04-05 枝葉
瀬尾に連れられて店を出ると夜だった。湿り気を帯びた風にはいつのまにか降って止んだのだろう雨の匂いが含まれている。
店の窓から漏れる光のせいで、瀬尾の表情は陰になってよく見えない。
「とりあえず、ちせちゃん見つかってよかったねえ」
なにがなんだかわかんないけどさ、と、瀬尾はからから笑った。ゆらゆらと弾むように歩く彼女の様子を見ていると、俺は無性にやましい気持ちになる。
「よかったのかな」
「うん?」
「俺たち、出てきて」
うーん、と彼女はおおげさに首をかしげながら微笑した。
「いいんじゃない、べつに。任務達成、ってことで」
「……いいのかな」
「うん」
あっさりうなずいて、瀬尾は歩く。俺は彼女の横顔を見ながら、なにかを考えようとしたけれど、うまくはいかなかった。どうしてだろう、いつからだろう。
「それとも、副部長は、いいってことにしたくないの?」
「……そうかも」
「納得できないことがあるんだ?」
「……そうかもしれない」
でも、なにが、なのだろう。はっきりしない。
「副部長は、どうしたい?」
「……どう?」
「うん。ちせちゃんが帰ってきた。わけはわかんないけど、帰ってきて……気になってるのは、市川さんのこと?」
言葉に窮する。会話の隙間を靴音が埋める。道路を走る車のエンジン。信号の光の明滅。
「それとも、市川さんが連れてた、迷子の女の子のこと?」
「……」
「わたし、よくわかんないな。副部長が急に調子悪そうにしてる理由。昼間まで、普通だった気がするから。雅さんのことも、気になるは気になるけど。……副部長は、なに考えてるのかな。ま、べつに、知らなくていいことだって言われたら、それだけなんだけど」
ひとつため息をついて、俺は少し笑った。
「俺にもよくわかんないや」
「自分でも、わかんない?」
「うん」
「なにがしたいのか、とか。なににもやもやしてるのか、とか」
「うん……」
罪。罪の重さ。
市川鈴音、菊池淳也、鴻巣ちどり……。
夜の空気はひんやりとして、肌に触れる風は心地よい。どうしてこれだけではいけないのだろう。なにが足りないのだろう。
「罪の重さを、考えてもみろ」
「……うん?」
俺の呟きに、瀬尾はふっと首をかしげて、怪訝そうな顔をする。
「そう言われてるんだ、何度も」
「……誰に?」
「……わかんない。幻聴かもしれないんだけど、たとえば、瀬尾とふたりで桜の木の下の梯子を降りたとき、椅子のあったあの小部屋で」
「幻聴、かあ」
「あとは、去年の冬。クリスマスイヴの日。地下鉄のなかで、急に……」
「……」
瀬尾のほうを見るのをやめて、俺は自分の足元を見た。歩くのも、なぜだか夢のなかにいるように覚束なく、頼りなく思えた。
「副部長は……」
「うん」
「罰を待ってるの?」
俺は答えなかった。瀬尾は言葉を重ねない。
「なんで?」
と、質問に質問を返すと、彼女は苦笑いして、
「そういうふうに聞こえたから」
と言った。
「散歩しよっか、少し」
「もう遅いけど」
「そだねえ。じゃあ、副部長、わたしんちまで送ってくれる?」
「……いいけど」
「ん」
俺は、誰かになにかを聞いてほしかったんだろうか。
いま、なにかを話したいのだろうか。
きっと、話さなくていいこと、話すべきじゃないこと。
「中学のとき、さ」
「うん?」
「俺が二年のとき、有名な後輩がいたんだ。有名っていっても、べつになにか特別ってわけじゃなくて、ものすごく話題になってた、ていうか、表現がむずかしいんだけど、ものすごく人気のある後輩がいて」
「女の子?」
「うん」
「モテたってこと?」
「……だな。めちゃくちゃかわいかった」
「ふうん?」
なんで今その話? というふうに、瀬尾は眉を寄せた。
「副部長も好きだったの?」
「いや、俺はほとんどその子と会ったことなくて。ただ噂だけいろいろ流れてきた。はじめは評判がよくて、見た目が人気で、男子はみんな気に入ってて、何をやるにも注目を浴びてたな。同級生から、めちゃくちゃかわいい子がいるって話を聞いて、あの子だよって教えられて、ああ、なるほどな、って思った」
「……それが?」
瀬尾はちょっと不機嫌そうな顔をした。
「最初の頃はそうだったんだ。冬頃からかな。その子についてよくない噂ばかりが流れるようになった。内容は、本当にろくでもないようなこと。男に色目使ってるとか、誰々の彼氏を取ったとか、そういう話。嘘か本当かもわからないような話」
「……まあ、ありそうな話だね」
彼女はちょっと苦い顔をしてうなずく。道端に自販機を見つけて、瀬尾は立ち止まった。
「なにか飲む?」
「自分で買うよ」
「おごったげるよ。今日の副部長は弱っちいから、やさしくしたげる」
「……どうも」
「いいってことよ。それで?」
「年明けに、その子が死んだって話を聞いた」
「……」
「自殺だったらしい」
ふむ、と瀬尾は息をつき、自販機に千円札を突っ込んでリンゴジュースを買った。
「何飲む?」
「サイダー……」
「うむ」
取り出し口から缶を取り出して、瀬尾は俺にそれを手渡した。彼女はその場でプルタブをひねり、口をつける。
「その子とはほとんど話したことがなかったけど、冬休みに入る前に、何度か話したことがあるんだ」
「ほう?」
「校舎の裏とか、そんな場所。俺がいったら、たまたま彼女がそこにいた」
「まあ、副部長そういうところ好きそうだしね」
「動物小屋のうさぎを見てたな」
「副部長のとこ、動物小屋なんてあったんだ」
「うん。珍しいのかな」
「……たぶん。珍しいんじゃないかな? それで」
「最初は普通に話してたんだ。噂の子だってことも気づいてた。でも、別に話してみたら普通だったし、特に気にならなかった。放課後、気が向いたときにそこを覗きにいくとだいたいその子がいて、俺もなんとなく、嫌じゃなかったから、たまに会って話をしてた」
「顔もよかったし?」
「……まあ、そうかも」
「副部長も男の子だね? って、からかっていい話なのか、微妙だけど」
「ただ、あるときそれをクラスの他のやつに見られて、忠告された」
「忠告?」
「評判悪いから、近寄らないほうがいいって」
「……それで?」
「それで……そこに近付くのをやめた」
「……」
「そのあと一度だけ、廊下ですれ違って、目が合った。俺は声をかけなかったし、むこうもなにも言わなかった。それで俺は、目をそらした」
「……そっか」
なんでそんな話を急に、とは、瀬尾は言わなかった。
「飲みなよ」
「ん」
「サイダー」
言われて、俺は缶を握りしめていることに気付いた。
「つまんない話したな」
「そう、ね。それが、副部長が思う、副部長の罪?」
「……なのかも」
「そっか」
瀬尾はそれ以上なにも言わなかった。それがありがたくて、いたたまれない。
「こういうことなんだ。俺がずっともやもやしてるとしたら、俺が引っかかってるとしたら、こういうこと。どうにもならないんだ、どうにもならないんだけど、今更、だからって、体よく忘れて過ごす気にもなれない」
「責めてるの? 自分のこと」
「……どうだろう。責めた気になって、納得したいだけかも」
「納得?」
「自責の念を感じてるうちは、自分はまっとうな人間だって思えるから、アリバイ作りみたいに、言い訳にしてるだけかもしれない。本当はその子のことなんてどうでもいいと思ってる自分に気づかずにいるために、いい奴でいたくて、気にしたふりをしてるだけなのかも」
「……なるほど」
「だって俺は何もしなかったんだ」
「……そだね」
きみは悪くないよ、と、そう言ってもらいたかったわけじゃない。
だから、ありがたい。
許されたいわけではないし、免れたいわけでもない。ただ、考えるのをやめられないだけだ。ただ、これすらも……。
瀬尾はジュースを飲みきって、ゴミ箱に缶を捨てた。
「行こ」
「ああ」
「……副部長は」
「うん」
「どうしたい?」
「……」
どうしたい、どうしたい?
俺は、
――罪の重さを、考えてもみろ。
どうできると思っているんだろう。
◇
そこからはたいした話もせずに、瀬尾を家に送った。俺が自分の家に帰り着いた頃にはそこそこ遅い時間になっていて、家には鍵がかかっていた。純佳はまたリビングのソファで眠っていた。
自室にもどり、ベッドにもたれた。いろいろなことが一気に起きすぎて、すっかり参ってしまっているようだ。
マンドラゴラが誰なのか。
今度はひとりで来てね。
罰を待ってるの?
ぐるぐるとそんな言葉が、頭のなかを巡る。
たぶん、そう。
市川鈴音に会いにいかなければならないのだろう。
夢と現実との区別が、どこまでも曖昧になって、もしかしたら今いるここも、そのうち醒める夢で、目がさめたら俺は、どこかのタイミングのアルラウネのベッドの上にいるのかもしれない。そんなことさえ、最近は考える。
「夢は、見る者に何かを求めている」と、雅さんは言った。
何を、求めているのだろう。
マンドラゴラ。人のかたちをした植物。
本は植物で出来た木。繊維で編み上げられたものの集合体。『手紙で編み上げられた木』。雅さんはそう言っていた。
三"枝"隼。
瀬尾"青葉"。
これが夢であったなら、どこからが夢なのだろう。突拍子のない空想が、頭をよぎる。
これが夢だとしたら、俺が罪人だとしたら、罪人の精液――欲望から、マンドラゴラが生まれるのだとしたら、マンドラゴラは、瀬尾青葉かもしれない。
でもそれは、疲れ切った頭が空転して生み出した妄想だろう。
けれど、どうなのだろう。
もう、何が起きても、何が嘘でも、おかしくないような気さえした。
ポケットに入れっぱなしの携帯が不意に鳴った。画面を見ると、瀬尾からメッセージが来ている。
「疲れてると思うから、ゆっくり休んでね」
了解、とだけ返信をして、俺は静かに瞼を閉じた。体がひどく重たかった。
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