音と声

あなたたちに話したこと

01-01 カフェオレまで

 


 瀬尾青葉は退屈そうにあくびをしたあと、


「そんなわけで、部誌をつくるって話はこないだしたわけなんだけど」


「はあ」


「でもねえ、なかなか進退窮まったって感じですねえ」


 ぼんやりとした、やる気のない口調でそんなことを言った。


 珍しく雨降りの日だったから部室に顔を出してみたのだけれど、瀬尾は本調子ではなさそうだ。彼女の表情、というか顔は、やっぱり俺を不思議な気持ちにさせる。


 それにしたって今日はいつも以上にだるそうにしている。気圧のせいというだけでもなさそうだ。瀬尾の振る舞いに、これでいいものかと部室にいる他の部員たちに目を向ける。


 俺の友人であり、図書委員でもある大野辰巳は、気まずそうな顔で鼻をかいた。もうひとりの、唯一の新入部員である宮崎ちせは、「なんといったものやら」という顔で苦笑している。


「まあでも、ひさびさに副部長が顔を出してくれたわけだし、あらためて話をしようか。まず部誌『薄明』の発行について」


 いかにも乗り気じゃないというふうの、匙を投げたような瀬尾の言い方にわずかや申し訳なさを覚える。

 

「春季号の発行にあわせた原稿の提出期限については、ちょうど一月くらい前に副部長にはしたよね」


 副部長、は俺のことだ。


「聞いてる」


「入部したばっかりのちせちゃんと大野くんはともかく、副部長には早めに出してもらえると嬉しいなあって言ってたと思うんだけど……」


「そんなことも言われたっけなあ」


「言ったの!」


 と、ここで瀬尾は語気を強める。言われたらしい。


「もう! なんでそんなにやる気ないかなあ。わたしたち世代の初仕事なんだよ?」


 それはたしかにそうなのだけれど、と苦笑しつつ、俺は瀬尾をどうどうとなだめようとするが、かえって癇に障ったのか、彼女は「んんー!」と唸り声をあげはじめる。


「先輩たち、ほんとに仲悪いですね」


「仲というより、相性がな」


 他人事のようにちせと大野が言葉を交わす。べつに仲が悪いつもりはないのだが、そういうふうに見えるのは仕方ない。瀬尾の俺に対するあたりは去年の暮れあたりから間違いなくきつくなった。


 それ以前はまあ、友好的と言えなくもなかったのだが、当時のやりとりを知らないふたりにはピンとこないかもしれない。


「とにかく、締切は今週中で……!」


「あ、ごめん」


 と、俺はポケットから震えたスマホを取り出して画面を見る。操作を終えて、スマホをしまう。瀬尾はそのあいだ律儀に待っていた。


「悪いな。なんだっけ」


「や。大丈夫? 急用?」


「いや、ソシャゲのスタミナ全回復したから消費を」


「こ、こいつ……」


「……ほんとに相性だけですかね?」


「仲も悪いかもしれん」


「ていうか、仲とか相性とかじゃなくて隼さんが悪いような?」


「瀬尾、俺喉乾いたからジュース買ってくるわ」


「逃げるなこのー!」


「瀬尾もなんか飲む?」


「む……カフェオレ!」


「了解」


「……やっぱ仲は良いんですかね?」


「わからん」




 

 部室を抜け出して息をつく。


 瀬尾の言うことはわかる。部誌『薄明』の発行は文芸部の唯一と言ってもいい活動で、毎年部員たちは春夏秋冬に分けて四回、好きなだけ文章を書いて編集し発行する。部室の戸棚にはバックナンバーが並んでいて、これまでの部員たちがしっかりと活動してきた痕跡が残っている。


 卒業した先輩たちも、そのまた先輩たちも、文章を書いた。俺たちも書かなきゃいけない。


 そんな状況にあって、俺たちの状態はよろしくない。


 今年の文芸部員は五人。もともとのメンバーは俺と瀬尾、もうひとりは幽霊部員。新入部員は先代部長のましろ先輩の妹であるちせだけで、人数が足りずこのままでは同好会に格下げだ、というすんでのところで、友人である大野辰巳に名前を貸してもらい、かろうじて部の体裁をとどめた。


 ただ、大野は文章なんて書けないし、幽霊部員も部には顔を出さない。そうなると書ける人間は俺と瀬尾、それから入部したばかりのちせということになる。


 俺が書かなければ最悪瀬尾ひとりでつくるはめになる。そこまではわかる。


 俺は部室の扉を離れ、階段へと向かう。


 さて、じゃあなにを書くか、と考えたときに途方に暮れる。


 俺の文章の師はましろ先輩だと言っていい。彼女は迷ったときほど好きに書けという。それでしばらくは俺もどうにか騙し騙しやれていた。


 それがそろそろ限界だ、と気付いたのが去年のこと。


 別のやり方を手に入れなくてはいけない。そうでなければ俺は文章を書けたことにはならない。



 文芸部の幽霊部員である市川鈴音は、いつも渡り廊下で本を読んでいる。彼女が文芸部員であることを知ったのはつい先月のことだ。俺はそれまで彼女のことを、「なんだかわからないけどいつも渡り廊下のベンチに座って本を読んでいるやつ」としか認識していなかった。


「や」


 と彼女は手を挙げる。俺は適当にそれに応じて、彼女のとなりに腰掛ける。


「急に呼んでごめんね。忙しかった?」


「さほど」と俺は答えた。瀬尾の機嫌がちょっと悪くなっただけだ。


「そんなに時間はないけど」


「そっか。ラインでもよかったんだけど、まあ話はあとでいいか」


 市川は俺と話している間も本から目をあげようとしない。いつもそうだ。


「何読んでんの?」


 尋ねると、彼女は背表紙をこちらに向けた。ボルヘスの「幻獣辞典」だった。


「なにそれ」


「なんだろ。まあこれはともかく、三枝くん、昨夜のこと覚えてる?」


「……まあな。その話?」


「うん。それについても話したかったんだけど、忙しいならそっちはあとでいいや」


「ふうん?」


「もう一個の用件。雅さんから伝言。今晩八時に『アルラウネ』」


「了解」


「……」


「なに?」


「なんか秘密結社のやりとりみたいで格好良くない?」


 変なところで子供っぽいやつだ。




 紙パックのカフェオレを二本買って部室に戻ると、瀬尾はふてくされた顔でパイプ椅子に腰掛けていた。


 困り顔のちせと「どうすんだこれ」という顔の大野に睨まれながら、俺は瀬尾にカフェオレを差し出す。


「ほら、瀬尾」


「……」


 ツーンとすねた顔のまま瀬尾は俺を無視した。苦笑しながら俺は自分の分のカフェオレにストローを差す。


「悪かったって。ちゃんと部活出るから」


「……副部長はさ、わたしのこと嫌いだよね」


「そんなことないよ」


 珍しく、瀬尾が面倒くさい。


「いま面倒くさいって思った?」


「思ってない思ってない」


 俺はポーカーフェイスを貫いた。瀬尾はいかにも納得のいかないような顔をして俯いた。なにやら変なところを刺激してしまったらしい。


 助けを求めて他二名の顔色をうかがうと、「しーらない」というふうに目をそむけられる。


 どうしたもんかな、と考えつつ甘だるいカフェオレをすする。


「飲まないの?」


「……」


 返事がないものの、視線はちらりとカフェオレに向かった。飲みたいことは飲みたいらしい。


「副部長はさ」


「うん」


「わたしのことなんて、どーうでもいいと思ってるでしょ」


 ジト目で睨まれて、少し考える。こんなに面倒な話になるような場面だっただろうか。


「あの、わたしたち席を外しましょうか?」


 ちせが気遣わしげにそう尋ねてくるが、こんな場面で置き去りにしようとしないでほしい。


「いっつもわたしの話ちゃんと聞かないし」


「そんなことないって」


「ソシャゲのスタミナ消費するほうが大事なんでしょ」


「とりあえずさ」


「うん」


「真面目に書くからそんなに拗ねるなって」


「……」


 瀬尾はまだ何か言いたげな顔をしていたけれど、仕方なさそうに頷いて、カフェオレを手に取った。


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