9.ガチャ、二人目

 エレベーターに乗りながら、呆気ないな、と思った。俺が今までやっていたことは、ただひたすら瓦礫をエレベーターに運んで、一日一メートルも満たない距離を臆病に進んできただけだ。そのペースでいったら、いつ武器が見つかって、いつモンスターと遭遇し、しかもそれを倒すことができるようになっていたことだろう。それまで酸素が持っただろうか。たぶん、間に合わない。いずれいちかばちかの賭けにでていたはずだ。そこで、死ぬか、生きるか、運次第で、そしてそれは死ぬ可能性が高かった。


 ところが、現実はそうではなかった。たまたま嵐がおこり、たまたま拠点のビルの前に死体が流れ着いていた。こんなうまくいくことってあるのだろうか? いや、あるのかもしれない。これがゲームなら、だ。この世界がゲームそのものなら、ゲームのイベントは忠実に再現される。それとも、本当に偶然だろうか。いや、もしくは俺が知らないだけで、嵐はそう珍しい現象ではないのかもしれない。


 ともかく、それはおいおいわかることだ。エレベーターは音をたてて下降していく。あのモンスターの死体を乗せていたため、床は少し血に汚れ、臭いが残っていた。他にも瓦礫の破片や砂礫が残っている。


 エレベーターに乗せた素材を回収しているのが何なのかというのは未だ謎である。ゲームにおいては、探索で建設素材を所得すると、それは加工の必要が無かった。だが、俺が集めた瓦礫をそのまま建設に使えるとは思えない。なんらかの加工が必要なはずだ。それはモンスターの死体も同様で、どこかに加工場があるはずなのだ。ゲームでは描写されていないが、確実に、それはある。


 おそらく、加工場や、ほかにも物資を保管する倉庫なんかは人体生成装置のある階層にあるのではないだろうか。たぶんその推測が一番正しいはずだ。確かめようがないが。

 それに、食料生産装置や水循環システムもあの小さな部屋に収まるサイズではない。どこかに本体を収めるスペースがある。そして、それは管理AIもそうだ。AIの本体がどこかにあるはずである。どこか、言うなれば、基地の裏と言うべき場所。俺が見ることができるのは基地の表側だけだ。装置本体が設置されている基地の裏側は見えない。これは、sandboxでも同様であった。ゲームのマップで表示されるのは、基地の表層だけである。


 まあ、これもまたいずれわかることだ。

 ……どうにも、落ち着かない。思考があちこちに行って、余計なことばかりを考える。おそらく新たなキャラ、人間が、これからつくられるはずである。それが原因だった。


 人間の生成にどれくらいの時間が必要なのだろう。意外とすぐなのだろうか? それはどのような生成方法なのかによるだろう。工業製品みたいに、人体のパーツを組み合わせるのかもしれないし、もしくは一から人工子宮かなにかで生産しているのかもしれない。俺の体はどうだろう。フランケンシュタインみたいに継ぎはぎは無いので、プラモデルみたいに組み立てられたとは思えないが……。


 そんなことを考えているとエレベーターが停止した。基地の廊下を歩いて、ホールに向かう。ホールの中央にあったドローンははやくもその姿が無かった。空気循環システムの建設に向かったのだろう。

 視線を奥のエレベーターの扉に向ける。新たなキャラは俺と同様ホールにあるエレベーターから出てくるはずだ。

 どうしたらいいんだろうか? なんだか不安になってくる。出てくるまで待つか? それとも普通に探索を続けていようか。もしかしたら生成まで何日もかかるかもしれないし、それまでずっと待っているのも時間の無駄だ。


 第一印象は大事である。ひとまず、俺は自身の風貌を確認してみる。探索で汚れている。体も服も埃と泥と砂で汚れている。汗もかいている。臭いを嗅いでみる。よくはわからないが、たぶん、臭い。空気が乾燥しており、そこまで不快ではなかったので、食事の際に顔や手を洗うぐらいしかしていなかった。


 ……さすがに体は洗ったほうがよさそうである。

 蛇口のある部屋に行って、服を脱ごうとして気がついた。そういえば服を脱ぐのも初めてである。今まで裸になったことがなかった。なぜだか知らないが、この体、あまり汗をかかないし、皮脂や垢などの老廃物が少ないのである。ちなみに、排泄も少ない。五日に一度、量もたいしたことがない。基地でするのは嫌だったので、遺跡でしたが、それも先日の嵐で流されただろう。我慢しているのではなくて、したいと思わないのである。おそらく、そういうふうにこの体は作られているのだ。


 それに、服自体にも特徴があった。この服、丈夫なのはさることながら、軽く、速乾し、消臭効果もあるらしい。ほとんど汚れないのだ。いや、汚れるには汚れるが、表面に付着するきりで、こすればとれる。保温も防風も備え、汗をかいても蒸れない。どういう素材かは知らないが、かなりの代物である。


 まあとはいえ、汚れるものは汚れる。風呂場以外で脱ぐのはなんだか恥ずかしいが、思い切って脱いだ。体を眺めおろして、記憶にある自分の体とだいぶ異なっていることに困惑する。あまりに華奢だ。ほっそりとして、痩せているのだが、なぜかやわらかな感じがする。ひとりでいるとすっかり忘れているが、体が、性別が変わっているのだ。いまさらになってそれを実感する。


 服は、制服のようなデザインをしている。そしてその下にはインナーを着ていた。タイツのようで、爪先から首まで全身を覆っている。伸縮性があって、引っ張ると簡単に脱げた。臭い。普通に臭い。が、それでも一日汗をかいた程度の臭いで、何日も洗ってないわりにはかなりいいほうだ。


 蛇口を捻って体を洗う。部屋には排水口があって、床にはわずかに傾斜がついている。水がそこに吸い込まれて音をたてた。皮膚表面の汚れも、それほど酷くはなかった。汗と皮脂と毛が絡まり合って悪臭を放っていたが、想像していたよりも酷くはない。水でこすれば簡単に落ちる。


 頭を洗って、次いで、服を洗う。基地内の気温は外よりも温かいが、それでも全裸でいたら当然寒い。身震いをする。服の汚れはすぐ落ちる。床に広げて、乾くのを待つことにする。寒いので体育座りをする。


 今、エレベーターから新たな人が出て来たら、マズイことになるだろう。そう思うとなんだかぞくぞくした。だが、そんなこともなく、普通に服は乾いた。着る。乾いていないのは、髪だけだ。


 だが、それも寝れば乾いているだろう。体を洗ったからか眠くなった。ホールのいつも寝ている隅で体を丸める。ここにいれば、いつエレベーターから出てきても、すぐ気づくはずだ。そう思いながら、目を閉じた。


 床の冷たさ。基地の静寂。暗闇。それらが俺に覆いかぶさってくる気がする。強く目をつぶる。寝ている時、俺はよく、過去のことを思い出した。俺に覆いかぶさってくる、床の冷たさや基地の静寂や暗闇、といったものを忘れるためにはそれが必要だった。過去、つまりこの世界ではない場所の記憶だ。帰省した時に交わした両親との言葉、わかれた恋人のこと、会社の上司に同僚、学生時代の友人、地元の友達、話題になっていた流行曲、アニメ、漫画、飼っていたペット、近所の街並み。すべてがぼんやりとした像になって頭に浮かぶ。


 最近になって、俺は、寝る時に俺に覆いかぶさってくるものが、孤独と呼ぶべき感情であると気がついた。どうやら俺は、この世界にひとりでいることに対して、寂しいと思っているらしい。

 新たな人がエレベーターから出てくれば俺の孤独も解消されるのだろうか。ふと、思った。そして俺の意識は眠りの世界に落ちていった。


 目が覚めたのは、肩を揺さぶられたからだった。瞬時に意識が覚醒する、ばっと起き上がる。そして俺は驚愕した。人だった。人が俺の横に立っていた。


 女だ。若い。背が高く、髪は赤色で、不遜な顔をしている。瞳も赤だった。女は驚いたといったふうに俺を見下ろしている。


「……大丈夫か?」


 女は言った。生成された新たな人間。つまり、ゲーム的に言えば新キャラである。第一印象が大事だと自分にいいきかせていたのに、なんといえばいいのかわからず、俺は硬直して、女を見つめることしかできなかった。

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