44.肉塊
最初に沈黙を破ったのはミイミヤだった。
「乗る?」
「……乗らないわけにもいかないような気もするが」
「危険ではないですか」
「でも、これを逃したらもういけないかも」
「ひとりだけ乗るか」
「誰が?」
そうこう話しているうちに、またも扉から音がした。閉まる音だと直感的に理解し、その瞬間に体が動いた。俺はエレベーターに駆けだしていた。閉まる扉に体を押し込ませ、床に倒れ込む。体を起こすとちょうど扉が閉まるところが見えた。そして扉の隙間からわずかに見えたホールには誰も見えない。
「ひとりだけって話じゃなかったのか……」
サンの声がして、続いて「頭打った」とミイミヤの声がした。
「全員入ってしまったが、どうするんだ、これは」
困惑したようにサンが言う。
ふわっと浮遊感を感じて、エレベーターが下降を始めた。稼働音がうっすらと聞こえる。ふと俺はこの音を懐かしく感じた。初めて目が覚めた時も、この音を聞いていたからである。
「どこに向かっているんだろうな」
「わかりませんね。でも、これが基地と同じなら、人間生成装置のある階、もしかしたら管理AIのある階に、繋がっているかもしれません。この施設にそんなものがあるかはわかりませんけど」
そう答えながら、俺は自分が動揺しているのを感じた。こうもあっけなくことが運んでいいものなのだろうかと思った。なにかとんでもないことを今から知ってしまうのではないかという予感がある。
これはいったいなんなのだろうか、という疑問が頭からはなれない。基地のもとになったものではあるようだ。だが、それはなんなのか。
そう時間も経たないうちに、からだが押し付けられる感覚がした。減速しているのだ。そう深さはないようだった。徐々に減速し、さいごに少し強く体が押し付けられ、エレベーターが停止した。心の準備をする間もなく、扉が開く。
扉の先には薄暗い空間が広がっていた。
サンが出て、ミイミヤが出て、最後に俺が出た。全員が出ると、扉は閉まり、エレベーターが上昇する音が聞こえた。「あ」と言った頃にはすでになすすべはなかった。
「……帰れますかね」
「どうだろうな」
エレベーターを降りた先は、壁からはりだした小さな空間で、床は金属製であった。格子状に穴が空いている。工事現場の足場に使われているようなやつだ。はりだした足場の縁には柵が設けられている。
視線を上に転じると、闇が漂っている。巨大な空間だった。四方を見渡すが、果てが見えない。とにかく大きな空間である。足音が吸い込まれるように消えていく。
足元を見ると、ぼんやり光っている。なにかがゆらゆらと揺れる膜のようなものがあって、それが水面だとしばらくして気がついた。どうやらこの空間の下には、水が溜まっているらしい。光っているのは水底付近のライトである。それが水底を照らしていた。プールみたいだった。まるでライトアップでもされているかのようである。
そして、その水の中に、なにか大きな影があった。俺たちは三人とも柵に身を乗り出し、眼下を凝視した。水の中に、なにか大きくて丸い物体が漂っていた。
大きかった。直径は何十メートルもあるだろう。色は水の中だからはわからないが、白色で、水底の照明の光を反射している。球体なのだけれど、凹凸がある。それが水中にくらげのように浮かんでいた。あるいはそれは最大限に肥満した人間の腹のようにも見えた。くらげのような肉の塊と言ったほうがいいかもしれない。
くらげのような物体の下部には、無数の管が連結されているようだった。よく見るとそれも青白いような色をしている。無数の管は触手かのようで、それがこの物体をよりくらげに似せていた。管はどうやら床と繋がっているようである。
巨大な白いくらげのような肉塊が水中をゆらゆらと揺れている。
眼前の光景を説明するなら、そうと言うほかはなかった。
俺は言葉を失い、唖然として眼下の光景を見つめた。
ゲームにはこんなものはなかった。sandbox内でこのような設定があったとは、俺は知らない。この世界はこれまでsandboxの世界を忠実に再現していた。もちろんゲームにおいてはあまり詳しく描写されないものもあるので、完全に再現されたものかはあやしいが、しかしすくなくともゲームに登場しないものは、登場していない。
だが、そうならば、これはなんなのか?
あえて残したのか。それとも残さざるをえなかったのか。
「なんだ、これ」
とサンが言う。まったく同感だった。
「管理AIのもとになったもの、とかですか」
「これが?」
「……ならなんなんですか」
「わからん」
「ここが基地と似た構造をしているのなら、ホールにあったエレベーターの先にあるものは、私たちが生産された装置のある場所ですよね。なら、あれは……?」
「さあな、とにかく、他にも調べてみよう。まさかここを泳いで調べるわけにはいかないからな。落ちたらあがってこれなそうだ」
「そうですね」
サンの言に従い、エレベーターにまた乗る。エレベーターは扉の前に一定時間立つと反応するらしい。自動ドアのようなものなのだろう。上階に戻り、探索してみる。だが、ホールからのびる通路は、俺たちが来たもの以外はすべてすこし進めば行き止まりになっているし、ホールも地上へつながるエレベーター跡への通路もなにも、新しい発見はなかった。
結局、俺たちは再びホールに集まり、だれからともなく座り込んだ。ミイミヤが大きなため息をつく。
「どういうことなんだろ」
とミイミヤが呟く。
「わかりません」
「わかるのは、ここが基地と似ているってことだけだ。こういう施設は遺跡の地下に多くあって、そのひとつが私たちの基地になっているのかもしれない」
「あの白い塊は?」
「……わからん」
「管理AI、とかですか」
「あれが?」
「わからないですけど。ほかにじゃあなんなんでしょう。あんなふうに保管されるものって、こんな地下にあるのですから、そうとう重要なものでしょう。なら管理AIか、あるいはそのもとになったコンピューターか」
「コンピューターには見えないがな」
「施設を管理するコンピューターかもしれない。生体コンピューターなのかも。あの地下にある水も冷却用で」
「……ありえない話ではないか」
「それなら私たちの基地にもあれがあるってこと?」
「そうでしょうね、それが暴走したか外部から操作されたかわからないですけど、今の基地をつくったのかもしれない。少なくとも私たちの基地もかつてはこの施設のようなものではあったでしょう。それがなにかのきっかけで変化した」
「なにかのきっかけ……。あの生体コンピューターに意識が芽生えたか、あるいは意識はもとからあってそれが暴走したか、外部からハッキングされて動かされているか、……ってことか」
「そうです。もしあれが施設を管理する生体コンピューターなら、それを操作すれば、基地を増築することも可能でしょう。建築ドローンもあった。それに、まだ一度も探索に行っていない頃の、食料生産装置や水循環装置の水や食料がどこから来たのかも、これで説明がつく。あの生体コンピューターの餌をそのまま利用しているんですよ。生体なら、餌がいるでしょう。それに生体コンピューターをつくることができるなら、あるいはひょっとして人体もつくることができるかもしれない」
「暴走かハッキングか、どちらにしろ管理AIの正体はそのどちらかだろう。だが、疑問なのは、なぜ管理AIが人類を再興しようとしているか、だ。そもそも、なぜ人間の人格や体のデータを持っている? それに服や、造形装置にあるデータもそうだ。あんなものがこの施設にあるとは思えない。なら、どこかから持ってきたのか」
「どこかって。データベースとか? インターネットに接続してるのかもよ」
「そうかもしれませんね」
「外部から操作されているなら、ネットに接続しているだろう。それが私たちの知るようなインターネットなのかはともかく。とにかくオンラインにはなっているはずだ。外部とつながっている」
「ですが、そうだとして、なぜ人類を再興しようとしているのかはわかりませんよね」
「使命感に目覚めたとか」
「まさか。こんな施設を維持できるだけの技術力があって、外があんな状況で、今までやってこなかったのはおかしいだろう。管理AIはなんらかの理由で、人類を再興しようとしている。が、どうにもその目的は人類の再興ではないような気はする。もっとべつのことをしようとしている。わからないが」
ゲームの再現だ。ゲームを再現し、ゲーム中の管理AIのようにふるまうこと。なんのためにそれをするのかはわからないが。思わず言いそうになって、やめた。だが、ふと、俺は思う。はたして俺がゲームの知識を持っていることを知らせないでいいのだろうか。今までは知らせてこなかった。頭がおかしいと思われるかもしれないからだ。だが、この知識は俺だけが持っていていいようなものではない気もする。
サンとミイミヤは深く思案して、腕組みをしたり、目をつむっている。伝えたとして、彼女たちが俺の正気を疑うとは思えなかった。今まで隠してきたが、話すのも悪くはないかもしれない。
「ゲーム」
二人がこちらを見る。
「二人はここで目覚める前の記憶、ありますか」
「え? ……ないな」「ないね」
「記憶喪失みたいにはなっている。知識はけっこうあるんだが。個人に結びついた記憶はほとんどない」「私も」
「あるんです、私」
「は?」
サンとミイミヤが呆気にとられた様子で俺を見てくる。俺は目を合わせず、一変に話し出した。過去の記憶があること、この世界がゲームと酷似していること、などなどである。話し出してしまうと、まるで前から内容を考えていたみたいにすらすらと口から言葉が出てきた。
話し終えても、サンとミイミヤは驚いたように俺のことを見ていた。
「……へえ、そうだったのか」
「信じてもらえますか」
「いや、わざわざこんなところで嘘をつくとは思えないしな」「うん、そうだね」「べつに頭がおかしくなったわけでもない。なら、本当なんだろう。にわかには信じがたいが。人格のデータベースがあって、それは過去の人間の意識を保存したものなんだろうな。私たちには記憶処理されてインストールされているが、エスでは不具合があったと。それにしても、……ゲームの再現ね」
「好きなフィクションの世界が現実にあったらいいなとは思うけど、それ、本当にやるのかな」
「動機としては労力がわりにあわない気もするが、理解できないほどではない」
「ゲームを再現して、管理AIとして振る舞っている。ゲームを現実にしたかったのかな」
「あるいは、遊んでいるのかもな」
サンの発言に俺は驚く。遊んでいる。
「ゲームを現実に再現して遊んでいるのかもしれない。管理AIは。そう考えると納得がいくだろう。遊ぶのに理由なんていらないからな」
「そこまでして遊びますかね」
「遊びに人がどれだけ労力を費やせることか、考えたことがあるか。おかしな話じゃない。馬鹿げた話ではあるけどな」
「……」
俺は黙った。遊んでいる。たしかにゲームを再現しようとする動機としてはいちばんありそうではある。だが、遊んでいるという可能性がもっとも高いということに、俺はなんだか呆然としてしまった。馬鹿げているというか、スケールが違い過ぎて、怒りすら湧いてこなかった。あるのは虚脱感くらいだろうか。なんだか自分のやっていることが酷く間抜けに思えてしまう。
「ほんとに、馬鹿げた話だ」
そう言ってサンが乾いた笑みを浮かべた。
「笑えてくるな」
サンの言葉に俺もミイミヤも反応しなかった。重苦しい沈黙が場を満たす。少ししてそれを破るようにミイミヤが言った。
「ならさ、基地にある、あの白い塊を倒せば、管理AIは死ぬの」
「だろうな。だがそれで食料生産装置なんかが動かなくもなるかもしれない」
「……壊しても大丈夫ってことは、ちょっと楽観的すぎるね」
「なら、どうやっても倒せないってことなんでしょうか。あの白い塊が基地の脳のようなもので、それを壊すと基地が停止してしまうなら、食料も水も基地に依存している私たちは、管理AIを絶対に倒すことができない」
「……そうなるな」
また沈黙。耳が痛くなるくらいに静かだった。なにも話すこともできない。
サンが大きく息を吐き、おもむろに立ち上がった。静かに言う。
「水槽の中の肉塊を壊してみる」
いうや否や、サンは歩き出した。慌てて俺も立ち上がる。ミイミヤはまだ座り込んだままだ。歩きながらサンは語る。
「あれを壊して施設の機能が停止しなかったら、管理AIも倒せるだろう」
その通りだった。だがあの肉塊を破壊して、はたしていいものなのだろうか、と俺は思った。なにかまだ見落としがないのだろうか。しかし、もうそんなことはどうでもいいような気もした。なにもかもがどうでもいいような気分。
制止しようとして、俺はやめた。
二人でエレベーターに乗った。ミイミヤは脱力して床に座ったままだった。「来ますか」と言うと「……疲れちゃった」と言った。エレベーターが停止し、降りる。
水中の肉塊はさきほどと変わらずくらげのように浮かんでいる。それめがけてサンが刀を投げた。あ、と思う間もなく、刀は放物線を描き、水中に音をたてて落下した。ゆっくりと吸い込まれるように、肉塊に刀が刺さった。水に赤色が混じるのが見えた。血だった。刀が重力に従って落下し、それにともない表面を切り裂く。刀が水底に落ちていく。傷口がぱかっと割れて、中身が見えた。黄色のぷつぷつとした脂肪と、その下に薄ピンク色のぐねぐねとしたなにかが見えた。脳だ、と俺は思った。
「あれが脳なら、しばらくしたらあれで死ぬ」
だが照明はついたままだ。エレベーターも動く。二人で乗り込む。上昇し、ホールに戻る。ミイミヤのところに戻り、しばらく待つと、ふっと突然、照明が消えた。あたりに闇が満たされた。ライトをつけると、俺たちの姿が闇の中にぽつんと浮かんだ。遠くに建築ドローンの残骸がぼんやり見える。ホールのエレベーターもたしかめたが、反応せず、扉も開くことはなかった。
「これで、決まりだな。管理AIは、倒せない。倒したら基地の機能は停止する」
サンがどさりと仰向けになって、力なく言う。俺はなにを言うこともできなかった。エスニの墓前での会話を思い出す。俺たちは管理AIを倒せず、いつか倒されることもない。基地はいつまでも管理AIによって支配され続ける。そして、それはばかげたことに、ゲームを再現するためなのだ。それも、遊ぶために。
なんて救いがないのか、と俺は思った。サンが言葉を続ける。
「ゲームにはこんなものはないんだろう。ゲームを再現したのなら、なんでこんなものを残したんだ? 私たちを絶望させるためか。馬鹿にしてるよ、つくづく」
そう言って、サンは黙った。
それから俺たちは、何時間かそうした後、再び昇降路を登り、前哨拠点に戻った。このことは誰にも話さないことをお互いに誓った。言ってもなににもならないからだ。胸の奥に秘めておくことにした。ディーにも話すことはないだろうと思われた。
胸に穴があいたよう、というけれどまさしくそんな感覚だった。今まで胸にあった、なにかが、それはもしかしたら希望と呼ぶのかもしれない、が忽然と消失してしまった。ひさしぶりに地上に出て、太陽の光をあびたというのに、気持ちはいっこうに暗澹として晴れなかった。ひょっとしたら、あるいはずっと死ぬまで俺はこんな惨憺たる気持ちで過ごすのかとさえ思った。
だが、無関係に、あるいは、無情なことに、時間は経過していった。
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