞くのめっちゃ卑怯だなってあたしも思うし、あたしが頼んどいてほんとめちゃくちゃ勝手だなって思うんだけどさ。二人はまだ、優希に先生してほしい?」
「……なるほどな」
楓さんには俺が疲れているようにでも見えたのだろうか。成績云々の話は建前で、本当は俺にこのまま先生を続けさせるかどうかの話がしたかっただけなのかもしれない。神戸と星島さんの成績も上がったなら、もう俺が付いている必要もない。なにより、これは楓さんにとっては一人の生徒に負担をかける形になっていると思っているのだろう。だから、おそらくは楓さんが一番やりたくなかったこんな卑怯な話し方で話を始めたのだろう。
この二人と話していて楓さんが思っているような苦労があるわけじゃない。でも、一学期は勉強会をしていたこの時間がなくなれば神戸は友達ともっと遊ぶことができるだろうし、星島さんがクラスに馴染むこともできるかもしれない。俺も、燈のためにできることをまた探すことができる。二人が先生を望まないのであれば、俺は明石燈の兄に戻るだけだ。
「わ、たしは……」
「わがままかもしんないけど、わたしはまだユキせんせーに見ていてほしい。やっとみんなと勉強以外のこともいっぱい話せるようになったのに、これでばいばいなんてやだよ」
「いや、別に勉強会なくても優希たちと普通に……」
「それじゃ、ダメなんです……!」
こうやって、いつも決まった時間に会えるこの関係が壊れてほしくないのだろう。俺以外はいつも忙しいわけで、『次いつ会おう』なんて誰も言い出せない。
二人の声を聞いても、楓さんからはなんとか俺に先生の立場をやめさせてあげたいという気持ちだけが伝わってくる。
「楓さん。俺は大丈夫だよ」
「でも……」
「俺が神戸たちの先生をしたいんだ。それじゃ納得できない?」
いつまでも他人と関わることを拒絶しているわけにもいかない。居心地の良いここからでもいい。俺もこの素直で真面目で不器用な生徒たちと一緒にいたいと思う。
「そういうことなら、よしっ!」
星島さんの表情が明るくなった。神戸がいつものように笑った。その当たり前が今は少しだけ嬉しかった。
「ただし、優希はもっと頑張らないとダメだよ」
「わかってます」
先生が自分のこともちゃんとできないなんてあっていいはずがない。これからは今までよりも少し大変な日々になりそうだった。
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