46.落書き

 基地の真上にある地上拠点は、今やかなりの規模に拡大していた。ビルの一階部分には造形装置でつくった資材を組み合わせて、小屋がつくられ、最近では二階建てにもなっている。小屋が建ち並ぶそれは小さな街を思わせた。地上拠点で寝泊まりしている者もいるらしかった。大部分は、前哨拠点に物資を輸送する運び屋たちであるが、一部には探索者、これはモンスターと戦う者たちの名であるが、も住んでいるようだ。


 ただ、基地から物資を運ばねばならない関係上、人口の大部分はやはり地下の基地に存在していた。基地のエレベーターで運べる物資の量には限りがあるのだ。地上に食料生産装置を建設できればいいが、造形装置でもそれはつくれないし、自作しようにもできるわけがない。


 基地と地上を結ぶエレベーターはいつまで経っても、改築も増築もされることはなく、サイズもそのままだった。もっと基地が発展すれば、いずれエレベータをフル稼働しても必要な物資を運搬できなくなるだろう。その問題は、どうやら何度か指導部のほうでもあがっているようなのだが、会議の席では管理AIが対応するだろうという意見が多く、いまだ対策はとられていなかった。


 瓦礫や物資を載せる必要上、人がエレベーターを利用できる時間帯は制限されている。朝と夜の時間だけで、それも人数制限があり、予約しないと乗ることはできない。この面倒を嫌って、地上拠点に住み着く者もいるほどだ。


 地上拠点前の道路はターミナルのようになっていて、物資輸送や、人間輸送用の、バスが集まって、賑わっている。

 がたがた揺れる荷台から、ターミナルの遠景が見える。並行して何台かのバスが地上拠点に向かっていた。いつか基地がより発展すれば、このターミナルではさばききれなくなるだろうと思ったが、ではどうすればよいのかはわからなかった。


 俺たちは探索期間を終え、基地に帰還していた。奇しくも運転手は行きと同じ人物であった。荷台には基地に帰還する探索者たちが多く乗っていて、皆、がたがたと揺られながら黙りこくっている。喋ると舌を噛むからである。サスペンションはつけているらしいが如何せん悪路なのでしょうがない。


 太陽がビルの影に隠れようとしていて、ターミナルには影が迫りつつあった。空はまだ青いが、影が差すとあっというまに寒くなる。道の適当な場所にバスが停まり、ぞろぞろと乗客が降りていく。運転手に礼を言って、降りる。ミイミヤがエレベーターの予約をしておくと言って、先に行った。エレベーターが利用できるようになるまではまだ時間があった。それまでは地上拠点で時間を潰す必要がある。


 地上拠点のあるビルの入口に着く。割れたガラスが散乱していた床は綺麗に清掃され、一階ホールにはエレベーターまでまっすぐのびる大きな道を中心として、街が形成されている。道には瓦礫を載せた輸送機が行き交っていて、歩道橋もできている。ビルの入口では輸送機が何台も出入りをしていて、道の隅に歩行者用のルートがあった。そのルートも、今は人が多い。地上拠点に入ると、食べ物と砂埃の香りがした。


「私も用事がある」とサンが言った。

「どこか行くんですか」

「模造刀を使って対戦会をやろうと思ってな。ロナクの発案なんだが」


 ロナクとはサンの訓練仲間の名である。サンは楽しそうに笑う。

「ディーに話しは通したから、とりあえず仔細な部分を決めようという話になった」

「……そうなんですね」

 俺が言うとサンは頷く。

「ロナクも今日、探索からこっちに帰るらしいからな、探してくる。エスも対戦界に出るか?」

「いえ、私はそんなに強くないですから」

「そうか……、まあ気が向いたら見に来てくれ」


 サンが立ち去る。俺はその場にぽつんと取り残されてしまった。歩行者の流れに身を任せる。


  基地は発展を続けている。しかし、どこを目指しているのかはわからない。この世界をつくった存在が、管理AIとしてふるまって、ゲームを再現して遊んでいるのなら、エンディングはなんなのだろう。sandboxというゲームに、エンディングはなかった。ただ終わりなく基地を発展させ続ける。いちおう、ゲーム内でつくれるオブジェクトをすべてつくり、素材などをカンストさせ、人口もカンストさせれば、それ以上遊ぶことはできなくなる。あとは実績を解除してしまえば、それで終わりだ。新しいキャラだったりコンテンツが追加されるのを待つか、ゲームをやめるか、どちらかだ。


 でも、ゲームならそれでいいのだ。だが、現実は違う。現実は、素材がカンストすることはないし、人口がカンストすることもない。基地は無限に拡大することができるはずだ。


 管理AIはなにを目的にしているのだろう。楽しいのだろうか。こんな大がかりなことをするほど退屈だったのだろうか。いつまでこのゲームは続くのだろう。しかし、もしゲームが終わってしまえば、管理AIがいなくなれば、俺たちは滅びることになるのかもしれない。管理AIがいなくなれば食料生産装置もなにも、停止するはずだからだ。それは嫌だったが、しかし避けようがないし、それでももうかまわないような気もした。


 エンディングが無いのならば、ゲームを終わらせることができるのはプレイヤーだけだ。そしてsandboxにエンディングは存在しない。プレイヤーがゲームを辞めないかぎり、ゲームは終わらない。

 いつか滅びがくるということが、救いのような気もしたし、同時に、ゲームをやめて俺たちが滅んでも、遊んでいるだけの管理AIは滅びないのだ、ということもしゃくにさわるきもした。


 あの地下の水槽に漂う肉塊はなにを思っているのだろう。あるいはあの肉塊を通して、基地を操作し、管理AIとして振る舞っている何者か、は、なにを考えているのだろう。ゲームを再現し、遊んでいて、これからどうするのだろう。ずっと遊ぶのだろうか。飽きるまで? それとも終わりがあるのか?


 わからない。もしかしたら、管理AIは飽きることなく、永遠にゲームを続けるかもしれないし、突然ゲームをやめて、唐突に基地に終わりが訪れることになるかもしれない。いや、ゲームをやめるのならまだいい。なにもかもを破壊して、そして終わるかもしれない。子どもが、築きあげた砂の城を最後には壊すように、管理AIもゲームを終える時に、なにもかもを破壊してしまうかもしれない。


 いつか、終わりが来るのだろうか。来るかもしれない。しかし、俺たち住人は、その決定になんらの関与もできないのだ。あくまで終わりを決めるのは、エンディングがないゲームにおいては、プレイヤーだ。俺たち、NPCではない。NPCはゲームの終了の決定になんらの影響を与えられない。プレイヤーがやめるといえば、俺たちはそれでおしまいだ。


 結局、俺たちはゲームの駒にすぎないのだ。一度は管理AIを倒せるとは思ったが、しかし、それはもはや無理だとわかっている。俺たちは管理AIを倒せない。

 いつか訪れるかもしれない、管理AIによってもたらされる身勝手で理不尽な滅び。それは避けようがないものだ。もちろん、それが訪れるまえに、俺は死んでいるかもしれない。あるいは、今日明日にでも滅びは訪れるかもしれない。それはわからない。


 サンやミイミヤはこのことに気づいているのだろうか。あるいは、もう考えるのをやめてしまっているのだろうか。そちらのほうがきっといいのだろうと思う。考えてもどうにもならないことを考えるよりも、現状に適応して、楽しく生きたほうがいい。友人と騒いだり、歌舞をしたり、食欲を満たすなり、恋愛をするなり、したほうがいい。問題は、何度も繰り返すが、俺はそれをできないということなのだ。


 かつて俺たちは、管理AIを破壊すれば基地の機能が停止するとして、その事実を皆に知らせることをやめた。計画が嘘でも、それを知らせたところでどうにもならないなら、嘘を信じていたほうがいい。だけど、基地の機能が停止するという滅びは、俺たちが秘密を隠し通せても、俺たちが管理AIに対し反乱しなくても、いつか突然、訪れるかもしれないのである。反乱して地下の肉塊を破壊し、自分たちの手で世界を終わらせるか、あるいはいつか訪れるかもしれない滅亡を意識しながら生きるか、道は二つだった。後者のほうが数段マシなのはわかっている。わざわざ自分から滅亡しなくてもいい。


 ただ、いずれ滅亡することが嫌だとは思わなかった。この世界が滅ぶ姿を想像すると痛快だった。

 滅びが、いつかこの世界に訪れるであろう不条理な滅亡だけが、唯一俺を慰めるものだった。いずれ訪れるかもしれない不条理な滅びが、この狂った世界を、管理AIとして振る舞う何者かによって遊ばれるためだけに構築された世界を、終わらせるのだ。ただ、それは、ほかならぬ管理AIの手によってもたらされる滅びなのだけれど。


 sandbox! よくいったものだ。砂場だ。好きなように構築し、好きなように壊す。弄られる砂は、なすすべはない。


 よくない、と思った。こういった憂鬱な思考を繰り返して、ノイローゼにでもなったりすれば、基地によっていずれ処分される。もちろん、どんなに絶望していても、毎日やることをやっていれば処分はされないのだが。いますぐ探索にいくのもやめて、かつてのオウみたいに、ひきこもれば、管理AIは俺を処分する。


 でも生きるのが嫌ならば、それでもいいような気がする。実際、そうする者も基地にはいる。基地では毎日数人、ひきこもって処分されるか、錯乱して建設ドローンなり住人なりを攻撃して処分されるか、あるいは自死している。だが、俺にはそれができない。


 死。死だ。いつか訪れる個人としての滅び。世界はいつか滅びるが、その前に俺も死ぬだろう。だけれど、死ぬのは恐い。それはかわらない。嫌だった。でも生きるのも嫌だ。退屈だった。だけど死にたくないのだ。死にたくないから生きているだけで、べつに生きていたいわけじゃない。


 俺はかつてなにを目的にして生きていたのだろう。かつては笑っていた気がする。なにが楽しかったのか、自分でも思い出せない。


 思考が次から次へと生まれてくる。だが、この思考がどこかに行きつくことはないことを俺は知っていた。けっきょくぐるぐる同じところをまわって、最終的に眠くなるかでうやむやになってしまうだけなのだ。答えは出ない。

 憂鬱! わけもなく憂鬱だった。


 いつのまにか、俺は小屋と小屋の合間を縫うように歩いて、袋小路に行きついてしまった。辺りには人がいない。大きな小屋で、運び屋の倉庫なのだろう。壁には落書きがいくつもしてあった。


 ライトを使った照明灯があたりには立っていて、壁はその光に照らされている。地上拠点は薄暗い。壁にあったひとつの落書きに、俺はふと目をとめ、「あっ」と思わず叫んだ。驚愕した。


 落書きは、見覚えのあるマークにバツ印をつけたもので、ほとんど殴り書きのようなかたちであった。問題なのは、そのマークだった。マークは、基地のエレベーターの扉に書かれてある人類再興計画のものであった。あの螺旋のマークだ。


 人類再興計画のマークをバツ印で消している。俺はこんな落書きを今まで見たことがなかった。だが、それが意味することはすぐにわかった。人類再興計画の否定、すなわちあの碑文の否定なのだ。


 ただのいたずらだろうか、と思った。だけれど、誰にも言っていなかった人類再興計画の否定をあらわすものを、落書きとはいえはじめて見て、俺は驚嘆してしまった。


 やがて他にも探してみようとおもいたった。

 地上拠点を歩くと、その落書きはいたるところに存在した。計画を示すマークを否定するものだ。落書きがあるのは、人の少ない場所であった。それは意識しなければ気づかないけど、意識すれば絶対に見つかるような場所、壁の隅や地面なんかに、潜んでいた。


 書かれた時期は比較的新しいように見える。誰かが悪戯でかいたのだろうか。俺にはそうはおもえなかった。なんらかの意思を持って、なにかを伝えるためにかかれているような気がした。


 地上拠点の端、ビルの壁にも落書きがあって、その下に小さく文字が刻まれていた。それを見て、しばらくの間、俺は立ち尽くした。呆然としてしまった。


「計画管理知性碑石」と言う言葉が刻まれて、さらにそれが横線で消され、下に「全部ウソだ!」と書かれていた。刀で削ったものだから、文字はぐちゃぐちゃで読めたものではなかったし、見た目はすごい間抜けな感じだったが、俺は驚きのあまり声も出なかった。


 そうだ、と俺は思った。俺が沈黙を保っても、計画が虚偽であることに気づく者は出てくるのだ。

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