K16.不安なこと

「テスト終わったぁ! ねっ、ねっ、ユキせんせーはどだった?」

「……あの、普通に話しかけてくるんですか神戸さん」

「えー? だってわたし今ぼっちじゃん。喧嘩中じゃん。友達ユキせんせーと綾川くんとなっちゃんくらいしかいなくない?」

「えっ。御調とは仲直りしたんじゃないの?」

「してない!」


 そこそこ大きな声で出た神戸の言葉に、御調は泣きそうな顔でこっちを見ていた。まあ、がんばれ。

 ただ、神戸と俺の関係を別に疑問も持たずに受け入れてくれた御調は良かった。問題はもう一人――三島優紗みしまゆさの方だった。彼女からの視線は神戸から嫌われたショックというより、俺への怨念が強く感じられた。悪いがこれは自業自得だとしか思わないので俺自身は別になんとも思わないけど、ずっとそんな視線を側にいる神戸も感じてしまうことになるのが心配だ。


「こーらカンナー? 何があったのか知らんけどそんなこと軽々しく言っちゃダメだぞ?」

「違うんだよーカエデせんせー? これにはふっかーいわけがあるの」

「どれくらい深い? 言ってみ?」

「マリアナなんとかくらい深いよ」

「そんなに……?」


 神戸が話すと長くなりそうだと思ったのか、涙目になりながらも話を横から聞いていた御調が楓さんの肩を叩いて連れていってくれた。なにかと彼女も苦労しているのかもしれない。


「……あのさ、ユキせんせー。今日から勉強会、毎日お願いしてもい? 授業だけじゃなくて、別のことも教えてほしくて」

「別のこと……?」

「そう。わたしに必要な、大切なこと」


 なるほど。教わるだけじゃないのだから、ちゃんとした教え方も教えてほしいってことか。とはいえそういうのは専門の人、具体的に言うと楓さんに言うべきだと思う。

 神戸はなにやらもじもじしながらもったいぶっている。あれ、もしかしてなんか違う?


「それはねー、勉強の教え方! ねっ、なんだと思った? なんだと思ったー?」

「まあ、そうだろうなぁと」

「あれっ!? ちょっと意味深な言い方したんだけどな!? えー、俺のこと知りたいのかなとか勘違いするとこだと思うんだけどなー」

「それはないかなぁ」


 それでも神戸は当ててもらえたのが嬉しいのかぶんぶん首を縦に振っていた。とてもかわいい。


「でも、そういうのは俺じゃなくて楓さんに聞いたら? 俺は神戸たちのことをある程度は知ってるからこういう教え方がいいかなって言えるけど」

「でも、わたしもツムギたちのことはよく知ってるよ? 他の子もみんな、ある程度わかってるし」

「あー……確かに」


 俺の場合はなんとなくつまづきやすいところがわかるっていうのもあるわけだけど、まあその辺は神戸も通ってきたからなんとなくわかるだろう。


「わかった。なら今日から見るよ」

「やったぁ! ありがとー、ユキせんせー!」


 今にも飛びついて来そうな神戸を、たまたま通りかかった夏葉が止めてくれた。なんというか、今日はいつもより大胆な動きが多い。そして三島からの視線が痛い。


「随分仲良くなったみたいだけど、なにかあった?」

「あー、いや別に」


 あくまでクラスメイトとして尋ねてきた夏葉に曖昧な返事をする。別に言いふらすような話でもないし、これは神戸が解決すべき問題だろうから、俺から口出しすることはない。

 とはいえ夏葉からすれば今の状況が心配なのは確かだろう。どう説明したものかと頭を悩ませていると、不機嫌そうな楓さんが戻ってきた。


「……ゆきぃ! なんでそーゆーのあたしに言ってくんないの!?」

「うっ……せぇな! 耳元で叫ぶなよ!」

「はぁ!? あたし担任なんですけど!?」


 だからなんだよ。こんなこと言っても原因は俺にもないわけではないわけだし、向こうもそういうものだと思ってるんだからどうしようもないんだよ。それこそ、大事な友達に怒られるくらいしないと。それに、せっかくできた生徒との関係を崩してほしくはない。

 事の顛末を伝えたであろう御調はまだ落ち込んだ様子だったけど、厄介なことになっているこの状況にただひたすらため息をついていた。なんかごめん。


「楓さん、その辺にしてあげて。……優希がどういう性格かはよく知っているはず」

「それは、そうなんだけどさ?」

「あのね、カエデせんせー。わたしのせいなんだ」

「栞凪のせいとは言わないけどさぁ。うーん……」


 俺がどういう性格なのかも、神戸がどういう状況にあるかも理解している楓さんは複雑そうな表情で唸っている。しばらくして結局御調に縋った楓さんは「知らんがな」とあしらわれていた。いや、あしらっているように見えて御調の方も相当滅入ってるな。

 こんなことになっている原因とも言える三島はいつの間にか教室から消えていた。


「じゃあ、行こっかユキせんせー」

「場所は、いつもの?」

「うん。あっ、なっちゃんも来る?」

「仕事。ごめんなさい」

「ううんっ! がんばってね!」


 最後まで俺たちの様子を心配そうに見ていた御調に心配ないと視線で伝えると、こくこく頷いて彼女も帰り支度を始めた。そのうち事情はわかると思うけど、今は少しだけかわいそうだと思う。

 とりあえず二人で会議室に向かう。こういうことは前までは考えられなかったので少しだけ楽しかったりする。


「はぁ……」

「大丈夫か?」

「うん。なんか、ユサからの視線が結構しんどいかなーって」

「ああ……」


 心底嫌いというわけではないのだろう。それは神戸の呼び方から伝わってくる。普段の距離感から考えてみても、神戸と三島は決して悪い仲ではなかったと思う。


「だから、うん。ユキせんせーはすごいんだぞってちゃんとわかってほしい。それで、謝ってほしい」

「そっか。なら、頑張らないとな」

「うんっ!」


 まずは神戸がちゃんと理解していないと意味がない。教え方もそうだけど、間違ったことを教えるのは一番良くない。


「てことで、今日も小テスト」

「うんっ! あれ、昨日も作ってくれてたよね……?」

「いいから。やるぞ」

「えっ、えっ! うんっ!?」


 別に小テストを一人分作るくらいなんでもない。それで神戸が頑張ってくれるならいくらでもやってやる。小テストを手渡すと、真剣な顔で解き始めた。

 最初はこのくらいの問題量だと十五分くらい時間がかかっていたけど、最近は五分もあれば解き終えられるようになってきていた。かなり成長を感じる。


「終わった!」

「ん。ちなみにわからなかったところは?」

「特には」

「なんでわからないところなくなったか、わかる?」

「ん、んー? ユキせんせーが教えてくれたから……?」

「それはそうなんだけど。じゃあ、なんで神戸は学校の先生に教えてもらってもできなかったところが、できるようになったと思う?」


 考えてみた方がいいかと思って聞いてみたけど、神戸からの返答はあまり正しくはないものだった。いくつか返答を聞いて、そうじゃないと返す。


「あっ、わかった! ユキせんせー絶対全部は教えてくれないよね! 今みたいに!」

「そう、それ。最初は結局全部教えないとわからないから、ほんとの先生は全部、一から十まで教えないといけないけど。俺たちがやってる二回目はなんか聞いたことあるなぁ、くらいのことでもいいから考えてみるのが大事……だと、俺は思う。あくまで俺の考え方だけど」

「ううん、参考になったかも。ありがと」


 こういうのは感覚の問題な気もするし、神戸は神戸なりの教え方があるのかもしれない。だからあくまで俺なりのアドバイスという形で伝えたけれど、神戸はなにやら考え込み始めてしまった。


「なんかわかったかも」

「それならよかった」

「いつもほんとにありがと」


 改まってそう言った神戸は、どこか吹っ切れたような顔で笑っていた。

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