14.戦闘

 やることは簡単だ。俺は自分に言い聞かせる。焦らず、緊張せず、リラックス。

 目の前にはビルのエントランスがある。壁面からエントランスの部分だけ引っ込んでいて、中は陰になっている。ここからは見えないが、中には壊れた扉があり、そしてさらにその内側、エントランスホールに、モンスターがいる。


 俺は今から、モンスターのいるエントランスの前に石を投げる。で、出てきたところにもう一回投げ、挑発し、モンスターに俺の居場所を知らせる。俺のいる場所からエントランスまで、距離はおおよそ二十メートルほど。モンスターが気づいたなら、すぐさまダッシュだ。拠点のある方へ一目散に駆ける。


 鼓動が早鐘のように打っている。手が震える。喉が嫌に乾いている。唾を何度も飲みこむ。焦燥。緊張。リラックスには程遠い。

 目の前には代わり映えのしない遺跡の風景。崩れたビルと、瓦礫の積もった道路。荒廃し、汚れ、ひび割れたビルの合間から見える空は、綺麗な青色をしている。風がビル群を縫うように吹き荒び、獣の鳴き声のような音がしていた。音はそれ以外まったく無い。鼓動の音と、心臓の音と、呼気の音。

 ふっと、俺の脳裡にさきほど、サンと交わした会話が蘇った。


 朝、計画の実行を決めてから、サンと交わした会話は数えるほどしかない。計画の相談はもう何度となくしていたからだ。工程は完璧に暗記している。エレベーターに乗って、遺跡に出て、それぞれ計画で決めた持ち場に向かう前に、サンが口を開いた。会話はそれ以外に無い。


「エス」

「なんですか」

「……いや、やっぱりこの名前、安直じゃないか?」

「まだ言っているんですか。いいんですよ私が気に入っているんですから。悪くない名前ですよ」

「そうか、ならいいが」サンはそう言って笑った後、ふと黙った。「……それじゃあ」


 そう言ってサンは俺がなにを言う間もなく、持ち場の方へ行ってしまった。

 ……なんでこんな気の抜けた会話を今思い出したんだ?

 いや、まあいいか。そう思って、ふと俺は自分が自然と笑みを浮かべていることに気がついた。それで、俺はあの会話が、サンが俺を落ち着かせようとするためにしたのではないかということに思い至った。本当に、つくづく思うが、彼女はよくできた人間であった。


 俺は強く、手に持つ石を握った。そして、構えて、投げた。なんの焦燥も緊張も無かった。普段投げるように、練習の時のように、いつも通りに俺は投げた。まったく滑らかに、投げた石は放物線を描いてエントランスの前の地面に落下して、ここまで響く軽快な音をたてた。


 すぐさま第二球を構える。のそりと、ゆっくりとした動きで、エントランスからモンスターが出てきた。石の落ちたあたりまで来て、立ち止まる。同時に、俺は二球目を投げた。今度も、石は放物線を描いて吸い込まれるように、狙った位置、モンスターの胴体に落下した。ぴたりとモンスターが動きを止め、ばっと胴についたカメラがこちらを見た。


 俺は隠れることなく、道路の真ん中に立っていた。モンスターのカメラがまっすぐ俺を捕らえた。一瞬だけ、俺はモンスターと目が合った。カメラは無機質に俺を向いている。だが、なぜだか俺は殺気のようなものを感じた。全身が鳥肌立つ。今まで切れていたスイッチが突然、また入ったかのように、一挙にセーブされていた興奮が胸の中で爆発した。心臓がどくんと跳ねた。血管がはち切れそうなほど、鼓動する。視界がさっと狭まる。音が消える。時間が遅くなったように感じる。世界に俺とモンスターだけしかいないような気がした。


 モンスターが駆け出すのと、俺が走り出すのは同時であった。回れ右をして、俺は駆けた。やけに、ゆっくりと時間が流れる。水の中で走っているみたいだった。右足を出す、左足を出す、速く、もっと速く。


 目的地はすぐ近くである。俺はビルの前、かつて歩道であったらしき場所を疾駆した。ちらりと後方を見る、モンスターはもう一メートルほどの近さに距離を縮めている。前方に視線を移す。歩道には瓦礫が増え始める。モンスターのいたビル、その横のビルは、完全に崩壊して瓦礫の山になっている。その瓦礫が道路にもあふれているのだ。進行方向に巨大な瓦礫が落ちていて、壁のように行く手を塞いでいる。その巨大な瓦礫こそが、目的地であった。


 瓦礫は歩道の真ん中に落ちている。瓦礫とビルの壁の間には僅かな隙間がある。俺はそこをめがけて駆けた。ちらりと背後を見る、あと少しで、モンスターはその鎌を振り下ろせば俺を殺せる位置まで来ている。


 駆ける。瓦礫が目の前に迫る。瓦礫の前には小さな瓦礫が落ちている。人がひとり隠れることができるサイズである。その横を通り過ぎる。そして、その裏には、あの大鎌のような武器を構えたサンが隠れている。瞬刻、目が合う。サンはにやりと笑ってみせた。眼前には瓦礫とビルの壁面の僅かな隙間が迫っている。俺はそこに体を滑り込ませた。サンの方を振り返る。


 モンスターは背後に迫って、前脚の鎌を俺の方へ突き出そうとしている。そして、その腹の下に、小さな瓦礫と武器、大鎌を構えたサンがいる。サンのまわりに、モンスターの脚が檻のように在る。サンが大鎌を、紫電一閃、さっと振り抜いた。


 大鎌の切れ味は凄まじい。瓦礫を少し力をこめるだけで両断できると言えば、その切れ味がわかるだろう。金属片も勢いをつければ切り込みを入れることができる。

 それがモンスターの脚を斬りつけた。その結果は圧巻である。モンスターの脚はまるで小枝でも切るように、あっさりと鎌によって両断された。モンスターの脚も、人の胴ほどはあるのだが、大鎌にとってはなんの障害にもならない。


 鎌を振った勢いのままサンが壁のほうに倒れ込む。一振りして、三本の脚が両断された。モンスターがバランスを崩す。そして、そのまま前に倒れ込んだ。いや、倒れ込むというより、突っ込んだと言った方が適切だろう。突っ込んだ先には、巨大な瓦礫がある。

 モンスターが瓦礫に突っ込んでいくその光景がやけにスローに見える。


 直後、轟音。たまらず目を閉じた。轟音が響き、やがて恐ろしいほどの静寂。目を開ける。周囲にはもうもうと砂塵が舞っている。口と鼻を手で押さえる。ちらりと横を見ると、煙の中に人影がある。こちらに近づいてくる。サンだ。


 互いに無言でいると、風が一陣吹いて、砂煙が晴れた。前方には瓦礫が飛散していて、モンスターが倒れていた。脚がぴくぴくと動いている。無数の金属片をいっぺんにこすり合わせたような音が、どこかから聞こえた。それは、モンスターの体内から発せられていた。サンが鎌を構えながら、モンスターに近づいていく。俺も後に続く。


 モンスターは、まさに潰れた、と言うにふさわしい姿をしていた。胴が潰れ、血が滲んでいる。血は溢れ、金属の体表面を伝って、地面に広がっている。不思議と血の臭いはしなかった。血は赤い。真っ赤だ。


 モンスターを間近で見るのは、これが二度目だ。動物の皮を剥いで、骨と筋肉だけにして、それをすべて金属で置き換えたような姿。そんな形容がふと頭に浮かんだ。あるいは、機械と動物をミキサーにかけた後、蜘蛛の形にしたような姿、と言うべきか。

 俺たちが近づいても、モンスターは反応しない。前面についていたカメラは潰れている。


 サンがモンスターの上に乗り、鎌を振りかぶって、胴に深く突き刺した。それで、モンスターの動きは停止した。おそらく、胴体に脳か、あるいは機械的な中枢部分があるのだろう。

 サンが鎌を引き抜き、そして俺の方を見た。モンスターの上にサンは立っている。


「やったな、エス」


 そう言ってサンは、破顔した。俺も思わず笑う。「はい」と頷いて、なにか物足りなくて、「やりましたね、サン」と言ったら、サンが驚いたようにしていた。ふと俺は、自分がサンの名前を呼ぶのは、これが初めてだということに気がついた。


「確かに、悪くない名前だな」


 そう言ってサンはまた笑った。

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