42.三人

 俺たちが例のエレベーターに向かったのは、あの日から二週間ほどが経ったころだった。ちょうど休日で、サンと二人で向かうことにした。実のところ、前にも一度、言ったのだが、その時は、野次馬や、死者に祈りに来るものが多くて、迂闊に調査ができない雰囲気だったのである。しかし二週間も経つと、エレベーターに近づく者はほとんどいなくなっている。拠点から半日ほど歩くと、目的地につく。

 

 エレベーターがあるのはビルの一階の奥であった。人の気配はなく、がらんとしている。昇降路だけがぽかんと口を開けていて、扉は壊れていた。中を覗き込むと、昇降路の壁もかなり劣化しているようであった。壁材が剥がれおちていて、もはやただの岩壁のようになっている。下にだけ昇降路はのびていた。エレベーターと言っていたが、ただの穴のようにも思える。

 穴のサイズは拠点にあるものと同程度である。


「……似ているよな」とサンが呟く。

「はい。これは、ちょっと似ていますよね」


 ちょっとあからさますぎるくらいである。

 しかし、話を聞く限りでは、発見時においてはこのようではなかったようであった。どうやら入口が瓦礫で覆われていたそうだ。ビル内でモンスターと戦闘した際に、瓦礫が崩れ、穴が僅かに露出したのだという。


 救助作業のために、瓦礫はどかされたのだろう。周囲には僅かに瓦礫が残っている。

 サンが近寄り、瓦礫をひとつ放り投げた。闇の中に吸い込まれる。じっと待つ。数を数える。いくら経っても音はしなかった。


「深いな。基地と同じと考えても、あのエレベーターが地上に着くまでだいたい十分だろう。あのエレベーターの速度はそんなにないし、基地と同じとするなら、それなら600mぐらいか、500mかもしれない」

「よく発見者は最後まで降りれましたね」

「いや、外壁を見た感じかなりえぐれているからな、そこを辿ればあながち難しい話じゃない。だが、暗闇の中を500mだろう。好奇心だけでできるものかな」

「好奇心は侮れませんよ」


 しばらく無言で穴を見下ろすが、特になにか発見があるわけではない。だが、少しだけ頬に風を感じた。途切れることなく、ずっとだ。風が穴から吹いているのだ。そしてそれはこれがただの穴ではないことを意味していた。「風だ」と思わず言うとサンも頷いた。「酸欠で死んだという線は消えたな」


「でも、降りてみない事には、詳しいことはわかりませんね」

「……だろうな」

「降りて、穴の中でなにかがあったのなら、絶対に物音がするはずでしょう。ならなにかが起こったのは、その先、昇降路を降りた先にあるということですよね。当然。そしてそれがなにかは降りない事には確かめようがない」

「だが、降りた奴は帰ってきていない。降りたら死ぬだろう。遭難者はともかくとして、救助隊は確実に私やエスよりも遥かに能力があった。そいつらで死ぬのに、私とエスが行っても無理だ」

「それはそうですが、それなら、どうすれば?」


 俺の質問にサンは沈黙した。俺だって別に死にたいわけではないが、しかし調べるには実際に穴を降りてみるしか方策はないのだ。

 ただし、俺だって今すぐ降りてみる気はない。自殺したいわけではないからだ。なにか方策を、少なくとも生存確率のあがるような方策を考えねばならない。


 だが考えても、どうにもわからなさそうだ。ということだけしかわからなかった。

 結局、その日は基地に戻ることにした。


 エレベーターを調べるとしても、最深部まで降るだけで一日がかりの作業となる。もしやるなら数日はいる。しかし数日も無断で基地の仕事を休むわけにはいかない。

 このこともネックであった。


 問題は山積していたが、解決の方法はてんで思いつかなかった。

 ともかく、降りてみるしかないが、そうなると死ぬ可能性が高い。死にたくないので、降りれない。というわけだ。もちろん、最悪は降りてみるしかないが、だからといって何も無策で挑みたくはない。だから策を考えているが、思いつかない。これが現状であった。


 お互いになにか考えようということになって、その日は終わった。


 一日経っても二日経っても三日経っても、天啓のようにアイデアがふってくることなんてあるわけもなく、無為に時間だけが消費されていった。

 サンとふたりで、あるいはひとりで、エレベーターのあるビルに赴いてみたり、一度は穴を何十メートルか降ってみたりはしたのだが、真っ暗なだけでなにが見えるわけでもない。ライトの光をかざしても眼下には底の見えない闇が広がっているだけだ。


 降りるしかない。それは事実だ。策はどうにも考えつかない。それは情報が無いからだ。ならばエレベーターを調べるしかないが、調べるには降りるしかない。手詰まりだ。


 このループを抜けるためには、ひとつだけ方法があった。つまり、降りた人、あるいは降りた際の状況を知る者に、聞けばいいのである。とにかく行方不明者の知り合い、救助班の知り合いに声をかけ、なんでもいいから情報を収集する。


 四日ほど経って、とうとう聞き込みをしようという話になった。このままでは埒が明かないと思ったのだ。俺とサンは、ひとまずエレベーターに関する情報を知ってそうな者にかたっぱしから声をかけていった。


 ホールの露店でものを売っている者、ボードゲームに興じている者、食事時のグループに声をかけていく。基地の人口は増えたとはいえ、それでも大きな学校程度だ。それに例の事件のことは誰でも知っている。少し聞き込みをすれば、あっという間に、行方不明者や救助班の関係者が判明する。誰と仲が良かったとか、誰が救助活動に参加していたか、などだ。救助活動は実際に穴の中に向かった者以外にも、協力者はいる。活動に参加していなくとも、参加者と仲が良かったりで詳細を知った者もいるだろう。


 ディーやエクス、サアニにも聞いてみようと思ったのだが、やめておくことにした。立ち入りを控えるように言っている場所について訊くのもためらわれるし、なぜ知りたいのかと問われたら困る。それに、ディーたちも、救助活動の詳細について聞く前に、あの騒動が起こってしまったので、参加者を刺激しないよう、事件について触れないでいるそうである。また、救助活動の参加者の多くはあの騒動の後、多くが死んでしまっているそうだ。あれ以来ディーたち指導部と、第三世代の間には、なんとなく溝があり、聞き取ることもできないそうであった。ディーに訊いたとしても特に新たに得られる情報はないだろう。集会で発表したことが全てだと思われた。


 半日ほどの聞き込みであっという間に、救助活動に関わっていたという人物が数名と、行方不明者とグループを組んでいた者が判明し、前者を俺が、後者をサンが担当することとなった。


 ところが、である。聞き込みはたいした成果をあげられずに終わった。四名ほど救助活動の参加者に質問をしたが、詳しい経緯を知る者は、全員処分されたり、その後に気を病んでモンスターとの戦闘で死んだりとほとんど残っていなかったのだ。参加者といっても、すこし準備を手伝ったくらいで、得られる情報はまったくなく、ディーが集会で話した内容と、大差はなかった。

 ディーの方も、芳しい成果はあげられなかったようだった。


 八方塞がりだった。


「ディーに知らせるか」

 とサンが言った。聞き込みの二日後、前哨基地でのことである。ディーとエクスは同じグループなのだが今回の探索では不在であった。人口が増えたことで仕事が増えているらしい。

「ディーに知らせて、基地全体で協力してもらう。ちょっと気になるってだけなら断られるだろうが、ただ管理AIのことについて話せばあるいは……」


 管理AIのこと、つまり人類を再興するという計画が嘘かもしれない、という考えをディーに知らせる。

 たしかに、俺たちだけでエレベーターを調査して、成功するとは思えない。なら仲間が必要である。そして、それならばディーに話すのが一番いい。彼は基地のリーダーであるし、彼に話せば基地全体を動かすことができる。


 しかし問題は、説得のためには管理AIに対して俺たちが抱いている疑念について話さなければならないということだ。俺は、ゲームの記憶があるために、この碑文の内容が嘘であることはわかる。しかし俺以外にとっては、それはあくまで頭の中でだけ組み立てられた仮説にすぎない。証拠がないのだ。


 証拠がないのに説得できるだろうか。

 俺が管理AIに対する疑念を口外しなかったのは、それは知らせないほうがいいだろうと思ったからだ。管理AIが、基地が、碑文が、計画がまったくの嘘であることは、俺にとっては確定的な事実ではあるが、俺以外にはあくまで仮説にすぎない。明瞭な証拠がないのに、それを言って不和を引き起こしてしまっては困る。事実が確定するまでは、少なくともサンのように自らその考えにいたらない限りは、話さないようにしようというのは、賢明なスタンスであるとは思う。


 計画が嘘かもしれないというのは、すくなくとも基地に住む者にとってみれば自らの根底をゆさぶるような考えである。碑文に人類を再興する、そう書かれていたから、それに従って戦っているわけだ。それが突然、違うとなる。当然混乱するだろう。今までそうだと思っていたものが、違うかもしれない。そんな状況になって素直に受け止められるほど、多くの人はそんなに柔軟ではない。安易に吹聴したところで、いい展開になるとは思えない。基地内のトラブルのもとになるかもしれないからである。


 しかし、ディーなら、それを伝えたとしても、安易に人に口外しないであろうし、それを言ったからといって、ただちに混乱し、俺たちを糾弾する、非難するといったことはないだろう。ただ、サンの期待するように、基地全体の協力を得ることは、たぶんできない。俺たちの意見はあくまで仮説なのだし、仮説のために命はかけられないからだ。俺とサンは確信しているが、他の人もそうだとは限らない。


「いや、どうでしょう。結局は私たちの考えも、あくまで推測しただけの仮説なわけですし、ディーがそれを信じるかはわかりません。それにディーが個人的に信じたとしても、基地全体を動かすとは思えない。ディーが個人的に協力してくれるかもしれませんけど、けど、そもそも信じるかどうか……」

「ディーが信じない。……まあ、確かにありえるな。私は管理AIが怪しいと、そう思うが、しかし他人を説得できる明確な材料はない。推測だしな。現状の矛盾も、計画の矛盾も、好意的に解釈することはできる。例えば、計画にもっと適した生物を使わず人間を使うのも、人間でなければならない理由があると考えることもできる。私はしないが」


「まあ、ディーには話さないほうがいいでしょう。私たちの考えは、けっこう危険な考えですからね。基地の根幹を揺るがすというか。計画が嘘かもしれないとなると皆動揺するでしょうし」

 サンが苦笑する。

「確かにな。あんまり話さないほうがよさそうだなと思って話していなかったんだが……。それにいろいろ忙しくて、話す機会もあんまりなかったしな」

「私もです」

「エスもか……。これからは気を付けないといけないな」


 お互いに顔を見合わす。改めて考えてみるとよくもまあ二人ともぺらぺら話して回らなかったものである。交差点の件や前哨基地の件で忙しかったのが幸いした。

「あの、ひょっとして私たちってけっこう迂闊、いや適当、その、なんとういうか馬鹿なのでは」

「否定できない」

 サンが真面目くさった顔で頷いた。

「気を付けないとな」


「ま、まあ、とにかくディーに話すのは、明確な証拠がみつからない限りは保留ということで、エレベーターを調べて物証が見つかったら話しましょうか」

「そうだな、だが、そうなると、どうする。私たちだけでどうにもならないなら協力者は必要だろう。他に誰か話してもパニックにならずに言いふらしたりもしない信頼できる者となると……」

「そうですね。私はあまり交友関係が広くないですし」

 サアニとは仕事上話すが、仲が良いかというとかなり微妙である。人となりはあまり知らない。

「私もだな」

「友達、いなんですね……、お互い」

「……」

「あ、いつも一緒に訓練している人たちがいるじゃないですか」

「あいつらとは特に話さないからな。訓練していたら、なんとなく集まっているだけだ。名前もそんなに知らないし」

「ええ……。と、なると……ミイミヤ? 彼女はどうでしょう。」

「そうなるな。あいつなら大丈夫だろう。一人増えてもどうにもならないが、ふたりよりはマシだ」

 というわけで、そういうことになった。


 ミイミヤに話をしたのは、サンと前哨拠点で話してからすぐのことだった。

 「他言無用でおねがいします」と念おきし、エレベーターのこと、管理AIに関する、基地の計画への疑念を伝える。時間にして一分もかからなかった。話し終えるとミイミヤは唖然茫然といった様子で、


「え、急に、どうしたの」と言った。

「というわけで、協力してくれませんか」

「というわけでもなにも……」

「まずですが、信じてもらえますか。私の話」

「まあ、そこまでおかしな話ではないと思うよ。ありえなくはないと思う。で、調べるのに協力してくれって話?」

「そうです」


 ミイミヤは腕組みをし、溜息を吐いた。俺は少しびくっとする。


「なんで、そんな面白そうなことはやく言ってくれなかったの」


 ミイミヤはいたずらっ子のように笑った。俺はハトが豆鉄砲でもくらったようにぽかんとして、それを見たミイミヤがまた笑う。隣を見るとサンもおなじく呆気にとられている。


「前から、エレベーターはおかしいって思ってたよ。基地のことどうしても考えちゃうでしょ。ま、ディーもそれは考えてたんだろうけど。でも、計画自体が嘘だとは思わなかったな。調べてみようよ。ちょっとさ、気になってはいたんだよ、私も」


 こいつこんなキャラだったかな……。


「私以外に協力者はいるの」

「いません。ミイミヤは頼めそうな知り合いはいますか」

「それが……、いないんだよね、なんと」

「え?」「どういうことだ。いそうなものだが」とサン。

「……知り合いは多いんだけど、友達は少ない」


 なるほど……。なぜミイミヤと俺たちが同じグループで仲良くやっていけるのかと思ったが、案外似た者どうしであったらしい。

 しかしこれでは二人が三人になっただけで変わりがない。


「ま、でもさ、人が増えたところでべつに百人で穴に降りれるわけじゃないんだし。それなら三人でもべつに」

「……そうですね」

「とりあえず降りてみないと始まらないよ」

「だが、降りると言ってもな」サンがぼやく。

「自殺するようなものでしょう。無策で穴に降りるのは」俺が問うと、ミイミヤは頷く。「だろうね」


「でも、降りるしかない」

 俺は黙る。ミイミヤの言うことは反論のしようがない。

「それが嫌なら、もっと基地が発展して、余裕ができて、ディーたちが調べようという気になるまで待つしかないんじゃない。そっちのほうが確実だと思う。時間はかかるけど」

「しかし、その時まで生きていられるかはわからないでしょう。知りたいんですよ。基地の管理AIの正体を、そしてもしかしたら倒す方法も見つかるかもしれない」

「倒したいの」

「……倒せるのなら、倒したいです。でも、無理だとは思います。管理AIを破壊して食料生産装置などの各装置が動くとは思えない。でも万一という話もある。すくなくともエレベーターの先にはなにかがあるんです。なにもしないまま死んでしまうよりはせめて知りたい。なにかがわかるかもしれない。なにかがあるかも。それを放置しておくのは嫌なんです」

「それならいっそう降りないと。なにがあるかは、わからないけど。だってそれしか方法はないよ」


 まあ、それは事実だ。むざむざ死にたくはないが、しかしそれしかないならしかたがない。俺はごまかすように笑みを浮かべ、


「そうですね、それしかない。なら、降りてみましょうか。案外、死ぬとも限らないですし」

「そうだな」サンが言う。「ミイミヤはどうする。留守番でもいいが」

 ミイミヤはむっとして、「行くよ」と言った。

「気になるし」

「それだけで?」

「なんか、死ぬ気がしないんだよね」

「……頼もしい話だ」


 そう言ってサンが皮肉に笑んだ。

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