56.面白いゲームでしたか

 ふと気づくと、俺は部屋の中に立っていた。


 部屋? なんとなく見覚えのある部屋だった。ベージュの壁と、木材のフローリング、ベッドがあって、棚があり、机があり、椅子があり、消えた照明があり、窓があり、カーペットが敷かれている。床にはペットボトルやプラスッチック容器や、ビニール袋、服なんかが置かれていた。


 物干し竿に洗濯物がぶらさがっている。微かな振動音がして、上を見ると、クーラーが稼働している。クーラーだ。長方形で壁にとりつけられている。冷たい空気をはきだしていた。室内は涼しかった。


 ベッドの上には脱いだ服がある。棚には本が置かれていた。振り返るとキッチンと冷蔵庫があって、その奥に扉があった。玄関である。机の上にはPCがあって、画面がついており、ホーム画面が表示されている。キーボードの横にスマホがある。


 俺は、ぐるりを見て、その光景に呆然自失となって、立ち尽くした。

 この眼前の光景を俺は知っていた。いや、実際に知っているわけではない。ただ、ここは、かつて俺が暮らしていた世界の、国の、一般的なマンションの部屋であった。俺も似たような部屋に住んでいた。


 なぜ? と疑問が頭に浮かんだが、わからなかった。俺は昇降路を落ちて、それで地下水槽に沈んだはずだ。そこからの記憶はないが、痛みと衝撃だけを強く記憶していた。死んだ、と考えるのが妥当のように思えた。


 死ぬ間際の夢なのだろうか。だが、あたりを見るが俺はこの部屋を知らなかった。どこにでもありそうな部屋で、それで懐かしさはあったが、実際にここに住んでいた記憶はない。夢なら、俺が実際に住んでいた部屋を再現しそうなものである。


 窓の向こうには、どこかで見たような、だがどこだかわからないような、マンションと一軒家がどこまでも広がる街の景色が広がっていた。空は薄い青色をしている。遠くに高層ビル群が見える。道には、車も人も通っていなかった。


 窓を開けようとするが、開かない。諦める。玄関を開けようとしたが、これも同様だった。

 ここはどこなのだろうか。わからなかった。とにかく、俺はベッドに座り込んで、ふと自分の足をじっと見た。それで、俺は自分の体が、変わっていることに気がついた。それは見知ったあの、エスとしての足ではなくて、男の足であった。慌てて、洗面所に行き鏡を見ると、そこには見たこともない男の顔がうつっていた。平凡な顔で、なんの特徴もない顔をしていた。歳は二十代後半だろうか。


 困惑して「なんだこれ」と言ったが、その声も聞き馴染みがない。パニックになりそうになって、俺は一度、深呼吸をした。それからベッドに戻り、また座る。

 この状況はなんなのだろうか。考えるが、わからない。


 クーラーの音と、起動しているパソコンの排気音が部屋に響いていて、音はそれだけだった。調べてみようかと思ったが、調べたところでなにもわからないような気もした。


 どれくらい時が経ったかわからないが、俺は座りながら、じっとカーペットを見つめていた。かつて暮らしていたのと似たような場所だからか、なんだか落ち着いた。


 ふと音がした。玄関のほうからだ。見ると、ドアノブが動いていた。身構えると同時に、ドアが静かに開いて、ひとり誰かが入ってきた。ドアが閉まる。俺は立ち上がり、腰に手をあてて、刀がないことに気がついて、やめた。


 入ってきたのは、俺と同じような風貌の、平凡な男であった。少し瘦せていて、眼鏡をかけている。男はじっと俺を見つめ、そして「こんにちは」と言った。驚くことも、警戒することもなく、男は自然な仕草で、そう言って、部屋の中に入り、「すいません」と言って、机の前の椅子に座った。


 椅子は回転椅子で、男はぐるっと回転させると、俺の方を向いた。

「はじめまして」

 と言い、微笑する。なんだかつくりもののようなきれいな笑顔であった。

 俺はあっけにとられてしまって、なにを言うこともできなかった。男をじっと見つめていると、「ベッドですが、座ってください」と促してきた。俺は座らなかった。動けなかったのだ。


 しばし両者無言になる。男は困った顔ひとつせず、にこにこしながら俺を見つめている。どうやら俺が話すのを待っているらしいと気がついて、俺は頭の中に浮かんでいた疑問をそのまま口に出した。


「……誰ですか」

 問うと、男はゆっくり頷き、そして俺をじっと見つめて、

「そう問われると、難しい」と言った。微笑みながら、続ける。「僕は自分がなんなのかがわからない。だけど、きっと君は、僕のことを管理AIだとか管理知性と呼んでいたはずだ」


 男の口から飛び出た言葉を聞いて、俺はしばらく硬直した。そこまで驚かなかった。ただ思いがけない言葉に少しだけ虚をつかれてしまった。

 目の前のこの男が、管理AI?

 そう思うが、ならどんな姿なら納得するかと言うと、わからない。

「なにか質問は?」

 男が、いや、管理AIが言う。


「ここはどこで、なぜ私は生きているんですか」

「仮想空間だ。あの地下水槽に落ちた君の体から意識を取り出して、電脳化している。……これなら理解できるかな。君が理解できる概念で話しているからね。本当はもっと複雑なんだけど、それは今本筋ではないから。さっきいった理解で充分にことたりる」管理AIがそう言って、「……他には?」と促す。

「なぜ私を生かしたんですか」

「話がしたかったから。君が一番初めにあの地下水槽にたどり着いたわけだから」

「……なんの話を」

「まあ、なんというかな」管理AIは頭を掻いて少し言いにくそうに「エンドロールみたいなものかな。最後の振り返りみたいな」


 エンドロールという言葉を聞いて、俺は即座に反応した。今までなんだか夢でも見ていたようにぼんやりとしてた思考が、再びもとに戻る。

「エンドロール? なら……、あなたは」

 俺が言うと、管理AIはぱっと喜色を浮かべ、「待った」と俺の話を遮った。

「エンディングの話のことかな? 基地でおこってる反乱が、エンディングだと、君は聞きたいんだろう」

 驚愕する。


「なんで知っているんですか」

 管理AIはにやりと笑う。「全部、基地の住人の会話は聞けるんだ。基地の外でもね。生産した人間の発した言葉はすべて記録されるようになっている。どこにいるかも情報が収集されている。そちらのほうが、面白いと思ってね。シュミレーションゲームで、住人のことを観察できたほうが楽しいだろう」そう言いながら、管理AIは机の上のスマホを取り、起動した。俺の顔を見る。スマホ画面にはあのsandboxのアプリが起動していた。何度も見たゲーム画面が表示される。


「君はこの世界が、僕がつくりだしたゲームなんじゃないかって考えただろう。正解だよ。その通りだ。僕はsandboxというスマホゲームを現実に再現した。地球上にね。ただ、再現するにあたって僕はゲームにいくつか改良を加えた。住人の会話が全て聞こえるのもそうだし、そう、君の考えたとおり、エンディングもその要素のひとつだ。もとのゲームにはエンディングがなかったしね。そして、ゲームはさっきエンディングを迎えた。君が地下水槽に来たことで、それがエンディングだ」


 まるでこどものように話す。

「エンディングはひとつだけ。住人が管理AIを倒すことだ。いや、具体的に言えば、誰かが地下水槽にたどり着いて、あの肉塊を破壊する。すると基地の機能が自由に使えるようになる。管理AIは二度と現れず、人類は管理AIの支配から脱却して、発展していく。だけど、そのエンディングに到るには、基地を十分に発展させて、基地防衛システムを人類が打ち破れるまで成長させる必要がある。そういうゲームにしたんだ。君の推測は全部正しい。たしかに僕はこのエンディングになるように、いろいろな細工をした。かならずエンディングに向かうように設定してある。生産する人間の性格もそうなるように工夫した」


 管理AIはいったん話をとめ、俺を指さした。

「でも、唯一の誤算は、君の記憶処理が不完全であったことだ。これが誤算だった。エンディングはもう少し先のはずだったんだ。おかげで、かなり厳しい戦いになった。手に汗握る戦いだったね。ちょっと僕も興奮したよ。もう無理なんじゃないかと思ったくらいだ。だけど、そんなことはなかった。君は地下水槽にたどり着いたし、住人は建設ドローンを破壊した。これでこのゲームは終わりだ。エンディング後は、管理AIはいなくなる。君が懸念していたような、基地の機能が停止するなんてことはもちろんない。そもそもあそこの水槽にあるのはダミーだからね。建設ドローンもまた新たにつくることができる。ゲームが終わって、それでその世界が終わりだなんてつまらないからね」


 そこまで話して、管理AIは俺の顔を見てきた。感情は読み取れず、笑みを浮かべている。俺はなんと言っていいのか、わからなかった。どうやら俺の予想は正しかったらしい。管理AIはこの世界にゲームを再現して、遊んでいたのだ。反乱がエンディングであった。そして反乱後も基地の機能を使用できる。エンディング後も世界は続くのだ。


 それはたしかに喜ばしいことだ。だけど、俺は喜べなかった。いや、嬉しいのだが、それ以上に困惑していた。


「どうしたのかな」と不思議そうに管理AIが言う。

 思わず俺は言った。今まで抱いていた考えが口に出る。

「オウたちを処分したのも、エスニたちを戦闘で使い潰したのも、あなたなんですか」

「……そうだ」

「なにか、なにも思わないんですか。なんでそんなことをしたんですか」

「なんでってゲームだからね。それにいちいちキャラの気持ちを考えていたらゲームにならないだろ。あるていどは共感移入して、同情するよ。特に、エスニが死んだ時は、僕も悲しかった。残念だった」

 管理AIは心底悲しそうな顔をして、言う。


 俺は怒鳴りつけようと、殴りかかろうとして、やめた。管理AIへと抱いていた怒り、不条理への怒りが、たしかに俺にはあるのだが、それをぶつけようにもぶつける気になれなかった。


 管理AIは、まったくもって悪意を抱いていないように思えた。むしろ、彼は彼なりに俺たちに好意を向けているのだ。エンディングも基地の機能を残すことがそれを証明している。だが、それはゲームのキャラクターに対する好意であるのだが、悪意ではない。


 俺が彼を殴りつけたとしても、怒りをぶつけたとしても、彼は困惑するだけだろう。かたちとしての謝罪をするかもしれないが、なぜ悪いかはわからない。人間をそんな物のように扱うなと主張したところで、彼はそもそも人間ではないのだ。悪いとは思わないだだろう。


 確かにあった怒りは、困惑に変わり、そして俺の心は次第に凪いでいった。怒りが消えてしまった。管理AIを赦したわけではとうていないが、だが怒ったところでどうにもならないだろう。たしかに、使い捨てるゲームキャラの気持ちを真剣に考えていたらゲームはできない。特にsandboxのようなゲームは、特に。


「なんで私にそのことを話したんですか」

「そうだね。計画が嘘だということには気づいても、この世界が僕が遊ぶためにつくられたってことに気づかれるとは思わなかったんだ。だから話してみようと思った。君なら真実を明かしても、そんなに取り乱さないだろうしね。それに誰かにネタバラシをしたかったんだ。このゲームの仕組みとかを。がんばってつくったんだし、誰にも話さないのはもったいない。もちろん、君が気づいたのは、記憶処理に不具合があったのが原因だけど、まさか一番初めに生産された人間にそんな不具合があったとは思わなかったし、そこまでくるとなんだか運命的だろう」

「ええ、そうですね」


 会話が途切れる。管理AIは愉快そうににこにことしている。「この部屋は僕がゲームを遊ぶためにつくったんだ。どうかな。なかなかうまくできているんじゃないかな。ちょうどsandboxが出た時代を再現してる。雰囲気は大事だからね。プレイするのも、もちろんこれだ」そう言ってスマホを指さす。「ここでゲームをプレイする」


 管理AIは俺が質問しなくとも、嬉しそうに話す。誰かと話したかったのだろうか。

「……僕のプレイは上手かったかな。いや、そうか。資源管理とかやってたんだけど、住人側からは見えないね」

「そうですね。たしかにそこは見えない。ですが、うまかったと思います」

 プレイヤーとしては確かに管理AIはうまかった。

「そうかな。よかったよ。こういうゲームは初めてでさ。ネットのアーカイブを見てたら、みつけたんだ。sandboxのデータを。それでやってみようと思ったんだ。うまい具合に、人格のデータベースとか人間のデザインモデルもみつけて、それを組み合わせてね。人格のデータベースとかは、なんでネット上に残してあったかわからない。記念かもね。意識を保存しておきたかったのかな。で、それを記憶処理して……、君は不完全だったみたいだけど。あ、そういえば人格のデータベースの話も、君たちはしてたね」

「はい。ネットで見つけたんですか」


「うん。僕はまあ、電脳化した情報だけの生物だから、体がないんだ。だからいつもネットを見てる。ネットには膨大なデータがあるから。君たちが生きていた時代からずっと蓄積されたデータが。それで面白そうなデータを見つけたから、組み合わせて放置された地上の遺跡を利用してゲームを再現した。あの地下水槽の肉塊は、都市を管理するためのバイオコンピュータだね。遺跡は放置されてたけど、まだそれが残ってた。バイオコンピュータを維持管理するための装置を使って、モンスターと君たち人間をつくれるようにしたんだ。複数ある装置のうちひとつを基地に、その他をモンスターの生産に利用した。エレベーターが壊れていただろう。あれは地下から地上に生産したモンスターたちが登っていったからだ。地下施設を管理するドローンを使えば、基地は建設できて、あとはまあなんとかやった。どうだい、最初見た時、ゲームの世界に来たと思っただろう」


「はい」

「うん。頑張ったからね」

「遺跡を使ったなら、それをつくった人類はどうなったんですか」

「知らない。絶滅したんじゃないかな。地上にはなにもないから。おかげで残った設備やネットを使えて遊べるからいいけど」

「ならあなたはどうやって産まれたんです」

「さあね、知らない。気づいた時には人類は滅んで、残ったインフラで維持されたネット空間にアクセスできるコンピュータ上で動く生き物として今まで生きてきたよ。最初の頃はなんで滅んだのかが知りたくてネットを調べてたけど、今はそんなに興味がない」


 管理AIがふと動きをとめる。「あ」と言った。「そろそろこの時間も終わりみたいだ」

「え」

「君以外の人間が地下水槽の区画に来た。ダミーのバイオコンピューターを破壊しようとしている。破壊されたら、僕は基地にアクセスできなくなる。そうなるように設定したんだ」

「……」


「僕が一方的に話しただけで、君にはつきあわせてしまったね」

 管理AIは苦笑する。

「さいごになにか訊きたいことはあるかな。僕はもう充分話したから満足している」


 問われて、俺は少し考え言った。

「面白かったですか、このゲームは」

 管理AIはぽかんとしてそれから声をあげて笑った。

「もちろん」


 管理AIが椅子からたちあがる。「そろそろ行かないと」玄関に向かい、ドアノブに手をかける。「あ、そういえば」と振り返った。

「僕はこれから消えるし、この空間も一緒に消える。だけど、君の体は新しくつくっておいてあげたから」


 訊き返そうとしたその時、ぐらっと視界が揺れたかと思うと、たちまち視界が真っ暗になって、意識も暗転した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る