51.あんな嘘

 サアニと会うのはうやむやになってしまった。だが、広場での騒動があった日の昼に、指導部からこちらに来るようにとの連絡があった。指導部から迎えが来て、俺とサンはすぐにディーのもとに案内された。


 ディーの部屋は、昔と変わらず小さな部屋で、中には棚と机と椅子と無数の書類が積みあがって山をなしていた。ディーは、迷子になったこどものように部屋の真ん中に立っていた。


 ディーと会うのは、半年ぶりだろうか。半年前にあったのも少し話しただけだ。まじまじと近くでまみえるのは随分ひさしぶりである。あまり変わったようには見えなかった。ただ表情はけわしく、眉間には深い皺が刻まれていた。俺とサンが入ってくると、ディーはこちらを見て、微笑んだ。微笑みは、かつて見たものと同じだったが、同じであることがすこし不気味であった。


「座って」と言い、俺とサンは書類をどけて、座った。

 ディーも対面に座る。


「昨日、話をしに来てたんだってね。すまない。失礼をして」

「いや、いいんだ。忙しかったんだろ。それより、本題に入ろう。話は聞いているな」サンが言う。

「……落書きのことだろう? それと、あの今朝の騒動の話だ」


「はい」俺は答える。「そうです。認知してましたか。あの落書きのことを」

「いや、今朝の騒動のあと、はじめて知った。あんなものが広まってたとはね。話って、その警告のことなのかな。ありがたいけど、もう起こってしまったから。それはいい。こちらでも調べているんだが、あの落書きは誰が書いて、いつから書かれているんだろう? わかるかな」


「いえ、それはわかりません。ただ、これから起こるであろうことを話し合いたいんです。ディーたちに動いてもらわないといけない。計画が虚偽であるという考えが広まると、基地の根幹を揺るがす事態になります。暴動がおこる。それも組織的な。今までは個人が基地に攻撃するだけでした。ですが、もし、集団で反乱をおこせば、大勢が死にます。基地自体も反乱によって多大なダメージを受ける。なんとしてでも避けなければなりません」


 ディーは顔をしかめた。

「計画が嘘か……、そんな妄言をエスは信じているのかな?」

 笑いながら、感情のこもっていない瞳でじっと俺のことを見つめる。居心地が悪くて、身をよじった。


「計画が嘘? あの男も言ってたね。……そんなわけがないじゃないか。計画が嘘という言葉自体が嘘だ。そんなわけがない。あの碑文は全て正しい。いつもの、錯乱した奴のたわごとだよ。まあ今回はいつもと違って大がかりだったけどね。でもあの男はもう捕らて監禁している。いずれ、基地が処分する。それで今回の騒動は終わりだ。今回の騒動もあの男に煽動されたんだ。皆、一時的には騙されてしまったけど、すぐにもとに戻る」


 俺は言葉を失う。ディーは、計画が真実であることを信じているのだ。

「いくら錯乱しているとはいえ、あんな嘘、ゆるされるわけがないだろう。あれが本当なら、死んでいった人たちはどうなる? なんのために死んだんだ? 今怪我で苦しんでいる人は? 俺たちが今までモンスターと戦ってきたのはなんのためだ? 嘘でも、それは今までの俺たちの行為を否定している。あんな考え、許しちゃだめだ」


「ですが、あの男は正気のように見えましたけど」

「……正気なら、もっと駄目だ」

「男の広めた考えに賛同する者は多くいます。あれは錯乱した者の狂言ではないです。筋道は通っている。意見を支持する者もでるでしょう。そうしたら、男の主張するように大規模な反乱がおこる。反乱を抑え、秩序を維持しないといけません」


 俺の話にディーが割り込む。

「反乱者は全員捕らえる。そうすれば処分される。全員だ。そんな心配する必要はない」

「いえ、問題はそのあとなんです。反乱を抑制したあとも、広まった思想は容易に消えません。計画が虚偽であることが、知れ渡れば、探索を拒否する者も出てくる。基地全体のパフォーマンスが低下します。そうなると、管理知性が、一度すべてを処分してしまうかもしれません」


 ディーは不愉快だと言わんばかりに舌打ちをした。

「あんな考えを信じる人はいないよ」

「待ってくれ」サンが言う。

「あの男の話を妄言と断じることはできない。かなり筋道が通っている。私たちはむしろ」

 言葉を続ける前にディーが大声で遮った。机を叩き、俺たちを睨みつける。

「それ以上は聞きたくない! 君たちもあの妄想を信じているのか? いいから、そんなことははやく忘れてくれ。今のは聞かなかったことにするから」


 ディーの怒声をはじめて聞いたような気がして、俺は黙ってしまった。

「反乱者は全員捕らえる。それでいいだろう。いままで協力を渋ってきたのに、なんで今になって、俺を頼ってくるんだ? そんな都合のいい話はないだろう。いいから、もう帰ってくれ。俺たちでやるから」

 サンが「わかった」と言い、席を立つ。「エスも、もう行こう」促され、俺も立った。


「わざわざ時間をとらせてすまない」

 部屋を出る。俺たちは無言で、ホールまで歩いた。

 関門を過ぎてから、サンが言う。


「……たしかに、そんな都合のいい話はないな」

 サンは皮肉に笑っていたが、表情には元気がない。

「今まで、一度もあいつに積極的に協力してなかったんだ。意見も言ったことはない。それが急に私たちにああしろこうしろと言われてすぐに従うわけがない。というか今まで、基地のものは基本的にディーが決めてきたことだ。あいつはすべてを自分で背負ってきた」


 俺を見ず、サンは話し続ける。

「たしかに独断専行のきらいはあったが、まったく人の言うことを聞かないやつではなかった。少なくとも最初の頃はな。意見を聞いて回っていた。途中から、そうしなくなったが。あいつの言うことはたいてい正しかった。だから私もなにも言わなかった。すこしおかしいと思っても、あまり。だがいつまでもひとりで正しい選択をし続けられるわけじゃない。あいつには誰か、意見を言ってくれる相手が必要だったのかもしれない」

「……」


 サンの言うことは正しいような気もした。すくなくともディーは悪い奴ではない。独断専行のきらいはたしかにあった。俺はそれを苦手に思っていた。だがそれは換言すれば責任感の強さに起因するものであるし、責任感の強さは支配欲とも相通じる部分がある。


「ディーからしたら計画が虚偽であるという事実は受け入れがたいだろう。今まで自分が選択してきたことの否定だからだ。私が計画が嘘であることを受け入れられたのは初期のころだったからなもな。基地の歴史も浅かったし、目が覚めてからも日が浅い。あの時、私たち以外に伝えていれば、こんなことにはならなかったかもしれない」


 ふと、俺は数日前にサンと交わした会話を思い出した。俺自身の他者への視点の欠落。利己的な態度。それは、考えや秘密を、他者に明かさないことにも通じているのだろう。そして、それは、目覚めた時に、信頼値をあげることを、他者から嫌われないことを目的に掲げたことが関係しているのかもしれなかった。


 俺は信頼値をあげ、処分されにくくなろうとした。嫌われないように、目立たないように、角が立たないように、ふるまった。他者から距離をとり、波風を立てず、マイナスにもプラスもならないようにした。しかしそれは裏返せば、他者を信頼していないということだったのだ。つまり自己を殺して仮面を被らねば、他者は俺のことを信頼しないと思っていた。


 それは俺だけが生き残ればいいという態度であった。俺以外の存在を利用してやろうという態度。サンやサアニといった例外を除き、俺は基本的に他人を信頼していなかった。ディーもだ。

 だが、それは間違っていたのだろう。全面的に信頼することはなくとも、多少なりとも信用すべきだったのだ。


 俺の今までの態度が、現在の状況を生み出しているのだ。そう思うと、深い悔悟の念がわいてきた。

 ディーが計画が虚偽であるという事実を認めようとしないのは、俺の責任なのかもしれない。俺は人を疑いすぎたのだ。サンにさえ、俺にゲームの知識があることを、遅くまで知らせなかった。


 ひょっとしたら、ミイミヤの件でさえ、俺が彼女を利用した結果と言えるのかもしれない。彼女が、計画が虚偽である事実を基地に流布したのなら、それは地下施設であまりに突然に事実を知ってしまったが故に、耐えられなかったのかもしれないからだ。自分が信じていたことが、全て嘘だとわかった時に受ける衝撃を、俺は甘く見過ぎていた。俺たちが彼女を誘ったのは、人出が欲しかったからだ。俺は彼女を道具としてみていたのかもしれない。


 一度、思考のスイッチが入ると、今までのあれこれが全て俺の選択の結果、引き起こされたことのように思える。だがそれもあながち間違いではないのだ。俺こそが、初めて基地で生産された人間なのだから、俺が取ったスタンスで、なにもかもが変わったとしてもおかしくはないのかもしれない。それは、考え過ぎだろうか。


「だが、それでも、」サンの言葉に、俺の意識が現実に引き戻される。横のサンを見る。表情は真剣である。「今のディーの対応では、その後の混乱に耐えられない。広まった思想を根絶することは無理だ。粛清や思想統制を繰り返しても、そうぽんぽん人が死ぬのなら、管理知性は非効率だと判断するだろう。……もっとべつの方法をとってもらわないとならない。説得しないと。一番いいのは、暴動自体を抑制することだ。基地のダメージを最小限にして、そこから、なんとか、意欲低下を防ぐ方法を……」


「ですが、できるんでしょうか」

 サンが不安そうな顔をして、「わからない」と言った。「だが、それしか道はないだろう」「指導部以外の住人を説得すると言うのは?」「間に合わないだろう。今朝の騒動は鎮圧されたが、早晩、暴動はおこる。いちおう知り合いに声をかけてみるが、それもどれだけ協力してくれるかな。わからない。大勢に意見を通せる影響力があるのは指導部だけだ。あるいは、今捕らえられている男を説得して、暴動だけでもとめるか。だが、それでもディーが、計画が虚偽であると考える者を捕らえないように、計画が嘘だと認めるよう、説得する必要はある」


 説得といっても、どうやって?

 思ったが俺はなにも言わなかった。


「私は……、少し考えさせてください」

 そう言い、サンのもとを離れた。サンは何も言わず、無言で俺たちはわかれた。

 説得は無理だろうと俺は思った。管理AIがゲームをリセットすることは、もう避けられない。


 街には人はまばらで、ひそひそと囁きをかわし、不安げな表情を浮かべていた。管理AIやら計画といった単語もまた、そこかしこで聞き取れた。サンの言うように、早晩、暴動が起きるだろう。そしてそれはもはや制御できないものになる。


 暴徒は基地を破壊するだろうか。建築ドローンや清掃ロボットなどを破壊し、排除できるのだろうか。もし排除に成功すれば、きっと基地は破壊されるだろう。ひょっとしたら地下の水槽の肉塊も破壊されるかもしれない。そうすれば、基地は滅亡する。


 どうしたらいいのだろう。

 歩きながら、考えるが、答えは出そうになかった。

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