8.推しのファンは後輩
「……はっ」
「大丈夫?」
「ああ……あっ、すみません! わたし、先輩にご迷惑を……」
「気にしないで」
星島さんが目覚めたのは十九時過ぎだった。楓さんには「あたしが見とくから帰れば?」と言われたが、さすがに心配なので待っておくことにした。
「ごめんね。先に言っておけばよかったね、友梨が妹だって」
「な、なるほど……どうしてここに友梨ちゃんが、と思いましたが、妹なんですね。あの、昨日の時点で言われていたら先輩が変なこと言ってるって思ってたと思うので。気にしないでください」
「やっぱり?」
小さな頃は燈のことを自慢したくて仕方なかったので、俺の妹だと言っていた頃があった。今となっては嫌なことをしているな、と思うが、その頃は本当に自慢の妹をすごいと言いたいだけだった。
もちろん、本当に燈が俺の妹だと知っている人はそれを笑ったりちょっと鬱陶しそうにしながら聞いてくれた。でも、知らない人は何言ってるんだこいつ、という顔をしてきた。だから、星島さんにも燈が妹だと伝えていなかった。
「それで。ナナホシって?」
「えっと、わたしがSNSで使っている名前です。これです」
「へぇ……えっ、二万、えっ」
フォロワー二万の文字。その投稿は写真ばかりだった。中には昨日見た写真もたくさんあった。
「すごいな……」
「友梨ちゃんは百万ですよ」
「そうだった」
厳密にはまだ九十九万二千フォロワー。でも、友梨のSNS関係は基本的に確認しないようにしているからつい忘れてしまう。というのも、燈自身が「お兄ちゃんのアカウントが反応してくれたときとかどうしても贔屓しちゃうから、反応しないかわたしにバレないようにしてね」と言われているからだ。ちなみに燈に内緒のアカウントを作ったら二回リプライしただけでバレた。なんでだよ。
星島さんのスマホをスクロールすると、友梨の写真も出てきた。『今日は大好きな明石友梨ちゃんを撮らせてもらったよ』という文面と共に、燈がナナホシのプロフィール画面を表示したスマホをカメラに向けてピースをしている写真だった。
「なんというか、友梨ちゃんがなんであんなに明るいのかわかった気がします」
「なんで?」
「先輩がお兄さんだからかな、と」
「それはどうだろう」
燈は俺を大切な兄だとは思っている。だけど、必要とはしていない。「お兄ちゃんがなにかをしなくても、わたしは大抵のことはできるよ」と本人が言っていた。明るい理由にはならないかもしれないが、燈は俺のことで変わったりはしないだろう。
「あ、星島さん起きたー?」
「ひぃっ!?」
俺のことを盾にして星島さんは燈から一歩離れた。今度は俺の上着をしっかりと握っている。
「あははっ、昔のわたしみたい」
「そうだな。懐かしい」
「えっ? ど、どういうことですか?」
「昔のわたしは他人が怖くて怖くて。よく優希……お兄ちゃんの背中を盾にしたものだよ。今の星島さんみたいにね」
燈が笑いかけると、俺の後ろでかわいらしい後輩はなにやら唸り声をあげている。天使の笑みを浮かべつつ、燈は少しずつ俺に、というより後ろの星島さんに近づいた。
「星島……えっと、お名前教えてもらってもいい?」
「えっ? 星島亜鳥、です」
「亜鳥。いいね。改めて、明石燈だよ。ともしびって書いて、燈」
相変わらず、うちの妹はすごい。自分が仲良くしたい相手や仲良くしなければいけない相手との距離の詰め方が上手い子だ。逆に、それ以外との距離の取り方もきっぱり拒絶するわけでなく、それとなく『興味ないから話しかけるな』ということが伝わるように会話をする。それだけ、燈は人のことを見るのが上手い子なのだ。
そして、燈にとって星島さんはどちらかと言えば自分が仲良くしなければいけない相手ではなく、仲良くしたい相手に入っているらしい。
「燈、ちゃん」
「うん。どう? 次からも勉強会は来れそう?」
「まだ、わからないです。もう一人の先輩ともほとんど話してませんし。でも、ここに先輩がいるなら。わたしももうちょっと頑張ってみます」
「ふむ」
燈はにこにこと笑って、星島さんの頭に触れた。撫でるというより、優しく触れただけに近い。星島さんの方はまだやや緊張した面持ちではあったが、少し緩い笑みを浮かべて俺の上着から手を離した。
「これから、たくさんご迷惑をおかけするかもしれませんが。よろしくお願いしますね、先輩っ!」
結局勉強会と言いつつ、俺が見ることができたのは燈だけだった。
「うーん……」
神戸のテストの丸つけをしながら、今後のことを考える。少し難しく作ったとはいえ、百点満点中二十二点。教科書の例題をそのまま当てはめれば解ける問題は合っているが、ほんの少しでも捻ると解けなくなっている。イメージ的には足し算と掛け算はできるのに、それが組み合わさると順番がわからなくなるとか、そういう感じだ。
「お兄ちゃんが家でも勉強するなんて珍しいね」
「ん? ああ、ごめん。せっかく一緒にいるのに」
「いえいえ、お気になさるな。って、ああ、勉強じゃないのか」
「明後日どうしようか考えてた」
「わたしもちょっともやもやしてた」
「もやもや」
今日の話で燈がもやもやする要素があっただろうか。神戸に友梨扱いされたのが不快だった、というわけでもないだろう。あの様子だと星島さんにも同じだろうし。
ただ、この先一番ストレスを抱えたままあの場にいることになるのは燈だろう。仕事のストレスを抱えたままというのもあるが、今日だって俺だけだと楽しく勉強会というのは難しかったと思う。燈がもやもやしているなら、俺がなんとかしてやりたい。
「なんで星島さんはあんなにお兄ちゃんに懐いてるんだ!?」
「えっ」
「さっきの流れだと! 『燈ちゃんがいるなら頑張る』とか言われてもいいだろ! なんでお兄ちゃんなんだよ!」
「知らんわ」
確かに俺もちょっと思ったけど。あの流れだと燈が星島さんの中で大きくなってもおかしくはない。でも、それを俺に聞かれてもどうしようもない。もうそのままもやもやしといてもらうしかない。
「お兄ちゃんなにしたの?」
「いや別に。強いて言うなら、写真すごいねって言ったくらい」
「あぁー……あーねぇ……」
「えっ。でも星島さんめちゃくちゃすごい人なんじゃないの」
「それはそうなんだけどさ。んじゃさ? 例えばお兄ちゃんがアイドルのわたしにかわいいって言うとするでしょ」
「まあめちゃくちゃかわいいからな」
「ぐふっ、んんっ!」
紅茶なんか飲んでやがった燈は、俺がかわいいと言った瞬間にむせた。
「ちがっ、う、でしょ? んんっ、けほっ、けほっ! ふぅ……わたしのことが好きでも、申し訳ないのだけれど、百万のフォロワーさんのみんなはファンの一人にしか過ぎないんだ。いや、もちろん昔からずーっと応援してくれて、イベントとか来てる人とかの顔は覚えてるけど。でもさ、そういう人にかわいいって言われるのって当たり前のことなんだよね」
「それは、まあそうだろうな。友梨のことが好きで応援してるんだし」
「でしょ。でも、お兄ちゃんは違う。お兄ちゃんはあくまで燈のことが好きなただのシスコンであって、わたしたちのファンじゃない。そんなお兄ちゃんから好きとかかわいいとか言われるのってやっぱり嬉しいんだよ。あれだね、新規ファンが増えたみたいな感じかな」
「そういうもんなのか。なんとなくわかったけど、俺は二人のファンだよ」
つまり、一ファンに写真をすごいと褒められるのでなく、写真のことを全く知らない俺がすごいと褒めたからここまで懐かれている、と。なるほど、かわいらしい。
素直にすごいと思ったし、何も知らない俺でも大変なことなんだろうなとは思う。それはそれとして、星島さんが他からも評価されているのならそれは当然のことだとも思えてしまう。
「まあ、わたしは嬉しいんだけどね。かわいいクラスメイトと後輩、どちらかがいつかお兄ちゃんとそういう関係になってほしいな、とか。そういうこともちょい考えたり」
「ないよ」
「なぜ言い切ってしまうのかこの兄は。現に一瞬にして二人に懐かれているというのに」
「懐かれてるって自分で言ってるだろ。それだけだよ。燈が俺を褒めてくれるのと同じ」
「それは違うと思うけどなぁ」
これ以上は言っても無駄だとわかっている燈は、再び紅茶に口をつけた。様になってるのが少し癪に障るが、無視して俺は神戸用の次の勉強会で使うものを作ることにした。
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