47.伝染する思想:1
エレベーターは下降している。人間を輸送する際には、中に足場が組まれて、エレベーター内は複層化される。いつかは重量が限界を迎えるかもしれないが、それはとうぶん先だろう。昇降路の壁が下から上に流れ去っていく。エレベーターの駆動音と、乗っている者たちのざわめきが耳にうるさい。
あれからあの落書きをさらに探したが、それは街のいたるところで見つかった。下に書かれている文は統一されていなかったものの、なべて計画の否定を表すものであった。
初めてあの落書きを見た時の衝撃はすでに薄れ、俺は自分でもおどろくほど、冷静だった。ディーたち指導部は、この落書きに気づいているのだろうか。あの落書きは誰によって書かれたのだろうか。個人か、あるいは組織か。
組織ならば、計画が嘘であるという考えを、すでに多くの人が共有しているということになる。そうしたら、どうなるだろう。思想は伝染病のように基地に広まり、やがて基地全体を覆い尽くすだろう。
思想の伝播をとめようか、とは思わなかった。かつては避けるべきだと思っていたが、俺以外の存在が気づいて、それが広まったというのなら、もうそれはどうしようもないことのように思えた。それに、とめられるとは思えなかった。ディーたち指導部なら、とめられるだろうか? 無理だろう。なぜならそれは疑いではなく、事実だからだ。
少し考えれば、疑いが事実であると考えるにたる材料はいくらでも見つかる。杜撰な箇所はいくらでもある。ゲームを再現しようとしたために発生した、矛盾がいくつもあるのだ。一度それに気づいてしまえば、もう思考の連鎖をとめることはできない。
おそかれはやかれ、訪れることだったのだ。俺たちがいくら隠そうと、誰かがそれに気づくときはくる。考えてみれば当たり前のことなのだが、今の今まで俺はその可能性に思い至らなかった。
こういうとき、どうしたらいいのだろうか、と思う。もしも、計画が虚偽である事実が基地全体に広まれば、混乱がおきるだろう。探索のやる気をなくす者も出てくる。自暴自棄になって、基地を破壊しようとするものも出てくる。
管理AIはそれを抑えようと住人を処分するだろうが、広まった思想はもはやとめることはできない。住人の自治では、それは解決できない。ディーたち指導部でも無理だろう。基地は壊滅的なダメージを受けることになる。おそらく、大部分が死ぬ。残った者たちは、それでも、それは俺やサンやミイミヤのように、その事実を受け入れて、管理AIに従うだろう。
管理AIがどれだけ俺たちの実情を把握しているかはわからない。ゲームでは、管理AIは人間の言葉を把握はできない。精神がどれだけ安定しているかを把握できるだけだ。基地に攻撃するなど直接の行動をとったり、住人を攻撃すれば、処分されるが、たとえば不平不満を言うくらいなら無視される。
だがこれはゲームの話だ。サンなどは、管理AIを破壊する話などをしたときには、基地の外に出るようにしている。実際にどれだけ管理AIが俺たちのことを監視しているかは不明だ。たぶん、ゲームを再現するために、設定に忠実であろうとは思うが……。
しかし、管理AIに従順になるといっても、計画が虚偽であることを知ってしまえば、住人のパフォーマンスに影響は出てくる。それを嫌って、全員殺して一から始めようと思うとも限らない。つまり、リセットしてニューゲームを始めるわけだ。
思想が伝播することで起こりうる出来事は、軽く想像するだけで、俺を暗澹たる気分にさせた。そして、それはおそらく俺個人の力では避けることができないだろう。あるいは、一部だけなら、ディーたちでも阻止できるかもしれない。直接的に行動すること、たとえば自棄になって基地を攻撃したり、自殺したり、住人を攻撃したりすることは防げるかもしれない。だが、思想の伝播は防げないし、思想が広まってしまえば、絶望も広がる。絶望して探索を拒否するようになれば処分される。さらに基地全体のパフォーマンスが低下してしまえば、リセットされるかもしれない。
どうしようもない。もはやとめられないのだ。あれが個人のいたずらならいいが、それは楽観的にすぎるような気もした。あの落書きのは個人の仕業というより、複数の作者がいる気もする。そうおそくないうちに、思想は伝染し、基地全体にひろまるだろう。
視線を転じる。エレベーター内は活気に満ち満ちていた。ひさしぶりに基地に戻る者たちは浮足立っている。友人や恋人にひさしぶりに会えるからだろう。
ちらりと見た足場の隅にも、あの落書きが書かれていた。
基地につくと、エレベーターから順番で、指示されながら人が出ていく。エレベーター前の通路は、今ではかなりそのサイズを大きくしていた。横幅は何十メートルもある。高さもそれと同じだ。通路はホールに続いていて、エレベーターから出てきた者たちはまっすぐホールに向かう。
通路は人であふれ、ホールに出ると途端に視界が広がる。ホールは広く、そこかしこに小屋がたてられていた。建材が灰色なので、街は全て灰色であった。小屋は最大で十階ほどで、こどもがつみあげた積み木のようにホールに広がっている。小屋の間を通る路は迷路のように入り組んでいる。ホールに繋がる通路と通路をつなぐように大路があって、中央には交差点と大きな広場があった。
ホールには無数の人が入り乱れていた。基地で生産されたばかりの人間は、居住区で過ごすが、時間が経過するとホールのアパートなどに引っ越すことが多かった。そちらのほうが便利だからだ。かつては基地の全員が、食堂で食事を取っていたが、今や食堂は存在せず、このホールの街にある飲食の屋台や店舗がその役割を担っていた。
街で飲食店などを運営するのは、もと探索者で、だいたい怪我をして続けられなくなった者であった。怪我人は、基地で働き、健康な者は外に探索に出るのだ。それほどまでに怪我人は多かった。
通路を出て、ホール内の大路に出る。サンとミイミヤとはすでにわかれていた。そもそもエレベーターが一緒ではなかった。俺はひとりで大路を歩いていた。誰かと肩がぶつかり、あやまる。
ホールの天井には大きな照明がぶら下がっているが、ホール内は薄暗かった。建物の軒先にぶら下げられたライトや街路に立つ照明灯が、ぼんやりと造形装置で造られた灰色の建物を照らして、あたりは宵闇を思わせた。
この活気あふれる光景を見ていると、あの落書きも、そしてそれがもたらすであろう惨劇も嘘なような気がした。だが、それは本当なのだ。
誰かにつたえたほうがいいのだろうか。誰かに相談しようか。しかし、誰にだろう。ふと、サンが思い浮かぶ。サンに話そうか。きっと彼女は俺の話を聞きいれてくれるだろう。だけど、もうどうにもならないことを、彼女に伝えて、不安を共有したところでなんになるのだろうかという気もした。いつか終わりが来るならば、それまではその到来を知らないほうがいいのではないか。……しかしそれは俺の手前勝手な考えだろう。
いつのまにか俺は路地にはいりこんでいた。壁を見て、俺は思わず苦笑した。そこにも落書きはあった。
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