32.戦闘と会話、エスニ

 エレベーターは音をたてながら上昇している。乗り込んでいるのは基地の住人全員だ。総員二十五人。誰もなにも話さない。はりつめた空気を肌で感じる。


 やがてエレベーターは停止し、拠点に着く。ホールを歩き、外に出る。先頭を歩くのはディーだ。行進し、交差点へ向かう。ぽつぽつと会話が聞こえる。昨晩、泣いたのだろう目を真っ赤にはらした者や、やつれた者、反対にやけに元気な者もいる。


 歩いていると、いつのまにかサンが横に来ていた。彼女たちとは朝に少し会話をしただけだ。サンの様子はいつもとあまり変わらない。エスニは思いつめたように沈黙している。


「自信はあるか」

「え?」

「これが終わった後、生きてる自信だよ」

「さあ。私がどうにかできるわけではないですからね。最後は運でしょう。サンはあるんですか」

「どうだろうな」

「エスニは」

「……」


 尋ねるがなにも答えない。「さっきからずっとこんな感じだ」目の前で手を振ってみるが反応しない。サンがまったくしかたがないというようににやりと笑って見せる。


「まあ、死んだとしてもあっという間ですから苦しいとかはないと思いますよ。光が見えたらその瞬間には死んでます」

「それ、励ましてるのか?」

「いや。死んだことにも気づかないかもしれないので、そこまで怖がることもないってことを言いたいんです」

「そう言ってるが、エスニ?」

「……怖くないの?」


 サンが訊ねるが、エスニの返答は文脈から外れたものであった。

「は?」

「死ぬの、恐くない? 死ぬかもしれないのに」

 サンが笑みを消し、「わからない」と言った。

「怖いような気もするな」

「エスは?」


 問われて、考える。当然、恐い。だがそれを表に出そうとは思わない。気は重いし、嫌だなとも思っているが、やるしかないのだから、しかたがない。この状況には腹が立ちはするが、それを表現しようとも思わない。


「怖いですよ」

「ならなんで」

「冷静か? そうですね。振り切ったというか、なんというか」

「……」

「大丈夫ですよ。たぶん」

「頼りない」


 エスニがそう言って小さく笑った。なにがおかしいのかわからないが、とにかく俺も笑うことにした。サンが不思議そうに俺たちを眺めて、「死んでほしくないな」と言った。「え?」「死んでほしくないな。お前たちには」咄嗟に「サンも死んでほしくないですよ」と俺は言った。「ありがとう」とサンは朗らかに笑った。


 交差点の前についた。

 次善の計画通りに、所定の位置にそれぞれつく。道幅いっぱいに等間隔で広がるのだ。で、走る。なんとも間抜けな光景である。

 あらかじめ決めた位置に立つ。隣に立つ人との距離は思ったよりも広い。思わずこんな少ない人数で大丈夫なのかと不安になる。


 中央でミイミヤが石を投げ、石が狙撃されたら、それが開始の合図となる。あとは走るだけだ。十秒くらい一目散に走って、残り一秒は横跳び。言葉にすれば馬鹿らしいがやらねば死ぬのでしかたない。


 道の真ん中で、ミイミヤが石を投げることを皆に合図した。心臓が飛び出そうだった。どうやら、緊張しているらしい。不安が、急に胸の奥からおしよせてくる。このままなにもかも放擲して逃げ出したくなる。だが、逃げたところで状況が好転するわけではない。他の者は突撃してくれるだろうか、合図があって、走り出したのが俺だけだったらどうしようと、嫌な想像をしてしまう。


 ふと気がつくと、石は投げられていた。石は放物線を描き、そして中空で爆発した。「走れ!」とディーの声がした。同時に、俺は足を踏み出していた。さきほどまでの雑念は霧消する。目線は前方を向き、駆けることだけを考える。ちらりと横を見ると、少し遅れて何人もついてきている。


 俺は駆けた。頭の中でカウントする。一、二、三、四、五、六、七、八、九。十、同時に横跳び。十一、後方で爆発音。また駆ける。カウント、横跳び、爆発音。疾駆、カウント、横跳び、爆発音。


 爆発音は左右すぐ近くからしたり、はるか後方でしたりする。砂煙が舞っている。前には、ちらほらと人が見える。ひとり、男が走っていた。それが横跳びをするタイミングで足を滑らした。直後、爆発。強烈な光、と遅れて音と衝撃。煙が漂い、男の最後は見えなかった。だが、死んだだろう。俺は剣を握りしめた。


 未だ交差点の真ん中を走っていた。まわりに障害物はなにもない。左右には道路がのび、前方には瓦礫の山と、麓にある小さな砂山が見える。そこまでの距離が遥か遠くに感じられた。


 時間がひきのばされているように思えた。十秒が酷く短く、一秒が永遠と思うほど長く感じられる。足がもつれそうになる。


 気づけば、目的の場所はもう目前に迫っていた。前を走るのは五人ほど。五人とも新人である。サンやエスニは大丈夫だったのだろうか、とふと思う。

 ここまで来ると、モンスターの隠れている砂山も詳細に見えるようになる。あたりにはいくつもの砂山があったが、モンスターがどこにいるかは一目瞭然であった。ひとつだけ、頂上に大きな望遠鏡のようなものが飛び出ているのだ。望遠鏡は筒身を動かし続けていたが、十一秒間隔で一瞬停止する。十中八九どころか十中十それである。


 先頭を走っていたひとりの女が、とうとう砂山までたどり着く。その姿はよく見えない。砂を被っているらしい。先ほど爆発音がしたばかりだ。砲身の目の前に立ち、刀を振り下ろす。ガンっと音がして、火花が散った。同時に、砂山から何か黒い塊が飛び出しきた。モンスターだ、と瞬時に悟る。モンスターは、前で刀を振り上げていた女に突進した。女の体がくの字に折れ曲がり、そして吹き飛ぶ。


 ようやくモンスターの全体が見えた。体から砂がさらさらと零れ落ちる。それは蜘蛛型よりも少し小柄で、上部に長い筒を乗せていた。胴は大きく、扁平で、脚は総じて短く太い。胴の前面に大きな視覚器、カメラアイが見えた。


 一撃を受けた砲身の先端は少しフレームが歪んでいるだけだ。無数の金属をこすり合わせたような喧しい鳴き声を発する。砲身がその向きを変えた。マズイ、と俺は思った。砲身のすぐ先には、ひとり男がいる。男は突然、砂山から飛び出してきたモンスターの困惑して、硬直していた。


 爆発。俺は駆けた。既にモンスターは目前にいる。巻き起こる煙と熱風を突き抜け、飛び出すと眼前にモンスターがいる。刀を構え、その勢いのまま、突き刺す。咄嗟に狙いを砲身から、視覚器に変更する。刀の先端が、吸い込まれるように、カメラに刺さった。体重を乗せ、深く押し込む。刀はもう抜けないと判断し、そのまま横に跳躍。砂面の上を転がる。視線をあげる。俺の後ろを走っていた、ひとりがモンスターの脚を切断していた。「脚だ!」俺は怒鳴る。砲身は刀では破壊できない。中枢を破壊しようにも、それは砲身に守られている。


 後続の者たちが続々と到着し、モンスターのまわりを取り囲もうとする。モンスターがレーザーを放つが、狙いが定まっていない。ひとりが爆発し、爆風で吹き飛ぶ。しかし、まだ残っている。全員で一斉に刀を振り下ろし、脚を破壊する。たちまちモンスターは達磨になる。砲口から離れつつ、蛸殴りにする。何度か砲撃があるが、あたらない。やがて砲身の隙間に刃が押し込まれ、中枢が破壊された。モンスターの機能が停止する。


 誰かが、振り上げていた刀をおろし、続いてまた誰かが刀を降ろした。手からはなされた刀が地面に落下する。誰も何も言わない。皆の呼気の音があたりに響く。耳が痛くなるくらいに静かだった。


「終わった……」


 と、誰かがぽつりと言って、それが沈黙を破る嚆矢となった。「終わった?」「やったのか」と口々に言い、ざわめきが起こり、やがてそれは歓声にかわった。「やった!」と誰かが快哉を叫び、皆がそれに口々に唱和した。


 俺はぼうっとその光景を見つめた。いつのまにか腰が抜けていたらしい、地べたに尻もちをついて、騒ぐ皆と、その中央にあるスクラップのようになってしまったモンスターの残骸を眺める。嬉しいというよりも、生きているのだという喜びよりも、ただ終わったのだ、という呆然とした感じがあった。それからかなり遅れて、あの永遠とも思われる戦闘の時間から抜け出したのだという解放の喜びが、ひしひしと湧き出した。叫ぶほどではなかったが、なぜだか涙が出た。


 俺は立ち上がり、あたりを見渡した。作戦に参加して、まだ生き残っている全員が、このモンスターのまわりにいるようであった。ざっと見ても、かなり数が減っている。ちらと、その中に赤髪が見える。向こうもぐるりを見ていたようで、目があう。サンだ。砂と煙に汚れているが、すぐにサンだと気がついた。向こうもこちらに気づいたらしい。目を丸くしている。


 なにか声をかけようとして、口を開こうとしたが、それはできなかった。サンがこちらに駆けよって、抱き着いてきたからだ。「エス!」と言う。強く抱きしめられ、たまらず腕をタップする。ばっとサンが腕を放す。にやりといつものように笑う。俺も笑い返す。


「お互い運が良かったですね」

「まったくだ」


 サンが溜息をつく。それから「お前が無事でよかった。……他の奴らは」と言う。

「わかりません」

 モンスターの死体の周りで騒いでいる者たちを見る。ディーたちのグループの金髪、エクスとディーが少し離れた場所に立っているのが見える。ディーがこちらに気づいて、手をあげた。泣きそうな顔で笑っている。こちらも手を振りかえす。


「あいつらも生きてたか」

 サンが苦笑する。

 が、しかしディー以外に先住者の姿は見えない。不吉な予感がした。いや、それは予感というよりも確信だった。

「エスニ」とサンが呟く。


 俺とサンは集団を離れ、あたりを歩き出した。

 あたりには肉片が散乱していた。焦げた臭いがする。接近戦で撃たれたのはふたりである。サイのように下半身が残ったりなどはなく、爆発四散し、原形すらとどめていない。


 少し行くと、地面に女がひとり倒れていた。苦悶の声がする。駆け寄ると、ミイミヤである。どうやら、最初に吹き飛ばされていたのが彼女だったらしい。抱き起そうとするが、痛みがひどいらしく、動かせない。


「私がみてますから」と俺は言って、サンを行かせた。「すぐ戻る」と言って去る。ミイミヤの隣に座る。「倒せた?」と苦しそうに彼女は言う。「はい」「よかったあ」と言い、笑って、苦しそうにする。俺はミイミヤの手を握った。「すごかったですよ。一番最初の一撃」「ありがとう」「まあ、大丈夫ですよ。吹っ飛ばされたくらいで死にはしません。私が言うんだから保証します」「そうだね」


 サンの方を見る。ここから見える限り、地面に爆発の跡が、八つある。どうやら八人撃たれたらしい。実際の予測よりもかなり多い。今、モンスターの死体に集まっている人数と、接近戦で撃たれたふたり、俺とミイミヤとサン、爆発跡の数を足すと、ちょうど二十五だ。


 十人死んだ。


 十人。十人? なんだか、いまいちぴんと来なかった。多いのか少ないのか、わからない。多い気もする。さっきまで生きていた人が、今では十人も死んでいることがなんだか奇妙に思える。涙も出なかった。呆然とする他なかった。


 やがてサンがこちらに戻ってきた。手には、なにかを持っている。その顔は悲痛なものであった。立ち上がり、近くによると、手の上の物を見せてきた。それは、青みがかった黒髪の細い束で、先に赤い布のようなついていた。それが剥がれた皮膚であると理解するには少し時間がかった。サンは他に靴と刀を持っていた。


 S型は、新人の中に二人。しかし、彼女たちはモンスターの死体のまわりの集団の中にいた。そして、俺はこの刀に見覚えがあった。柄に傷がある。エスニは、他人のと見分けがつくようにここに俺の刀を使ってマークをつけたのだ。Sの文字。


 ふと顔をあげると、サンが静かに泣いていた。サンが泣いているのを初めて見た、と俺は思った。少し遅れて、ふと俺は自分もまた泣いていることに気がついた。

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