43.地下へ
頭上の光はもう点のようになっていて、あたりは漆黒の闇に覆われていた。ライトの灯りだけが俺の周囲から闇を遠ざけている。手に掴む昇降路の壁面から感じる冷たい感触。両の足がかかる壁面の凹凸。ときおり下から吹いてくる風が上着の裾をはためかせるのがわかる。
昇降路を降り始めて、何時間が経過したのかわからなかった。あるいはまだ一時間も経過していないのかもしれない。頭上の光を見れば、最初の頃はどれだけ下ったか推測できたが、今ではほとんど見えないから深さもわからない。ともかくもう何十メートルも降りていることだけがわかる。
昇降路の壁面は、凹凸が多く、足場は豊富であり、比較的安全に降りることができた。少し下を見ると、サンとミイミヤの姿が見える。かなり前から会話は一切なかった。降りることに集中していた。
ふと気が抜けて、頭上を見ると、もう戻るにもすぐには戻れないということに気づかされる。かなり疲労していて、手と足は特に酷かった。握力も弱まってきている。だが、俺の体は、装置で生産された俺の体は優秀で、まだまだ体力は持ちそうである。常人ならこんなことは不可能だろう。暗闇の中、岩壁を降るなど、自殺行為だ。だが、この体の能力なら可能だった。よくつくられていると思わざるを得ない。
風が吹きあがってきていた。それが地下になにかがあることを俺たちに知らせていた。また一歩、足を降ろす。しっかりと、一挙手一投足に注意し、降りていく。眼下には闇が広がっている。
発見者も救助隊もよく降りれたものである。ひょっとしたらこの穴はいつまでも続いていて、発見者も救助隊もどこかで体力が尽きて、滑落したのかもしれない、そんなことを思う。
だが、そんなことはない。聞き込みの際に知ったが、救助隊はロープを体にくくりつけていったらしく、そのロープが引っ張られることはなかったらしい。五百メートルもあるロープをよく用意できたなと思うが、造形装置を使えば細く、さらに丈夫なものがつくれるようで、それを使ったようだ。
心臓と呼吸の音、風の音、靴の裏が壁面を踏む音。それだけが聞こえ続ける。とにかく、集中することだ。そうすればいつかはたどり着く。そう思い、俺は降りるの集中する。ひとつひとつ、ゆっくりと、確実に。やがて余計な思考が消え、俺は壁を降り続ける機械のように、脳も体もひとつの目的に集中できるようになる。心臓と呼吸の音、風の音、靴の裏が壁面を踏む音。音が混じりあい、雑音になり、無音となる。視界が狭まり、色が消えたように錯覚する。俺は降り続ける。
足場を探して、目線を下にさまよわせた時、俺は一メートルほど下にやけに大きな足場が広がっているのに気がついた。しばし思考が停止し、はたと俺はそれが足場ではなく地面だと気がついた。そう気づいた瞬間、俺は飛び降りた。手を放し、落下。着地する。周囲を見る。地面には瓦礫が散乱していた。奥に、四角い穴が見える。エレベーターの出入り口だろう。
頭上を見ると、少し上に、二つの光点が見える。いつのまにか、追い抜いていたらしい。「おーい」と呼ぶ。「もう少しで地面ですよ」返答はない。二つの光の点はゆっくりと降りてくる。最初に到着したのは、ミイミヤで、少し遅れてサンが着いた。
表情には疲労の色が見えたが、そこまで憔悴しているようには見えない。三人で地面に座り込み、お互いに顔を見合わせる。「どれだけかかった?」
「一日、いや、もっと?」
腹は減っていたし、喉も乾いている。気がつかなかったが、かなり便意も尿意もある。ひとまず食事などをすますことにする。三人とも無言で、食事を取る。トイレも済ませる。昇降路といえど、広いので隅のほうですれば大丈夫である。
前哨基地への探索途中に抜け出して、俺たちはこの穴を降っていた。前哨基地へは訪れたことを記録係に報告する必要があるし、到着も発着も報告する必要がある。そのため、ミイミヤが知り合いに頼んで、代理で報告してもらうことになっていた。一日二日ならばれないだろう。
「この穴か」
食事などをすましたのち、エレベーターの出入り口の穴をライトで照らしながら、サンが言った。
「なにかあるようには見えないが」
穴の中に入ると、驚いた。穴は四角く、壁材で覆われている。床材もある。通路であった。人造物だ。少し入ったところの天井にはうっすらと灯りがともっている。照明である。
「……基地」
サンが呟く。
「基地ですね」
驚嘆せざるを得ない光景だった。この光景には見覚えがあった。壁も床も照明も、基地を思わせた。もちろんデザインは異なる。だが、地下にある通路、それだけでどうしても基地を連想してしまうのだ。なにより、この通路のサイズが、基地の通路のサイズと瓜二つなのだ。照明の位置も似通っている。
「どういうことだ……?」
サンが言うが、誰も答えない。
手に刀を持ち、警戒しながらさらに奥に進む。照明があるのでライトは消していた。進む。空気はまったくきれいだった。換気されているのだ。床にも汚れは溜まっていない。
歩いているとまるでここが基地であると錯覚してしまう。それほどまでに雰囲気が似通っている。どういうことなのだろう、と俺は思った。やはり、サンが言ったように基地のもとになったなにかが遺跡の地下には複数あるのだろうか。俺たちの基地は、そのもとになったなにかを、何者かが改造したものなのだろうか。
しばらく進むと、開けた空間に出た。視界に入った光景を見て、俺は愕然とした。
ホールだった。高い天井は闇が漂っている。ホールからは四方八方に通路がのびていた。だが、なにより目を引くのは、中央に落ちたいくつもの瓦礫であった。瓦礫? なにかの破片だった。近づいて、それが破壊された機械の山であるとわかる。
その機械の姿に俺は見覚えがあった。
「建築ドローン」
ミイミヤが言う。
基地にもとからあった建築ドローンの姿を機械の残骸たちは思わせた。いや、そのものといっていいかもしれない。
「おい、これ」
少し遠くを見ていたサンが呼ぶ。見れば、なにかを指さしている。床になにかが落ちていた。
近寄って、俺はまたも驚嘆した。
人間であった。
顔は潰れ、皮膚は水分が抜けたことで干からびてはいるが、それは確かに人間である。俺たちと同じ服を着ている。あたりを見るといくつも死体はあった。ちょうど行方不明者と救助班と同じ数だ。
「これと戦ったのかな」
「たぶん、そうでしょうね」
「建築ドローンと? 建築ドローンはここにあるので全部? じゃないかも」
「はい、警戒しないと」
だが、建築ドローンはここにあるので全てなような気が、なんとなくした。きっと救助班が全て破壊したのだろう。そのために、俺たちは今、襲われもせずにこの場所にいることができる。
死体と建築ドローンの残骸の山をはなれ、そしてホールの奥に向かう。案の定、エレベーターの扉があった。あたりを探してみるが石碑はなかったし、エレベーターの扉には人類再興計画のロゴはない。しかし、それでもこれは基地を連想させずにはいられない光景であった。
エレベーターの前に立つ。ボタンはない。それも基地と同じだった。扉のサイズも寸分たがわない。
なんなのだ、と俺は思った。困惑していた。なにがなんだかわからない。これが基地のもとになったものなのだろうか。こんなものが遺跡の地下にいくつもあるのだろうか。そして、そうならば、これはいったいなんのためにつくられたのだろうか。
そう思っていると、音がした。
聞きなれた音だった。俺が反応し、ほとんど直後にサンとミイミヤが反応する。エレベーターが上昇する音であった。息を呑む。目線だけで逃げるかどうか確認しあう。
だが、そうしているうちに突如として扉から音がし、すっと開いた。あっというまで、あまりに何気なく開いた。そして扉の先にはなにもなかった。エレベーターの内部は、小さく、壁に鏡がある。
俺たちは言葉を発することもできず、硬直して、この何の変哲もないエレベーターの中を見つめていた。
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