02-04 靴箱のなかの生活
◇
文章を適当に書き上げたあと、どうしても気になって部室に向かうことにした。東校舎の屋上から出て、鍵を締めて階段を降りる。そうすれば部室までは廊下を歩くだけだ。
なにか見逃していることがある気がする。それがどう重要なのかはわからないが、とにかく確認しておいたほうがいい気がする。
部室には瀬尾、大野、それからちせの三人が揃っていた。俺を見ると三人は意外そうな顔をする。
「出たな、サボり魔」
と、大野が苦笑いする。ちせもまた似たような顔だ。瀬尾だけがいやに上機嫌で、
「よっす、副部長」
などと手を挙げてきた。
俺はひとまず大野に原稿を書いたノートを渡した。
「ありがとう」
「さっきサボり魔って言った?」
「気のせいじゃないか」と大野は視線をそらした。まあべつにいい。
「去年の部誌、あるよな」
「ん。誰も読んでないから戸棚に入ってるんじゃないかな」
瀬尾の返事にうなずきを返しながら、戸棚に近づいてバックナンバーを漁る。平成二八年夏季号。ましろ先輩ひとりのせいで、異様な厚みを負うことになった部誌を開く。目次からましろ先輩の名前を探して、すぐに見つける。
「七不思議についての調査記録/宮崎ましろ」
まずは調査を開始した理由と、どのような手段で調査したか、ということが書かれている。「部誌を読み返したさいに頻出する怪異や超常現象の存在に興味を持ち……」というのは嘘とも本当ともいいがたいが、原稿を書いた理由は「新聞部に頼まれて」が正しい。手段に関しても「当時の在校生と連絡をとり……」と書かれているがこれも嘘だ。
「どしたの、副部長」と瀬尾から声をかけられる。
「ちょっとね」と曖昧に返事をすると、ちせが勘づいたようだった。
「姉さんの原稿ですか?」
正解。
「ましろ先輩の?」
と、瀬尾が今度は首をかしげた。ちせは俺にしたのと似たような説明を瀬尾たちにも始めた。こうやって噂が広まっていくのだろう。
ましろ先輩の原稿には、やはり、「代々伝わっている七不思議」としては書かれていない。「調査した結果見つかった、昔から語り継がれている七つ以上の怪談」を寄せ集め、「便宜的に七不思議と称する」としている。
はじまりは校内新聞、次に部誌『薄明』。噂はあっというまに広まって、いつのまにか「代々伝わっている」「七不思議」があることになった。
差出人を誰も気にしていない、と大野はいつだか言っていたが、それよりももっと重要なことがある。
大抵の人間は、差出人どころかテクストそれ自体さえ読まない。そういうことが起きるのだ。
ましろ先輩が「便宜的に七不思議に数えてもよかろう」と判断したものは以下の五つだ。
「桜の木の守り神」……桜の木に守り神が宿ってるとか、そういうような話。『薄明』には目撃情報が多く、実際にそういう噂が過去あったものと思われる。
「予言の手紙」……『薄明』に記述があった噂話。図書室の本に挟まれている、というような記述はない。
「四階」……本来は三階建てである本校舎の四階にたどり着いてしまう話。これも『薄明』に実際にそういう怪談の記述がある。
「這う男」……謎。なんだかわからないが、廊下を這い回る男が、夜の校舎で目撃されたらしい。なぜましろ先輩がこれを採用したかも謎。
「地下迷宮図書館」……地下に迷宮の図書館があり、迷い込むと出られない、というだけの噂。これもましろ先輩が採用した理由が謎。否定する根拠がない、というだけのことかもしれない。
次に「信憑性が薄い」としたのが、
「鏡の向こうの異界」
「飛び降りる集団亡霊」
「巨大な鳥影」
など。これらは「荒唐無稽である」などの理由よりもむしろ、「噂の出どころが信用ならない」「証言に矛盾がある」という理由で否定される。
こう考えると、噂そのものだけを見ればかなり眉唾というか、色物だ。広まった理由はむしろ、ましろ先輩の文章に変な迫力があったせいかもしれない。
さて、これが「現に起きている」のが、「予言の手紙」らしい。
「ちせ、聞きたいんだけど」
「はい」
「『起きてるらしい』ってのは、手紙だけ?」
「はい」
予言の手紙。予言……。
「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」
……予言?
これが予言だったら、どういうことになる?
考えた瞬間、ぞっとした。
「副部長、調べるの?」
瀬尾にそう訊ねられて、変な妄想が断ち切られる。妄想力がたくましいのはよろしくない。
「まさか」
と返事をしながら、無性に気になるのはやめられない。それでも、今のところは、単に一枚のメモと、そういう噂が聞こえてきたというだけの話。気にするだけ損だ。
そう思い、ぱらぱらと部誌をめくると、不意に気になる名前を見つけた。
『市川鈴音』だ。……幽霊部員だったのに、去年は部誌に参加していたのか。そういえば彼女は、べつに参加していないとは言っていなかった。
去年は、彼女が原稿を寄せているとは気付かなかった。彼女の名前も知らなかったんだから当然と言えば当然かもしれない。
寄せられているのはひとつの詩だった。
◇
まだ暑い八月の、よく晴れた日の真昼のこと
わたしの前にとてもきれいな女の人があらわれた
「この子がいいわ」と彼女は言った
わたしは彼女の前にいるのに
彼女の前にはわたししかいないのに
「あなた」ではなく「この子」と言った
真っ白な服を着て、
真っ赤な口紅をひいたその人は、
「この子はわたしのための靴」
うたをうたうようにそう言った
あの日からわたしは神様の靴
彼女が観劇におもむくための
彼女を運ぶちいさな靴
それなのに神様は一向に観劇にはおもむかず、
わたしはいまひとり
使われなかった色鉛筆のように
覗かれなかったオペラグラスのように
奥深くにしまいこまれたまま
わたしは、神様のための靴
履かれなかった靴のように
どこにもむかうことのない
捨てられる日を待つだけの
わたしの
靴箱のなかの生活
◇
読み終えて、俺は部誌を閉じて戸棚にしまう。
「なにかわかりました?」とちせに訊ねられるけど、調べているつもりなんてない。「わかるもなにもない」とだけ返事をすると、ちせはちょっと不満そうだった。
「そうですか。なにかわかったら教えてくださいね」
「わかったらな」
それだけ言って、部室を後にすることにする。「またね!」と瀬尾だけが上機嫌だった。
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