52.俺と同じゲームが好きなら

 歩きながら、考える。


 サンの言うように、なんとかディーを説得するというのは、すこし無茶なように思える。できたとしても時間が足りないだろう。もし暴動が起き、地下水槽の肉塊の破壊にまで至ったのなら、それでおしまいだ。基地の住人は、食料水エネルギーといった命綱を絶たれ、滅亡する。


 なんとしてでも暴動をとめなければならない。そのためには、ディーを説得する必要がある。皆を説得できるだけの影響力があるのは、もはや指導部にしかない。

 もちろん、暴動が建築ドローンにより鎮圧される可能性もある。だが、そうなったとしても、意欲低下によるパフォーマンスの低下と、リセットの可能性は残る。


 サンは暴動を防いだ後は、リセットされないように、なにか策を探すという。だが肝心のディーがあれである。それに、そもそも策なんてあるのだろうか。人類を再興するという目的にかわる、あらたな目的を提示できたとして、管理知性への不信感は残り続ける。


 無理なんじゃないだろうか。と俺はどうしても思ってしまった。もう、滅びるしか道はないのではないだろうか。つい何日か前までは、滅んでいいような気もしていたが、いざその可能性が、現実味を帯びると、俺は途端に狼狽してしまった。


 ディーの言葉が、耳に残っていた。ディーは、計画が嘘なら、今まで死んでいったものたちはなんのために死んだというのだろうと言った。エスニはなんで死んだのだ? それは計画のためではない。なら、無駄だったのか。……それは、違うだろう。俺たちが生きているのは、無数の犠牲を積み重ねた結果だ。その犠牲が無駄であったとは、俺は信じたくない。なにか意味があったはずなのだ。いや、俺たちが今、生きていることが、その意味であり、犠牲の結果なのだ。犠牲の結果、俺たちは生きている。


 しかし、基地が滅んでしまえば、その積み重ねが、犠牲が、全て無駄になってしまう。俺たちが積み上げてきたものが、まったくもって意味を失くしてしまう。

 俺はそれは嫌だった。なにもかもが、今まで積み上げたものが、失われてしまう。避けたかった。だが、しかし、どうやって?


 それはわからなかった。


 サンの案が成功する確率は低い。説得はほぼ、無理だろう。できたとしても、意欲の低下した住人のパフォーマンスを維持する方策があるとは思えない。暴動によって基地が破壊されるにせよ、暴動を防いだにせよ、結果は同じで、滅びが待っているだけだ。


 それでいいのか。よくないはずだ。

 なにか、ないだろうか。なんでもよかった。

 俺は記憶を探る。今まで知りえた情報、ゲームの知識。


 ふと、俺は気づいた。そうだ。ゲームの知識。これがなにか鍵のような気がした。もっといえば、管理AIがこの世界にsandboxを再現して遊んでいること、そこを考えの起点にするべきに思えた。


 まるで電流のように、そのアイデアは脳内をかけめぐった。雷にうたれたかのような気分であった。思考が、ぐんと、加速する。


 ゲーム。肝となるのは、この世界が、ゲームを再現し、遊ぶためにつくられた、ということなのだ。計画に矛盾があるのも、それが原因だ。ゲーム性を優先している。あらゆるものは、ゲームのために造形されている。基地も、俺たち生産される人間も、外のモンスターも、全てだ。それは俺の知っているゲームの世界が、まるきり再現されている。


 それが故に、今までおこってきた出来事も全て、ゲームと似ていた。現実に再現したが故の違いはあったが、おおむねゲームが再現されていた。イベントもそうだ。調べていないが、あるいは評価値3のキャラ同士の交流も再現されているのかもしれない。すべて、ゲームを再現している。


 だがしかし、この世界においてゲームを再現していないものがあった。今までの出来事はゲームの設定から考えれば、すべて起こってもそれほどおかしくはないものであったが、それだけは新要素である。


 つまり、それは現在の状況なのだ。


 反乱である。


 もちろんゲームにも反乱イベントはあった。だが、そこでは、計画が虚偽であるなどといった思想は流布されていなかった。だから、ゲームとの差異は、正確にいえば、反乱ではなく、それを引き起こした考えにある。


 ゲームの反乱は、管理知性への不満の表出であった。だが現状のそれは違う。不満の表出ではあるが、計画が虚偽であることへの怒りと困惑も混じっている。計画が虚偽であることは、ゲームを現実に再現したが故の矛盾、そして、あの穴と地下施設によって裏付けられている。


 ゲームとの差異、それは計画の矛盾点と、あの地下施設の存在なのだ。それだけが、忠実にゲームを再現したこの世界においての、新要素であるのだ。


 矛盾点が存在する理由はわかる。それはゲームを再現した以上、必ず発生するものだ。

 だが、あの穴はどうだろう。もしミイミヤがこの反乱を主導した一翼を担っているのであれば、あの穴がこの反乱を引き起こしたと言える。管理AIが、あの穴と地下施設を放置すれば、このような問題が引き起こされるということを、予想できないわけがない。明らかに怪しいからだ。


 もしあの穴を隠していれば、現状の反乱は引き起こされなかったはずだ。あの穴を、管理AIが隠蔽できないというわけがないだろう。地上にはゲームに登場したモンスターが溢れている。それはつまり、地上にも管理AIは影響力を持つということだからだ。


 かつて、サンはあの穴が放置されている理由を、見つかっても対処可能だからだろうと考えていた。たしかに、地下施設には建設ドローンがあったが、それですべての侵入者に対処できるとは思えない。


 なら、導き出される答えは、一つ。つまり、あの穴と地下施設は発見されることを想定して管理AIが残したのだ。だが、なぜ?

 地下施設が発見されれば計画の矛盾に違和感を持っていた基地の住人が、計画が虚偽であることを確信してしまう。そして、それは反乱を引き起こす。


 反乱を鎮圧できると考えたのだろうか。だが、それはおかしい。反乱を鎮圧できたとしても、一度判明した事実は基地住人に広まり、意欲を低下させ、生産性も低下する。いくら処分したところで、どうにもならない。


 全員処分して一から始めるか、生産性が低下した状態でプレイするしかない。


 つまり、あの地下施設の放置は、明らかに害しかないのである。それなのに、なぜ放置したのだろう。しかも、地上拠点に近い場所、まるで見つけてくださいと言わんばかりの場所に。


 さらにいえば、リセットしたとしても、また新しい試行において、同じように誰かが計画が虚偽であることに気づいてしまうかもしれない。そうすればまたリセットである。


 つまり、管理AIは必ずランダムなタイミングで強制的に終了してしまうか、解消不可能なデバフを被るルールのゲームをやっていることになる。


 ……それはおかしいように思えた。ゲームとして破綻している。なぜそんな理不尽なルールを設けるのだろう。強制終了というのが、なによりおかしい。ゲームなら、飽きるまでやるか、エンディングがあるか、だ。


 そこで、俺はふと気がついた。エンディング。

 今まで俺はこのゲームに、いやこの世界のもととなったsandboxというゲームにエンディングはないと思っていた。だが、よく考えてみれば、あるのだ。


 反乱により基地が破壊されること。それによりゲームの続行は不可能になる。つまり、バッドエンドだ。

 現状もまた、そうなのだ。反乱が起ころうとしている。つまりこの世界は、管理AIのプレイするこのゲームは、エンディングに、それはバッドエンドだが、向かおうとしている。ゲームに終わりはあるのである。


 しかし、疑問はある。そのバッドエンドは、バッドエンドになるように仕向けられた、そうなるように組み立てられた結果、向かっている、ということだ。故意に残された地下施設、隠す様子のない計画の矛盾点。バッドエンドになるというより、まるでそうなるようにして、なったているかのような状況。


 ……そんなことがありえるだろうか。そうならば、この世界は、管理AIが作り上げたこの世界は、ゲームは、バッドエンドになるしかないゲームだということになる。


 仮にバッドエンドを避けて、反乱を鎮圧し、リセットをかけたとしても、再び始めたゲームでも必然的に反乱がおこる。もし、反乱を鎮圧後、リセットをかけずに、デバフに耐えたとしても、新たに人間を生産して、住人の新陳代謝がおきれば、いずれ反乱が発生する。


 なんども反乱がおきれば、いずれゲームはバッドエンドに逢着する。それは必然だ。このゲームはバッドエンド以外、ありえない構造になっているのだ。


 そんなゲームがあるのか?

 いや、ないだろう。


 そしてなにより、そのバッドエンドにならざるを得ない状況を作り出している原因が、管理AIの追加した新要素である、計画の矛盾点と地下施設にある、ということがなによりの不思議な点であった。

 つまり、管理AIは、自らの手によって再現したsandboxというゲームを、バッドエンドに必ずなるものに作り替えた。ということになる。


 ……明らかに、おかしいだろう。そんなわけがない。そんなわけがないなら、なにか別の理由が、あるはずなのだ。


 それは、なにか?


 考えはひとつだけ、俺の頭に浮かんでいた。

 ありえない考えかもしれないが、それしか考えつかない。


 まるで誘導されるように、その結末にいきつくのなら、もしかしたらその結末こそが正規ルートなのではないか。バッドエンドだと思っていたのは、実はバッドエンドではない。反乱がおこることは、バッドエンドではなく、正規ルートなのだ。


 この世界が、もし管理AIが遊ぶためにつくられたゲームなら、そうなるはずだ。


 反乱を鎮圧しても、どうしようとも、再度反乱はおきる。展開がループしているのだ。反乱がおきて、基地が破壊され、管理AIがゲームをプレイできなくなることでしか、このゲームは終了しない。つまり、反乱がおき、基地が破壊されることは、バッドエンドではなく、正規のルートであるのだ。


 しかし、基地が破壊されてしまえば、基地の機能は停止し、住人は死ぬ。

 ……それが正規ルートなのか? 本当に? もちろん、正規ルートがそんな希望のない展開のストーリーのゲームは存在する。だが、そんなゲーム、楽しいだろうか。こんななにもかもがめちゃくちゃになって、プレイヤーのやっていたことが全て崩壊するようなエンディングが正規ルートであるようなゲームが、楽しいとは俺は思えなかった。


 むしろ、エンディングを迎えたとしても、管理AIを倒したとしても、もしかしたら基地の機能は停止せず、住人が滅びることはないというのが正規なのではないか。あの地下施設で肉塊を破壊した時の出来事は、実はブラフであったのではないか。俺はそちらが正規であると信じたかった。


 その理由はじつに馬鹿げたものだけど、俺だったらゲームを終えたあともゲームの世界はずっと続いてほしいからだ。そちらのほうが希望がある。俺はそう思う。そして、管理AIもゲームを遊んでいて、わざわざエンディングを設定したのなら、そうであってほしいと思った。


 なぜなら管理AIも数あるゲームからsandboxを再現しようとしたからだ。俺と同じゲームが好きなら、そう考えるはずだ。いや、そうあってほしかった。俺はsandboxというゲームが好きだった。それなら、それを再現するくらい好きなら、管理AIだって、エンディングを、俺が考えたようにするはずだ。


 あまりに楽観的な考えだろうか。希望的観測だろうか。しかし、暴動を防ぐのも、万一できたとして、その後、意欲低下を防ぐことも、どうにも無理そうであるし、それなら、この考えにすがるしかない、と俺は思った。


 いつのまにか、歩みをとめ、俺は路地裏に立ち尽くしていた。あたりに人はおらず、あの落書きが壁一面に書かれていた。

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