04-02 後回し
下り階段を降り始めてから数分が経った。視界は暗く、自分たちの足音のほかには聞こえる音もなにもない。菊池はひとつあくびをした。
「隼さあ、おまえがさがしてる女の子たちって、おまえのなんなの?」
「後輩と、……部活仲間だな」
「ふうん。わざわざこんなとこまで必死な顔で来るくらいだから、てっきり恋人かなにかだと思ったよ」
「ふたりともか?」
冗談のつもりで言ったのだが、菊池は特に思うところもなさそうに頷く。
「ふたり。そういうやつもいるし」
特にこだわりのなさそうな反応。あるいは「難しいことは考えない」というスタイルを突き詰めると、こういうところに行き着くのだろうか。
「それに、なんでもないやつのためにわざわざこんなことをするのも変だと思ってな」
「……」
そうだろうか。
そもそもの発端は、ちせがいなくなったことだ。ちせを見つけること、それだけだったはずだ。それだって、俺がわざわざ、というよりも、ましろ先輩に協力して、という意味合いが強い。
ちせを見つけるために、ここにきたのか、と言われると、そうじゃない。
なにが、どうなっているのか? と、たぶんその問いに答えはない。けれど何かがどうにかなっているのはたしかで、俺はそれにただただ振り回されている。
夢、現実、夢、現実。異境、夢、現実、異境、夢、現実。
馬鹿馬鹿しいところに、いつのまにか運ばれている。
でも、それは、ずっと前から起きていたことなのかもしれなかった。
「菊池は、ここをなんだと思ってる?」
「それは、おまえの夢か、それとも現実かって話?」
「とりあえず、そうじゃなくて」
「……まあ、変なとこではあるな」
「……それだけ?」
「それだけっていうか、俺、なんも覚えてないしな。自分がなんでここにいるのかも、よくわからないし。帰りたいような気もするけど、女の子が迷い込んでるなら、さがしたほうがいい気がするし」
「……」
そう、それは優先しなきゃいけない。
ちせを、市川を見つけ、連れ戻すこと。
けれど……。
考えながら、階段を降りる。やがてそれは終わり、小部屋のようなところに辿り着く。目の前には、あきらかに違和感のある扉があった。
「これ、エレベーターか?」
「……みたいだな」
上、と、下の、ボタンが二つ。
菊池はなにかを言う前に下を押した。
「おい」
「だって、上に行ったら俺らが来たほうだろ。下に行くしかない」
「……まあ、そうか」
エレベーターの扉はすぐに開いた。内側から、照明の光が漏れてあたりを照らす。そのなつかしい明かりはなんとなく俺を安心させた。
エレベーターのなかには、操作パネルはなかった。扉は勝手にしまり、エレベーターは勝手に動き出した。
「隼は、なんかめんどくせえやつだな」
と、菊池はエレベーターの壁にもたれながら苦笑まじりに俺を見た。
「なにが」
「いや。たとえばさ、目の前に猛獣に襲われてる子どもがいるとするだろ」
「……猛獣?」
「なんでもいいけど、ワニでもサイでもキリンでも」
動物園みたいだ。
「おまえはきっと、考えるんだろうな、『自分はなにかをするべきなんだろうか?』『どうしてワニなんてこんなところにいる?』『あの襲われてる子どもはいったいどうしてこんなところにいるんだ?』って」
「……」
俺は黙るしかなかった。
「とりあえずよ、こうなってるんだから、こうなっちまってるんだからさ、進もうぜ」
と、菊池が笑う。俺も考えるのが馬鹿らしくなって少し笑った。夢がさめるかさめないか、ちせを見つけられるか見つけられないかは、あとで考えることにする。
そして、エレベーターの扉が開くと、そこは森だった。
「……おおう」
これにはさすがの菊池も動揺したようだった。俺たちはたしかめるように一歩踏み出す。あきらかに木々の匂いがする。森には太陽が浮かんでいた。背後を見る。コンクリートで出来た壁にエレベーターの扉は埋め込まれるようにあった。操作パネルもあり、上のボタンを押すとそれが光ってまた扉が開いた。乗らずにしばらく待つと、勝手に閉じる。とりあえず、戻れないということはなさそうだ、今のところ。
「なんで森なんだよ……」
混乱しかかったとき、菊池が俺が思ったことをそのまま声に出したので笑ってしまった。
「なに」
「いや。ほんと、なんでなんだろうな」
「な。意味わかんねえ」
『なぜ』、と、おそらく問うことには意味がない。
森といっても、道のようなものがある。エレベーターは人工物なのだから、人の手が入ってはいるようにも思える。両側に木々が立ち並んでいるけれど、エレベーターからまっすぐに、道が伸びている。
菊池は迷わずに、森の様子をうかがいながら歩き出した。俺ももう、それを止めはしない。
「てっきり、図書館かと思ったんだけどな」
「なんだろうな、この状況は」
と、ほんの少し歩き出したところで、悲鳴が聞こえた。森の静けさのなかで、それはいっそコミカルなくらいに浮き上がった響きだった。
その声が、
「ちせだ」
とわかる。
「今のどっち?」
と菊池に問われるまえに駆けだしていた。まだ道のむこう、正確な位置はわからない。
「ちせ!」
呼びかけて少しすると、声が聞こえた。道から少し逸れた先から声が聞こえる。木々で、なにもみえない。
「こっち?」
と、うしろから菊池がついてくる。
「ちせ!」ともう一度呼ぶと、彼女が俺の名前を呼ぶのが聞こえた。
木々の合間を縫うように、飛び跳ねるように走る。突き出した根にひっかかりそうになりながら、俺と菊池は進んでいった。
やがて、彼女の姿を見つけた。それと同時に、彼女を囲む何者かが視界に入る。
三匹。
の、大きな犬だ。
なんで、なんでと。
問うても仕方ないことを、いまは問いはしない。
犬は、こちらに気付くと振り向いてうなり声をあげた。
むき出しにされた牙から垂れる涎。明白な敵意。
隼さん、ともう一度ちせが俺を呼んだ。
「待ってろ、どうにかするから」
と、言ったところで。
……どうすればいいんだ? 野犬って。
武器もないし、逃げたところで追いつかれるだろう。
躊躇した瞬間、三匹のうち一匹が、ちせのほうを向き直って近付こうとした。
まずい、と思って声をあげかけたとき、とりあえず俺は靴の片方を脱いでその犬に投げつけた。
一瞬で飛び退いて距離を置いたその犬は、今度はこちらを警戒するように睨む。
「おおう、隼くんやるねえ」
「……見逃してくれないかな、こいつら」
「頼んでみたらいいんじゃない。意外と聞いてもらえるかもよ?」
「三人で食われるかもしれないな」
そう言ったとき、不意に菊池は真顔になって、
「な。待って。どうにかできるかもしれないわ、俺」
「は?」
「ん。たぶんなんだけど」
と言って、菊池は拳を何度か握ったり開いたりした。
「うん。たぶんいけるわ」
「ごめん、何言ってるかわかんねえ」
「よいしょ」
やる気のなさそうな声をあげたかと思ったら、止める間もなく彼は犬たちに向かって走り出した。そして、
「えいや」
と、またやる気のなさそうな声をあげながら握りしめた拳を突き出す。
犬たちは驚いたのか、かわそうとする様子もなかった。そして彼の拳があたった瞬間、ぱん、と音がして、犬の一匹が風船のように割れる。
途端に、残った二匹の犬はその場から逃げ去るように駆けだしていった。
「……おお、やれたわ。見た? 隼、今の見た?」
「……いや。見たけど。見たけど……いや、なに?」
と、考えるのも驚くのもひとまず脇におき、ちせのほうを見ると、
とん、と軽い衝撃が腹のあたりにぶつかってきて、遅れてそれがちせだと気付いた。
「隼さん!」
呼びかけられながら、ひとまずそれを抱き留める。
「ええ、助けたの俺……」
と菊池が微妙そうな顔をしているのが視界の端にうつったけれど、放っておく。
「大丈夫か?」
「え、ええと……はい、いえ、怖かった、ですけど、あの……」
上手く言葉がまとまらないのか、ちせの口調はしどろもどろだ。
俺はひとまず彼女の頭をぽんぽんと撫でた。
「まあ落ち着け。大丈夫だ」
「……さっきまでびくびくした顔してたくせに、女の前だと強気だなあ、隼くんさあ」
「やかましい」
「……あ、あの。そちらは」
「俺、菊池淳也。きみを助けたの、俺」
「……あ、ありがとうございます!」
なにかに気付いたように、ちせは俺から離れて、菊池に向かって礼をした。
「積もる話もあるだろうけど、また何か起きる前に道に戻らないか」
菊池にそう言われて、俺は頷いた。
「隼さん、なんでここに……」
と、ちせに訊ねられるけれど、それも後回しだ。
「『なんで』は全部あとだ、ちせ」
「……はい」
菊池はひとり、上機嫌に笑って、また拳を握ったり開いたりしはじめた。
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