29.自信のないときは

 休日の昼。電車を降りて、何度か通った道を歩いていた。そのときは大抵楓さんと一緒だったけど、今は一人だ。道はある程度覚えているものの、その道を歩く足取りは少し重い。

 それもそのはず、これから行く場所は星島さんの家だからだ。それだけなら良いのだが、今日行く理由は星島さんにだけ個別で足りない分を教えるということなので、当然二人きりということになる。神戸と二人でいることも増えたし変わった状況でもないけど、それでもやっぱり緊張はする。


「まあ、言ってられないよな」


 この提案をしてきたのは星島さん本人だ。前までだったら俺の顔色を窺って言い出せないまま終わっていたのに、今回は自分から切り出してくれた。

 そもそも、勉強会を始めるようになったからといって星島さんが学校に登校して当たり前に授業を受けられているかと言えばそういうことでもない。ナナホシとして仕事があるようで、忙しい日は続いているらしい。両親のことだけでなくそっちも忙しいとなると、俺は何も手伝ってあげることが出来ない。

 しばらく歩くと何度が来た家に着いた。その家の窓からひょっこりとかわいらしい顔を覗かせていた後輩は、俺の姿を見つけるとすぐにカーテンを閉めた。


「先輩っ!」

「遅くなってごめん」

「いえ、こちらこそわざわざご足労いただいて……」

「それは気にしないで」


 燈から聞いた話だが、ナナホシは友梨の事務所と関わりが深いらしい。きっと勉強以外にもすることはたくさんあるのだろう。それなら特になにもない俺が来た方がいいに決まっている。

 それはそれとして、星島さん的に俺に部屋を見られたりとかは気にならないのか、という気持ちはあるが。


「暑かったですよね、お茶の準備しますので向こうの部屋で待っていてください!」

「あ、うん。お邪魔します」


 健気だ。確かに少し暑い時期になってきたが、まだ言うほどじゃない。それでもぱたぱた急いでお茶を用意する姿はとてもかわいらしいなと思えた。

 星島さんに言われた部屋で待っていると、すぐに彼女は戻ってきた。冷えた麦茶を用意してくれた星島さんは、俺の前にそれを置いて自分は机を挟んで向かいに座った。以前来た部屋よりも少し散らかっているのは、主にカメラ関連のものと学校のノート類がそのままにされているからだ。星島さんは床のノートに手を伸ばしてその状況に気づいたらしく、恥ずかしそうに部屋を片付け始めた。


「あの、すみません散らかっていて……」

「いいよ、大丈夫」


 それほど散らかっているわけでもない。俺の部屋は燈のおかげで管理されているが、そうじゃなかったら俺の部屋はもっと酷い有様になっているだろうから、あまり気にならないだけかもしれないが。

 ノートをまとめてカメラの類は触れないまま同じ位置に座った星島さんは、どこか落ち着かない様子でペンを握った。


「始める?」

「あ、はい。よろしくお願いします。その、本当にすみません。本当はわたしの方が伺うべきなんですけど……」

「何度も言うと怒るよ」

「は、はいっ! えと、では。ここから教えてもらってもいいですか」

「ん」


 星島さんが見せてきたところは以前までより少し発展した、それでもまだ基礎の域を出ないような問題。それでも、星島さんにとってはかなり成長を感じるものだ。


「この問題はちょっと戻って……ここ、どうやってやった?」

「えっと、ここはそのまま解きました!」

「そのまま、というと公式に当てはめて?」

「公式? えっと、前から順番に……」

「まさかの脳筋」


 一問解くのにどれほど時間を費やしたのだろうか。俺が頭を悩ませていると星島さんは俯いてしまった。


「怒ってな……」

「わかってます。でも、少しでも先輩にいいところ……は無理でも、成長しましたって言いたかったんです。なのに、なかなか上手くいかなくて。今回は落ち込んでるとかじゃないです。ただ、なんか明石先輩にいいところを見せられないなって……」

「ん……?」


 俺なんかよりずっとすごい、と言っても頷いてはくれないだろうが、それでも星島さんは自分の才能くらいはわかっているはずだ。なぜなら、そんなに慕ってくれている俺と燈がベタ褒めたのだから。俺の言葉にはたいした力なんてないけど、どうやら神戸や星島さんにとっては大きな影響になるらしい。

 だから、星島さんが俺にいいところを見せられていないなんてことは無い。だけど、それ以前に。俺は星島さんに何も望んでいない。もちろん理由はある。


「そうだなぁ……」

「先輩?」

「今日はちょっと勉強やめにしようか」

「えっ、ええっ!?」

「あ、ここの説明は後でLINKで送るよ。わからなかったら聞いてくれたらいいから」


 圧をかけないようにと思って最初は俺も意識していたが、この子と話しているといつの間にか毒気が抜かれてしまう。そういうところが星島さんの『いいところ』だと、彼女は気づいていない。


「星島さん、お腹空いてる?」

「えっ、えっと……わりと?」

「ん。じゃあ、どっか食べに行こうか」

「えぇ……」


 わけがわからないまま話が進んでしまい、星島さんはこれまでにないくらいの困惑の表情を見せた。

 ここからは全くのノープランなわけだが、とりあえず外に出て考えることにした。星島さんは「外出用の服に着替えてきます」と言っていたので、もう少し時間はあるだろう。

 話題になっているらしい、スイーツが人気のカフェ。こういうところが好きかはわからないが、行ってみるのは悪くなさそうだ。


「お、おまたせしましたー……」

「っ……!」

「へへ変ですよね! 着替えてきま……」

「いや違うから。似合ってるよ」


 以前は動きやすい服装という神戸の指示があった。なるほど、これが星島さんの本気……かわいすぎない?

 小柄な星島さんにはやややぼったく見えるはずのフレアスカートが逆に良い。肩から下げたバッグとカメラもいい感じに個性になっている。


「燈にも負けてない」

「あ、ありがとうございますぅぅ……」


 消え入りそうな声でそう言った星島さんは、恥ずかしいのか俺の背中に隠れてしまった。せっかくおしゃれをしたならもっと見せてほしい、なんて思っていても言えない。


「じゃあ、行こうか。十五分くらい歩くけどいける?」

「はいっ! えと、なんというか……デートみたいでどきどきします、ねっ!」

「そ、うだね」


 本当に思っているのか話す内容が思いつかなかったのかはわからないが、そう言って星島さんは俺の隣に並んで歩き始めた。

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