48.伝染する思想:2
翌日の昼、俺はホールの酒場に来ていた。酒場と呼んでいるが、酒は出ない。雰囲気が酒場っぽいから俺が勝手にそう呼んでいるだけだ。大路からすこし外れた場所にある店だった。酒場はだいたい、盛り場であって、飲み物を頼んだあとは歓談したり、賭け事をしたり、カードゲームなりボードゲームに興じている。皆退屈なのである。
飲み物を頼む。基本的に、支払いは造形装置の使用券で行われる。通貨代わりだ。指導部が出しているし、数も安定しているので使いやすい。
耳をすますと、人々の会話が聞こえてくる。
ふと、管理知性という単語が聞こえて、驚いた。振り返ると、男の二人組がなにか話し込んでいた。だが声が小さく、聞き取れない。酒場の机にはよくみると例の落書きが成されている。気のせいかと思ったが、違うだろう。道を歩いていても、どこにいても、管理知性や計画という単語が耳に入った。今まで意識していなかっただけかと思ったが、そんなことはないだろう。やはりあの落書きは個人のいたずらではないのだ。計画への疑念はすでに広まっている。
サンを待っていた。今朝話をしたいと言ったのだが、用事があると言われ、昼にここに来るよう指定された。この落書きの件について、話そうと思っていた。そろそろ来るだろうと思っていると、店の扉を開けて、サンが入ってきた。こちらを見つけ、歩いてくる。
「悪いな、話が長引いて。で、話とは何だ」
席につくとサンはすぐにそう言った。
「それが」俺は話し出す。「落書きを見たんです。拠点や基地のいたるところで。ちょうど、これのような」俺は机の落書きをゆびさした。「知っていましたか?」
「いや、知らないな。なんだこれは」
サンは言う。
「計画のマークです。あのホールのエレベーターの扉に書かれている。それにバツをつけている」
サンが表情を硬くした。
「意識すれば、街のいたるところでそのことが話されてます。落書きも至る所にある」
「気づかなかったな。いつからだ」
「帰ってきた時に見つけました。ですから、広まったのは探索に行っている間ですね」
「……私たち以外の誰かが気づいたってことか。盲点だったな。たしかに他人が同じ結論に行きつくこともある」
「はい」
サンは腕組みをして、黙考したのち、言った。
「……どうなると思う」
「サンはどう思います」
「不味いことになるだろうな」
「そうですね。暴動が起きるかもしれないし、そうでなくとも厭世観が広まれば処分される者は増える」
「……」サンは腕を組んで天を仰いだ。「そうか。……そうだな。誰かは気づくか。私たちだけが気づくだろうというのは傲慢か」
とんとんと机を指で叩く。
「全員死ぬだろうか。基地は持つのか」
「どうでしょう。全員が、暴動に参加したり、厭世して処分されるとは思えません。私たちだって、事実を知ったうえで探索などを行っていますし。ですからある程度は残るでしょうね。基地はかなりの被害を受けるでしょうけど」
「どうにもならないのか?」
「暴動が起きるのを阻止して、厭世が広まらないようにすれば、あるいは。基地が壊滅することはないでしょう。ですが、暴動は阻止できても、絶望が広まることは避けられないでしょうね。そして、計画が虚偽であることが周知されてしまえば基地のパフォーマンスが落ちる。なんのために戦うかわからなくなるからです。自分たちが何らかの存在によって支配されているということを自覚してしまう。一定数は私たちのように探索を行えますが、全員が全員そうではない。それを見て管理AIがどうするか」
「……」
「もしかしたら全員処分してまた一から始めようとするかもしれない」
サンは苦虫を噛んだような顔をした。
「誰かに話したか? 指導部はこのことを知っているのか」
「わかりません。ディーには伝えてみようと思います
「厭世が広まるのを避ける、か。今までまがりなりにも人類を再興すると信じてやってきたのが嘘だとひっくりかえされるわけだ。それでも仕方がないと受け入れられるのもいるが、そうでないものもいる。そうでない者、絶望する者は処分される。だが、そうなると、新しく生産した人間のうちで、絶望する者の割合が増える。絶望した者は処分する必要がある。効率が低下する」
「はい」
「絶望しないようにするなら新たな目的を設定するか、あるいは絶望が広まった状態でも以前と同じかそれ以上のパフォーマンスを出せるようにするか、だ。管理AIに見限られないようにしないとならない」
サンは滔々と話を続ける。
「思想の伝播は避けられない。暴動を防いで、基地のダメージを最小限に抑え、なんとか住人の意欲低下を避けて、パフォーマンスの維持に努める。そうすれば、基地が崩壊することはない。それが唯一の道だ。たぶんな」
サンは話し終える。だが、俺はすぐに返答できなかった。サンの話を聞いて、俺は圧倒されてしまっていた。俺は、サンのようにここまで考えることができなかった。なにが起きるかは予想できたが、どう対応すべきか考えられなかったのだ。……いや、と俺は思う。考えなかったのだ。俺は、そこまでして滅亡を避けたいと思えなかった。それでもいいような気さえしていた。だから対応策を考えようとしなかった。
サンが対応策を話し始めて、俺は驚いたのだ。サンはまだ諦めてはいない。
「……」
「私たちだけではなにもできない。ディーに話しにいく必要がある。ミイミヤに言ったか?」
「まだです」
「……どうした?」サンが不思議そうに尋ねてくる。俺はたぶん奇妙な顔をしていたのだろう。
サンに見つめられて、俺は思わず言ってしまった。「そこまでして滅亡を避ける必要がるんでしょうか。管理AIに管理され続けるなら、滅亡してしまったほうがいいんじゃないかって、思ってしまうんです」
その言葉を聞いて、サンは目を見開いた。俺のことをじっと見つめる。俺は目を逸らさなかった。なんだかサンが見知らぬ他人のように、俺とはまったくかかわりのない人のように思えた。
「私は、そうは思わない。お前がどう考えているかは知らない。たしかに管理AIに支配されているのは癪だ。嫌だろう。だが、私は、基地のみんなに死んでほしくはない。この生活が壊れて欲しくはない。人に死んでほしくないと思うことは、そんなにおかしな考えだと思うか? 滅亡してしまってもいいと思うなら、基地の全員がそう思うなら、それでもいいだろう。だが、そうじゃないだろう。友人もいるし恋人もいる。そんな生活が壊れて欲しくないと思うのは、間違ったことではないと、私は思ってる」
サンが言い終え、じっと俺の目を見た。
そう言われて、俺は頭を金づちで殴られたような感じになった。
いつか、サアニにも同じようなことを言われた気がした。俺はあまりに利己的にすぎるのかもしれなかった。そうだ。こんな世界は嫌だ。俺は間違っていると思う。だが、そんな世界でも生きている人々はいるのだ。その生活が、人生が、間違っているわけではない。世界が間違っていても、そこに生きる人々は、間違っていない。
「そうか……、そうですね」
「こんな世界はクソだ。それは同感だ。管理AIもクソだ。だがなんでそれで私たちが滅亡する必要がある? 現実は、受け入れないとならない。どんなにクソで愚かでもだ。たしかに間違ってる、それはそうだがな。この世界が正しいとは思わない。だが、それを変えられない以上、受け入れるしかない」
サンの言葉には反論のしようがないように思えた。
「ディーのところに行くぞ」
サンが立ち上がる。俺もまた立ち上がった。サンが酒場を出た後ろ姿を見て、それから、俺もそうせねばならないような気がして走り出した。路地を駆けた。今は、サンの言うことが正しいと思えた。どんなに管理AIに支配される世界に腹が立っても、その世界に生きている人々はいるのだ。彼ら彼女らに死んでほしいとは、俺は思えなかった。思うことができなかった。それはなんだか悪いことのように思えた。結局、俺は小心者なのだろう。
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