50.デモ
サアニと会えたのは、二日後のことだ。会うときは、だいたい向こうから連絡がくるので、こちらから連絡したのはほとんど初めてであった。ホールにある指導部の出張所で頼むと、基地内では郵便システムが構築されているので、自宅に速達で返事が来た。
二日の間にも、あの落書きはいたるところで見つかっていた。新たに誰かが書いているように思えた。管理知性や計画といった言葉を、街でよく耳にするようになっていた。その間、俺とサンはなにをすることもできなかった。ただ無為に時間が過ぎ去っていった。
朝で、俺とサンはおきてすぐに、指定された場所に向かった。街には人が出始めていた。天井の照明はついていたが、街灯りは少ない。だが歩いているうちにぽつぽつと灯っていく。人々が起床し、活動を開始する時刻であった。
不思議なことに、基地の住人たちの生活リズムはかなり整っていて、外の太陽の動きとリンクしている。おおかたそういうふうに設計されているのだろうが、便利である。だから夜は皆、基本的に寝ているし、起きる時間もだいたい共通している。
俺とサンが住んでいるあたりから、指定された集合場所までは、ホール中央の広場を横切る必要があった。大路には、探索に向かう者や、運び屋たちなど、地上拠点に向かう者たちがぞろぞろ出てきていた。
人の群れに混じって、俺とサンも歩く。大路には人がぞろぞろと歩いていた。足音と話し声が混じり、騒がしい。だが、広場に向かうにつれて、なんだかどんどん騒がしくなってきた。騒ぎは前方で起こっているようで、「どうした」とサンが怪訝そうに言った。
群衆が広場で立ち止まっていた。広場のほうでなにかが起こっているようであった。「あのマークが」などと単語が騒めきから聞き取れる。それで、ぴんと来た。かきわけて広場に向かうと、果たして、広場の床のそこかしこに巨大な落書きが成されていた。
あの計画のマークにバツ印のついた落書きである。人々は立ち止まり、それを見てひそひそと囁きあっていた。困惑の空気が感じとれた。ここまで大規模で、さらに人目に触れるものが書かれたことは今までなかった。
「なにかあるのか」とサンが言う。わからないが、なにかはありそうな気がした。辺りに満ちる空気が違っていた。困惑もあったが、そこには静かな興奮があるような気がした。ひとごみの中にちらほら、落ち着きなくそわそわとしている者の姿が見える。
ふと広場に滞留する人々の中から、すっと二、三の人影が出てきて、広場の中央にある台座に飛び乗った。台座は数メートルほどあって、そこはディーが演説をする時に乗る場所であった。
「あ」と誰かが指をさして叫び、どよめきが起こる。台の上に立ったのは、薄い赤と濃い赤の混じった髪の、ひょろっとした背の高い男であった。広場の群衆の視線が男に集中し、最初に起こったどよめきが波のように拡散したあと、耳の痛くなるような静寂の時間がふいに訪れた。そして、男はその時を待っていたかのように、唐突に、大音声で「この基地には秘密がある」と怒鳴った。よく通る声だった。その声はまるで拡声器でも使ったかのように、広場の隅までとどいた。
人々がぴたりと口をつぐんだのがわかった。
「ホールにある碑文は全て嘘だ。人類を救う計画は存在しない」続けて男が言う。「計画は嘘だ。管理AIの目的は人類の復興ではない」男は声をあげ続ける。だがしかし、やがて、最初、静まっていた群衆の中から、ちらほらと周囲と話をする者があらわれる。近くの女が「なにあれ」と言っているのが聞こえる。再び、困惑が動揺が、声となって場にあらわれはじめていた。
台の上の男に怪訝な眼が向けられる。だがその時、群衆の中から「そうだ」と誰かが声をあげた。見ると、腕のない男で、声を張り上げ、台に乗った男の声に賛同していた。それから、まるで示し合わせていたかのように、次々と群衆の中から掛け声があがりはじめた。その多くが、体の一部の欠損した、負傷者たちであった。
台に乗った男は演説を続けた。話は、計画が虚偽であることの証明に至った。男は、計画の不備、杜撰さを列挙し、否定し始めた。男の話は筋道が通っていたし、理解は簡単だった。だんだんと、群衆が男の演説に耳を傾けはじめ、「管理知性は間違っている」という男の叫び声に、呼応する応援の声が増え始めた。
「管理知性は俺たちを殺し、支配している」
「管理知性を打倒するべきだ!」と男は叫んだ。「ぶっ壊せ!」と誰かが叫んで、また別に誰かが「ぶっ壊せ」と怒鳴った。やがて、声が揃い始め、台の上の男も「ぶっ壊せ」と叫んだ。一斉に唱和しはじめる。
あたりを見ると、困惑している者が七割、興奮している者が三割といった割合であった。興奮して、口々に唱和している者たちも、男の話を完璧に理解しているのは少数だろう。多くは、周囲の熱狂に乗せられ、男の管理知性への不満、現状への不平をを煽る言葉に刺激されている。
「立ち上がれ」と男は怒鳴った。「基地を破壊しろ。エレベーターの先にいる管理知性を破壊しろ。支配からの解放を手に入れろ。自由を手に入れろ」
基地や管理AI、現状への不平不満は常に潜在している。ちょっときっかけがあれば、すぐに爆発してしまうくらいには。爆発しないのは、基地の住人は狂乱して基地に処分された者を見ているからだった。だが、男はその冷静さを怒りによって失わせようとしていた。怒りは伝染する。
周囲の喚声にかきけされながら、「おい」とサンが俺の肩を揺さぶった。それで意識が現実に引き戻される。「大丈夫か」とサンが言う。「……はい」周囲の叫びに圧倒されてしまっていた。「指導部を呼びに行くか」サンが言う。
「いえ、その必要はないと思います。もう……たぶん連絡がいって、いま向かっているところでしょうね」
「そうか。マズイな。暴動が起きるかもしれない。こんなに広まっていたとは」
「それはどうでしょう。多くの人はまだ困惑してます。騒いでいるのは半分もいません。たぶんこれは意見を広めるためのデモ行為かと」
「……そうか。だが」
「ええ、エスカレートするかもしれない」
「ディーたちじゃないと止められない。今はもうな。ここにいる全員から顔が知られている奴らじゃないと無理だ。……建築ドローンか清掃ロボットは、……来ないか」
「はい。基地か住人を明確に攻撃しない限りは管理AIは処分しません。ですが、今回はわかりませんね」
サンが大きくため息を吐き、「クソ」と言った。「ディーはいつ来るんだ」
そう話していると、広場の向こうから、どよめきが起こった。台の上の男が、不審そうにそちらを見る。悲鳴が聞こえた。怒声も響く。なにかがおきているようだった。
サンが「輸送機」だと言った。「輸送機に乗ってきたんだ。ディーも乗っている」ちらりと、人ごみの向こうに輸送機の、あのモンスターに酷似した姿が見える。台の上の男は腕組みをして、その光景を眺めている。
やがて人の海がわれて、輸送機に乗った集団の姿が、台座の下に表れた。背にはディーが乗っていた。唱和はやみ、広場に集まっていた人々のうち、騒いでいた者たちは蜘蛛の子を散らすように、その場から逃げて、残りの者たちは台座の方を遠巻きに眺めていた。
「解散しろ!」と背のディーが大声を出す。「もとの仕事に戻れ!」それに続いて、何台かの輸送機が、遠巻きに眺める人々のほうに近づき、背の上から、同じように指示を出し始めた。「処分されたいのか」と言われ、群衆が散っていく。俺たちも人の流れに飲まれて、しかたなく歩き出した。
振り返ると、台の上に乗っていた男が、指導部と話しているのが見えた。男はなんの抵抗もせず、静かに佇立していた。
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