13.名づけ

 モンスターを倒すと決めたはいいが、まったくの無策ではどうしようもない。作戦を立てる時間は必要だった。あの日以来、俺たちは何度もモンスターのいる場所を視察し、拠点から右方向。ビル内部に潜むモンスターを標的とすることに決めた。それからは、様々な可能性を考えて作戦を練った。だが、いくら作戦を考えたところで、実戦がどうなるかなどわからない。なにしろ、俺もSA-Ⅲもモンスターと戦ったことなど一度もないのだ。その状態で立てる作戦など、机上の空論、さらにいえば妄想でしかない。しかし、それを理解してはいるのだが、踏ん切りがつかなかった。いちど湧きたった勇気が、作戦を練るうちに萎んでしまった。

 だらだらと日数だけが経過していった。


 朝起きて、例の蛇口のある部屋で体を洗いながら、そんなことを考えていると、突然SA-Ⅲがやってきた。

「おわっ、なんだシャワーか」

 俺はびくりと肩を震わす。慌てて体を隠す。「言ってませんでしたか」寝ていた彼女にシャワーに行くことは伝えていたはずだ。

 SA-Ⅲがばつが悪そうに、「ああ、すまん。ちゃんと聞いてなかった。まだ寝てたからな」と言う。「起きたらいないから、どこ行ったんだろうと思って」


 手で体を隠したまま、俺はSA-Ⅲを見つめる。人に裸を見られて騒ぎ立てるほどではないが、まじまじと見られると流石に恥ずかしい。「いつまでいるんですか」

「ああ、私も浴びようかと思って」

「え?」

 SA-Ⅲが不思議そうに言う。

「嫌か? 嫌ならべつにいいが」

「いや、嫌じゃないですけど。むしろ、そっちが嫌じゃないんですか?」

「嫌? 私が? なんで?」


 SA-Ⅲは理解ができないと言うように首を傾げる。そこで、ようやく俺は自分の体のことに思い至った。性別が変わっているのだ。SA-Ⅲが嫌がらないのも道理である。


「あ、そうか。いや、ごめんなさい。なんでもないです」

「?」

 SA-Ⅲが訝しげな顔をする。「まあいいか」呟いて、唐突に服を脱いだ。「うわわっ」俺は思わず目を背ける。いや、まあ同性だと考えると、この態度も当然なのかもしれないが、いまいち慣れない。


 「? なんか変だぞ。どうした」「いえ、なんでもないんです」「ならいいが……」服を床に放り、今度はタイツを脱ぎ始める。なんだか落ち着かない。極力見ないようにしながら、服を洗う。体はまだ洗っていない。寒かった。全身に鳥肌が立っている。しかし、濡れた体のまま服を洗うと信じがたいほど寒いのだ。こうするしか方法は無い。


 しゃがんでタイツを洗っていると、横にSA-Ⅲが入り込んできた。彼女も服を洗い出す。肢体がちらちらと視界に入って、気がそれる。服を洗い終わって、体を流す。寒くてしょうがないので、カラスの行水にもひけをとらないはやさで済ませる。汚れを手で洗い流し、汗と垢を取り除き、髪を流す。SA-Ⅲも負けず劣らず素早い。


 会話をしている暇などないのだ。寒さで口を開けている暇はない。

 水浴びを終えて、服が乾くのを部屋の隅に座って待つ。SA-Ⅲも隣に座る。横を見て、俺はぎょっとする。服を彼女は着ていた。洗っていたはずでは? と思ったがタイツだけ洗ったらしい。その上に着る、制服というか作業着と言うべき上着を彼女は羽織っている。体は乾いていて、髪も乾いている。


 SA-Ⅲは俺を見てにやりと笑った。「私の方が上手うわてみたいだな」「どうやったんですか?」歯の根が合わない。声が震えている。「ズボンを裏返して体を拭いたんだ。頭もそれで吹いた。ズボンはもう洗ってある。これでタイツが乾いたら、それを着て、その後でこの上着を洗えばいい」


 その手があったか。「あ……」衝撃のあまり絶句する。SA-Ⅲが愉快そうに笑う。「寒いと判断力も落ちるからな、しかたない。そっちが震えているのを見て思いついたんだ」「言ってくれてもよかったじゃないですか」

「その時にはもう服を洗ってたんだよ」SA-Ⅲがそう言って、互いに苦笑する。


「風呂ができればいいのにな。管理AIもつくれるだろう」

 SA-Ⅲが言う。まったく、同感だった。風呂も設備あったはずだ。

「そうですね。あと、布団も欲しい。ベッドも」

「そうだな」

 SA-Ⅲが笑んだ。

「そのためには、モンスターを倒さないといけない。一体じゃなくて、たくさん。建設には素材がいる」


 そう言われて、俺は地上の遺跡で行く手を塞ぐ二体のモンスターのことを想起した。SA-Ⅲを見ると、目つきは真剣である。しばし、どちらも沈黙した。居心地の悪い静寂が場を満たす。

「今日だ。今日やろう。実は、それを言おうと思ってたんだ」

 突然、沈黙を破ってSA-Ⅲが言った。モンスター討伐の話を言っているのだ。あの日から、もう数日が経過していた。あの日、つまりモンスターが左右の道を塞いでいることが判明して、モンスターと戦うことを決めた日からだ。もちろんなにもしていなかったわけではない。作戦を練ってはいた。だが、あの決断の日から時が経つにつれ、勇気が薄れてきていることも事実ではあった。作戦が不十分だと理由をつけて、実行の日を先延ばしにしていた。それは俺もそうだし、SA-Ⅲもそうだった。お互い、向こうが言い出さないことにどこか安堵していた。

 SA-Ⅲはこの弛緩した空気を引き締めようとしたのだろう。俺は何より、彼女のその気概に脱帽せざるを得なかった。


「……」

「モンスターだ。倒さないと風呂に入れない。いつまでも冷たい水で体を洗って、それにいつまでも冷たい床で寝ることになる。ベッドで寝たいし、旨いご飯を食べたいだろう」

 俺は頷く。そして、心の中で自らを恥じた。この言葉は本来俺は言うべきだったのだ。信頼値を築くという理由もある。しかしなにより俺はゲームの知識があるというアドバンテージがあるのだ。それならば俺が彼女を先導するべきであった。ところが、今は違う。俺はモンスターに恐怖していた。鼓舞したのはSA-Ⅲだ。

 彼女の鼓舞に対し、俺は奮起するべきであった。それは信頼値をさげたくない、俺の生存という利己的な理由以上に、鼓舞してくれた彼女に対しての義務のような気がした。


「そうですね。やりましょう。今日だ」

 俺が答えると、彼女は頷いた。

「でも、流石に服を着てからにしましょう」

 SA-Ⅲは笑う。「あたりまえだ」


 しばらく互いに笑い合った。なにがおかしいのか自分でもわからなかったが、声をあげて笑った。笑い終えた時に、ふとSA-Ⅲが「あ」と言った。そして手を伸ばして、突然俺の耳の後ろに触れた。髪をかき上げる。突然のことに、俺は硬直する。彼女は沈黙し、真剣な顔つきで、耳の後ろを見つめた。


「なにか書いてある」

「え」

「Sだ。その文字だけ。タトゥー?」


 それを聞いて、俺は、それが俺のキャラ名であることに気がついた。どうやら、タグのようなものが耳の裏に書かれていたらしい。「私はどうだ」とSA-Ⅲが言ってくるので、彼女の赤い髪をかきわけてみると、耳の後ろに黒く「SA-Ⅲ」と書いてあった。それを伝えると、「名前かな」と言った。


「型番みたいなものかもしれないですよ」

「そうかもしれない」

 そう呟いたのち、彼女は思案するように、黙った。そして、俺の方を見て、こう言った。


「思いついた」

「何をです」

「名前。エスにしよう。それがいい」

「……そのまんまじゃないですか」

 そういえば、名前を決めるという話をしていた。

「私はサンだ」

「そのまんまじゃないですか?」

「いいんだよ。この前、私が決めるって言ったが、いいのが思いつかなかったんだ」

 SA-Ⅲ、改めサンが言う。俺はあきれたが、悪くない名前だと思った。エス。いい名前だ。いや、俺は実際、他人に、SA-Ⅲに、いやサンに考えてもらったのが、嬉しいだけなのかもしれない。


「いい名前ですね」

 そう言うと、サンは「そうかな。安直だと思うが」と少し申し訳なさそうにした。あまりにそのまんまなのを、本人も気にしているらしい。俺はそれがなんだかおかしくて笑った。

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