36.クラスメイトのおまじない
いつも通りの日々。友達となんでもない話をして笑う、そんな日常。
わたしたちがそうやって歩いていると、友達の一人が教室のドアのすぐ近くの席で座っていた人にぶつかった。
「っ、邪魔なんだけど」
ごん、と大きな音を立てて机が壁に当たった。
「ちょっ……!」
「悪い。邪魔した」
咄嗟に声を出しかけたわたしにちらりと視線を向けて、彼は視線でわたしに黙るように言ってきた。
「ちっ……ほんと邪魔だよねー。クラスに馴染んでないって感じ」
なんてことをするんだ。そうわたしが言おうとしたら、蹴られた席の人は静かに去った。なんで怒らないんだ。なんでわたしのことを庇うんだ。言いたいことはたくさんあるけど、今は言えない。言ってしまうのがすごく怖い。
明石優希の不器用な優しさを無かったことにするのが、すごく怖い。
「行くよー栞凪。……大丈夫?」
「う、うん!」
ああ、つらいな。なんでこんな子たちと仲良くしちゃった……今、なんてことを考えたんだ。
こんなわたしが、友達のことをこんな子、なんて思ってしまった? そんなことを考えてしまうほど、わたしは最低な人になってしまったんだろうか。わからない。一体いつからこんな人間になってしまったんだろう。
お昼休みだというのに教室にはもう誰もいない。いや、一人何食わぬ顔でなっちゃんがご飯を食べているけど。なんかそういうオーラを包み隠さないまま、何にも言わずに黙々と食べている。きっとこの空間を作っちゃってるのはわたしたちだ。
「でさー、あいつ普通にキモくて。付き合うとかなんとか言ってたけどフツーに無理だっての」
「えー、それマ? てか栞凪、聞いてる?」
「えっ、えっ? ごめーん、ちょっと聞いてなかった! なんのはなしー?」
「はー、ほんと最近付き合い悪くない? カンナさ」
「ご、ごめーん!」
そういう話、苦手だなぁ。そう思っていても言い出せるわけないし、でも次に思うのがユキせんせーがいなくてよかったな、ってことくらいでなにも話ができない。そもそもわたしなんて恋愛経験もないし、ユキせんせー以外の男子にそんなに興味持てないって言うか。
それでも、せめて会話を楽しく終えてもらうために笑って相槌を打つ。そこにわたしの話は必要ないんだ。
「そんで、栞凪はなんかないの?」
「わたし? わたしはないよー」
「嘘つけってー。なー? 人数だけでも言って?」
「ぜ、ぜろですー! いませーん!」
なんでわたし、ここにいるんだろ。そうだ、明るい人が好きで、明るいところにいたくて。何もしなくても一人にならないところにいたくて、ここに。
なんだ、ならここじゃなくてもいいじゃん。わたしにはユキせんせーがいる。ともりんもなっちゃんも、星島さんもいる。みんなこの子たちよりすごい人で、友達って言えるだけですごい人だ。
「……えっ?」
違うだろ。それは絶対にダメでしょ。なんだ、友達が友達よりもすごいって。なんだ、友達って言えるだけですごいって。
それってまるで、中学のときにユキせんせーに怒られてたあの人みたいじゃないか。ユキせんせーが一番嫌いな、ともりんたちと話せることをすごいことだと勘違いしている人たちと同じじゃないか。あのときはともりんのお兄ちゃんだっていう噂が原因だと思っていたけど、今ならちゃんと、わかるはずなのに。
「栞凪、だいじょぶそ?」
「……ごめんちょっとトイレ!」
吐きそう。顔色は多分あまりよくないけど、わたしの友達は「さっさと戻ってきてよー」なんて笑っている。一人だけ、わたしのことを見て眉をひそめている子がいた。
ごめんなさい。見ないでください。そう心の中で呟いてしまった。認めてしまった。
トイレに駆け込んだわたしは、そのままさっき食べたものをそのまま吐き出した。
「うっ……おぇ……」
早く戻らないと。急がないと居場所が無くなる。急がないとダメなのに、頭と身体は上手く一致しない。
「……落ち着いて。よし、よし。ゆっくり、息を吐いて」
「うっ……」
「大丈夫。吐き出して大丈夫だから」
背中をさすりながら誰かが声をかけてくれる。そういえば鍵をかけていなかった。そんなことはどうでもいい。わたしが恥ずかしい人間だなんて知っている。それよりも、今は申し訳なさの方がずっと強かった。
「これ。口をゆすいで。大丈夫、立たなくていい。まだそのままでいいから」
「ごめん、なさい。ごめんなさい」
「大丈夫」
手渡されたペットボトルの水を口に含む。くちゅくちゅと口の中でその水を行き来させて、そのまま便器へ吐き出す。
「ごめんなさい。ごめんなさい、流川さん……」
「なっちゃん、じゃないの? 仲良くなれたと思ったのだけど」
「違うの。わたしも同じだったの。ダメなんだよ」
何を言っているのかわからないだろう。でも、これを説明するのがとてつもなく情けなくて、恥ずかしくて、気持ち悪い。
「わたしも、みんなのこと、自分のためのだって。そう思って」
「そう。それで?」
「だか、ら……ごめんなさい。もう、やめます」
なにをやめるんだ。適当なことしか言っていない。ごめんなさいだけ言っていれば許されるとでも思っているのだろうか。
結局わたしは、何がしたかったのだろうか。
「本当に言いたいのはごめんなさいじゃないはずだけど」
「……ユキせんせーには! ユキせんせーには言わないでください……えっ? やっ、ちがっ……!」
違うだろ。それは絶対にダメでしょ。言い訳にもならないでしょ、それは。ぐちゃぐちゃの思考の中で見えた最低な答えに、また胃の中から気持ち悪いものが上がってきそうになる。
ああ、そうか。わたしはただただ人に嫌われたくないだけの汚い人間なんだ。薄々気づいてはいたけど、自覚するとかなり傷ついてしまう。それなのに流川夏葉という人は、なんでもないように淡々と。
「わかった。優希には言わない。燈にも、星島さんにも」
「なんで……?」
「……あなたはわたしを友達だと思ってるから? なんで……難しい質問だね」
「違うって……わたしは」
「スパタマの夏葉じゃないわたしに、なっちゃんなんて可愛いあだ名をくれた」
なっちゃん。勝手に呼んでるだけの、なんでもないただのあだ名。でも、テレビでなっちゃんが出てると誇らしくなるし、友達と話してるときになっちゃんやともりんの話になるとつい口を出したくなる。出したことないけど。
「友達がすごいことを自慢したいって、そんなに悪いこと?」
「悪くない、けど」
「神戸さんは、わたしのことを友達に自慢するためだけに仲良くしようと思った?」
「違う!」
「ならよし。ほら、そろそろ立って。はい、口元を……こう」
ぐいっ、となっちゃんはわたしの口角を持ち上げた。鏡はないけど、きっと今のわたしは酷い顔だ。
「……よしっ!」
切り替えなくちゃ。なっちゃんがそう言ってくれるのなら、今はとにかく笑っていなくちゃ。そうじゃなきゃ、なにもかもなくなってしまう。
なっちゃんの優しさすらも、なかったことになってしまう。ユキせんせーの努力も、優しいも、なにもかも全てわたしの手で台無しにすることになってしまう。
そうなったら、ユキせんせーはわたしに失望するかな。最後まであの人にどう思われるかしか考えられない自分が嫌になるけど、笑顔だけは無くさずに。
「でもやっぱり最後に、ごめんなさい。それと、ありがと!」
「うん。またね」
スマホにLINKがきてた。ユキせんせーからだ。『ほんと気にすんなよ』とのこと。一体どれのことだろうかと少し思い返してみて、机の件だと気がついた。
心の中で二回ごめんなさいと唱えて、わたしはとびきりの笑顔を貼り付けて女子トイレから出ることにした。
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