10.初恋の人と彼女の秘密

 勉強会を終えて神戸たちと別れた俺たちは、そのままの足で駅に向かっていた。夏葉を出迎えるためだ。

 帽子を目深く被った燈はナチュラルに俺と手を繋いできて、少しだけ焦る。外ではお兄ちゃんと呼ばないから、なおさら隣を歩く女の子が明石友梨だとバレたときに怖い。

 駅に着いた俺たちは、すぐに目立つアッシュグレーを見つけた。


「あ、あれ。相変わらずめちゃくちゃわかりやすいねぇ」

「変装って知らんのあいつ」


 そこにいた夏葉は眼鏡をかけただけで変装できていると思っているのか、堂々とした様子で注目を集めていた。


「変装なんて知らんねあいつ。おーい、夏葉ー」

「ばっかおまっ、お前が大声で呼ぶな!」

「ゆき……お兄ちゃんが大声で呼んだ方が変でしょ!?」

「……たしかに。いやもっと近く行けばいいだろ……」


 わざと大きな声で「お兄ちゃん」の部分を強調した燈は、わざとらしく俺の腕に抱きついてきた。世の中には恋人のことをお兄ちゃんと呼ぶ人もいるかもしれないだろ。燈、やめよう。


「ああ、優希も迎えに来てくれてんだ」

「燈だけだといろいろ心配だし。夏葉こそ、一人でここまで?」

「いや、マネージャーさんに送ってもらったよ」


 なら家まで送ってもらえばよかったのでは? と思ったが燈と夏葉が楽しそうにしているのであまり気にしないことにした。それに、家に帰りたくもないのだろう。

 二人が歩く後ろを歩く。時折「ね、お兄ちゃん」と燈が話を振ってくれたので、誤解されることはなかった。夏葉は自分が変装できていると本当に思っていたらしく、俺と燈が指摘するとすぐに帽子を被ったりしてくれた。


「でも、なんで急に帰ってきたの?」

「まあ、ちょっとね」

「わたしも聞いてないことってあんまないからちょっとびっくりしたんだけど?」

「家に着いたら話す」

「まあ、いいけどさ。せっかく帰ってきたんなら、またたい焼き屋とか行こうね」


 珍しく、夏葉にしてはもったいぶる話し方だった。クール担当として慣れてきたのかもしれない。その担当っているのかなぁ、と思ってしまう。どっちもキュートでいいだろ、かわいいんだし。

 燈の方はあまり気にしていないらしく、夏葉となにをするのかばかり考えていた。


「でもまあ、優希もあれだね。大きくなったね」

「同い年だからな」

「夏葉姉とお兄ちゃん会うのいつぶりだっけ」


 完全に外の気分ではなくなったようで、燈は夏葉姉、お兄ちゃんと自然にいつもの呼び方で呼ぶようになった。家に近づくと段々と視線も減ってきた。二人のファンなら二人が箱林出身ということを知っている人も多いが、近所の人はあまり外にそれを言わないので助かっている。

 夏葉はとりあえずうちに寄って話がしたいらしく、俺たちの家の隣にある夏葉の家をスルーして、三人で家に帰ってきた。玄関の鍵を開けると、いつもは大人しい飼い犬の紅葉が飛びついてきた。


「わっと……もう」

「紅葉、こっち来なさい。夏葉お姉ちゃんちょっと休ませてあげなさい」

「ああ、うんうんわかったわかった。紅葉、後で遊ぼうね」

「このやろ、なんでわたしには懐かないんだ……」


 なぜか燈にだけは懐かないが、俺と夏葉には――特に夏葉にはよく懐いていた。だから、こうして夏葉が来ると離れなくなってしまう。

 夏葉と俺で引きずりながら部屋の中に連れていくと、ようやく少し大人しくなってくれた。でも夏葉から離れることはなかった。


「それで? 夏葉姉が急に来るってまたどういうこと?」

「ああ。優希が喜ぶと思う」

「俺が?」

「わたし、転校することになった。再来週からわたしも箱林生」

「はぁ!? えっ、聞いてないんだけど!」


 燈は紅葉の夕飯を準備しながら夏葉がなんでもないように言った言葉に、燈はやや怒りながら言った。ファンの前だけでなく本気で仲良しの二人だからこそ、こういうことは早めに教えてほしかったのだろう。

 そしてもちろん、俺も早く教えてほしかった。


「ぶっちゃけ他所で滞在することがそんなになくて。事務所側もその辺面倒らしくて。なら、家から燈と一緒に行動した方がいいって話。だからこっちに帰ってくる」

「そっか。なるほどな、たしかに嬉しい」

「えっ」

「なんだよ」

「……喜ぶとかっていうのは冗談だったけど。まだわたしのこと好きなの?」

「……いつの話してんだよ」


 この女はまたそういう事を掘り返してくる。いい加減忘れろと思う。俺の初恋が夏葉だったなんてことは。

 後に考えたら俺が燈と夏葉、楓さん以外の異性と関わりがなかったことを考えたらそれも別に恋心ではなかったと言えて。夏葉も「だろうね」と言ってそのときのことを笑っていた。


「まあ、でも、優希が喜んでくれたら嬉しいなと思ってたのは本当。勉強も多少不安なところがあるから、時間があるときは楓さんに聞いて勉強会、行ってみたいと思ってる」

「そっか。他の二人がどう思うかわからないから、さりげなく聞いてみる」

「ありがと」

「あ、じゃあじゃあ次遊びに行くの、夏葉姉も一緒に行こっか」

「デートは?」

「なし! せっかくだし七日にして星島さんも誘っちゃおうか!」

「星島さん死んじゃうよ、やめたげて」


 燈だけならまだしも、そうなると夏葉とは初対面になる。推しに初対面で挟まれるのはやばい。

 そんなハイテンションな燈に対して、夏葉は真剣な表情で俺を見ていた。


「……あと。これは言おうか迷ったこと」

「迷った?」

「燈はともかく、多分優希は絶対知らない。今日声を聞かせてくれた子のこと。聞く?」

「俺が聞いてもいいことなら」

「それは、わからない。もしかしたらその子は嫌がるかもしれないね。でも、特別な『先生』をするなら、それを知っておくことも必要かもしれない。その辺りは任せる。わたしと、あとは多分燈も。彼女のことを知っている」


 先生ということなら不用意に個人の場へ踏み込むべきではない。どこで何をしていようと、それが危険なことでなければひとまずは見て見ぬふりをしてやるのも大切だと思う。そして、なにより俺は本当の教師ではない。

 でも、俺は彼女たちにとって少しでも助けになれたら、と思ってしまっている。それなら神戸が何をしているかも知っておくべきかもしれない。いや、これはきっと俺が知っておきたいだけだ。


「聞く」

「うん、いいね。燈もおいで。これ」

「これは……あっ! そうだ!」

「どういうこと?」

「神戸先輩、配信者のシオリさんだ!」


 「なんで今まで気づかなかったんだろ」と言いながら、燈は自分のスマホを開いて、夏葉が開いているのと同じ『シオリ』のチャンネルにたどり着いた。


「日常生活を話すだけの配信なんだけど、そのときに共感してくれたり怒ってくれたりするのが話題になって、ネットじゃちょっとした有名人。それから、わたしの……うん、一番に近いオタクさん。髪は自分で染めてるんだって、この前の握手会で言ってた」

「あ、あー! わたしも見たことある! あ、あれ自分でやったんだ……!?」

「そうなのか……」


 あまりにも綺麗な髪色だ。俺なんかでも、神戸は褒められたら嬉しいのだろうか。素直に褒めたらどういう反応をされるのか、少し怖い。

 画面の中で動く『シオリ』は本当になんでもないことを話すだけで、コメントも緩い感じで会話をしているようだった。


「つか、登録者十万人……」

「すごいよね。毎週火曜と木曜は配信してるんだよ」

「火曜と木曜は用事あるって言ってたけどそういうことか……」


 わざわざぼかしているなら、言う必要もないかもしれない。ただ、知ってしまった以上はやっぱり少し気を遣ってしまう。


「それとなく聞いてみたら? 無理ならわたしが間に入ってもいい」

「サンキュ。でも、その辺は俺が聞くべきことだと思うから」

「そっか。偉いね」


 彼女たちのことを知ったつもりになったわけではないが、俺の知らない世界で彼女たちはがんばっている。そんなすごい彼女たちに、俺はこの先勉強を教えていけるのか。少しだけ不安になった。

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