04-04 鏡を覗くものは
◇
それから起きたことは、あえて語るまでもないようなことだった。
雅さんの車にのせられて、校門にたどり着いた俺が見た光景は奇妙なものだった。子供みたいな顔で泣きじゃくるましろ先輩と、彼女に抱きしめられながら、物問いたげな様子でこちらに視線を向けてきたちせ、それから困り顔に安堵をにじませてその様子を眺める瀬尾の姿。そういったものを俺は初めて目にしたような気がする。
ちせは意外なほど普段どおりの様子だった。疲れたような様子もなく、空腹や眠気すら感じていないという。どちらかというとそれがひどかったのがましろ先輩のほうで、「校門にずっといても仕方がないから車で送る」と言い出した雅さんの車にあっさりとした様子で乗り込むと(普段のましろ先輩ならば見知らぬ人の車に乗るような無警戒は絶対にしなかっただろう)、とつぜん「お腹が空いた」と言い始め、「それならば食事をしていきましょうか」と雅さんが言って、近場のファミレスまで移動する道の途中で、彼女は既に眠っていた。肩に頭を寄せられたちせは終始気恥ずかしそうな困り顔で、俺は珍しいものを見たと思った。
「副部長がなにかしたの?」
と瀬尾に問われ、ちせもまた説明を求めるようにこちらを見た。
「少し」
説明が面倒だった。そう思ってから、自分が疲れていることに気付く。当たり前だ。今日はいろいろありすぎた。いろいろ、そう、いろいろ……。何もかもすべて今日一日に起きたことだ。信じられない。
瀬尾は、なにか言いたげにしていたけれど、やがてそれを自制するように押し黙る。沈黙のあわいにちせが声をあげた。
「あの、隼さんと一緒にいた人は……?」
「……一緒にいた人?」
「えっと……菊池さん?」
一瞬、雅さんが息をのむのがわかった。なぜだろう、と考えるより先に、自分の頭がうまく回っていないことをまた実感する。
何を言えただろう。どこから説明すればよかったのだろう。けれど店につくまで、俺は結局黙りこくったままでいた。ひどく疲れていた。そう、ひどく疲れていた。
◇
ファミレスについたあと、ましろ先輩はちせに揺すられて目をさました。それから俺たち五人は店内のテーブル席につき、それぞれに注文をすませた。といっても、料理を頼んだのはましろ先輩とちせだけで、俺と瀬尾と雅さんは飲み物だけを注文した。
「とりあえず、無事でよかったね?」
ちせのことは、雅さんには話していない。だから事情がわかるわけもないのだけれど、ましろ先輩の様子から何かを察したのだろう、彼女はとりあえずそう言った。はい、とましろ先輩はうなずいた。
「……えっと」
「わたしは、弓削 雅って言います。隼くんの……バイト先? みたいなところの店主かな」
説明が面倒にならないように、そういうことにしたらしい。よかったよね、と目で尋ねられて、とりあえずうなずく。
「副部長、バイトしてたんだ」
「まあ、みたいなもの」
実際には店主と客の関係なのだけれど、細かいことは今はいい。
ありがとうございます、と、ましろ先輩は雅さんに頭をさげた。車を出したことだろうか。俺にはよくわからない、よくわからなくなった。
「副部長、どうしたの」
「……いや」
訊ねられても上手く返事ができない。
「ごめん、ちょっと」
立ち上がって、トイレに向かう。とりあえず持ち直さなければ。ちせから聞きたいことがたくさんある。ましろ先輩や瀬尾も、説明を求めるだろう。だからちゃんと整理しないと。何を話せる。何なら話せる。
手洗い場の前で、一度手を洗う。そのまま顔を濡らして、制服の袖でそれを拭った。
何かが起きている、と俺は思った。いつからだろう。どこからだろう。なにかおかしい。
菊池に会ってから? 森に入ってから? ちせを見つけてから? それとももっと前?
アルラウネで眠ってから? 放課後、瀬尾と地下に潜ってから?
全部だ、全部おかしい。それはわかってる。
でも、起きていることは起きていることだ。全部、現実として、意味のわからない現実として、降り掛かってきた。
鏡を見る。
俺の顔が映っている。
――罪の重さを、考えてもみろ。
――マンドラゴラが誰なのか、思い出せたら、また来い。
『絞首刑になった罪人の精液』。
罪人が俺だったら?
重い罪を抱えているのが俺だったなら、マンドラゴラは、誰なのか?
◇
席に戻ると、四人が揃って俺たちの方を見た。
「すみません」と断ってから、席につこうとしたところで、瀬尾が立ち上がって俺を見た。
「副部長、今日はもう帰ろ」
「……でも」
「顔色悪いもん。疲れてるでしょ。とりあえず、ちせちゃんも大丈夫そうだし、詳しい話は今度にしよう?」
けれど、俺はどこまで話さなければならないのだろう。
どうして、ちせを見つけられたかを話すためには、アルラウネのことを話さなければならない。
アルラウネのことを話せば、奇妙な夢のことを話さなければならない。市川鈴音のことも。
市川鈴音のことを話せば、彼女がまだ見つかっていないことも、話さなければいけなくなる。
おそらく「むこう」のどこかに市川鈴音がいるだろうことも。
そして、言わなければならないだろう。
俺の夢と、「桜の下」が、どうしてか理屈はわからない、それでもあべこべにつながっているだろうこと。
そして、俺の夢とつながった「桜の下」で市川鈴音が連れ歩いていた「迷子」が、俺の幼馴染に、鴻ノ巣ちどりにそっくりだったことを。
鴻ノ巣ちどりが、子供の頃に失踪していることを。
でもどうしてそんなことが起きる?
俺の夢と、「桜の下」がつながっているとしたら。
「桜の下」は、俺の夢の一部なのか、それとも、俺の夢が、「桜の下」の一部なのか。
あるいは……。
ちせが巻き込まれたあの場所は、俺のせいで生まれた場所なのではないか。
「副部長」と瀬尾が俺を呼び、
肩をぽんと叩いた。
「帰ろ」
それから俺の腕をとり、席に残った三人に頭をさげる。
「送っていきます」
「うん。お願い。こっちは、わたしにまかせて。……て、わたしも怪しい大人だけどさ」
雅さんは茶化すように笑った。ましろ先輩とちせも、それぞれに小さくうなずく。
「……すみません」
「いいからほら、いくよ」
瀬尾は俺の腕を引いて歩き出した。俺は引きずられるように彼女についていく。
◇
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