04-07 話し合うべき事柄
瀬尾青葉について、それ以上俺から話すつもりはなかった。彼女は鴻ノ巣ちどりとは関係のない人間だ、と考えるようにしている。
瓜二つだという印象は、所詮、俺や怜が感じているだけのことにすぎない。そして彼女の個人的な事情を、誰かに口外する気もない。
言葉の端からそれを察したのか、怜はいくらか考え込むような調子になった。
「……隼は、じゃあ、どうして瀬尾さんと一緒にいるの?」
「……どうして?」
どうしてって、どういう意味、と問おうとしたとき、怜の表情から、俺は何か奇妙な雰囲気を感じた。何か言いたげな、何かを訴えるような瞳。どこか心細いような、頼りなさそうな。そんな顔を、子供の頃、怜はしたことがなかった。
「……どういう意味だよ」
改めて問い直すと、彼女はどこか落ち着かない様子で目をそらした。
「隼は、ちどりと似ていると思ったから、瀬尾さんと一緒にいるんじゃないの?」
「……なんで」
「なんで、って」
今度は怜が驚いたように、こわばった笑みを浮かべる。
どういう意味だか、考えてもわからない。
「言ったろ。瀬尾は、ちどりじゃない」
「……でも、じゃあ」
「瀬尾は高校の文芸部で一緒になったんだ。少人数の部活なんだから、一緒に行動くらいするだろ」
「……そう、だね」
それでも尚、何か言いたげな様子の怜に、俺は奇妙な緊張を覚える。どうしてこんなに、返事に窮するのだろう。どうしてこんなに、俺が瀬尾と一緒にいる理由を気にする?
「瀬尾青葉は、鴻ノ巣ちどりとは別人だ。それは怜が……」
一番知っているだろう、と言いかけて、やめた。けれど、何を言いかけたのか、怜にはわかったのだろう。一瞬だけ苦しげな顔になったかと思うと、ごまかすように笑った。
「……そうだね」
「……それより、話したいことがあるんだ」
「なに」
「おまえさ……」
俺は、一瞬言いかけた言葉を引っ込めて、代わりに別のことを話した。
「……変な夢とか、見る?」
「は?」
「……」
「……」
「や。なんでもない」
「なんでもない、の?」
どこまで話していいものか、と悩みつつ、俺は結局口を開いた。
「……超常現象って、信じる?」
「……隼、疲れてる?」
「まあ、疲れてはいるな……」
そういう返事にはなるだろう。
「とりあえず、最近いろいろあって、考えを整理したいところだったんだ。よかったら、探偵さんの意見を聞きたい」
「その呼び方、やめて」
怜は、思ったよりも強い調子で、昔の呼び名を拒絶した。俺はほんの少し驚く。
「……子供の頃のことだから」
「悪い」
「ううん。それで?」
「どこから話すのがいいのかな」
とはいえ、話せるところから、ということになる。自分の頭を整理するのもかねて、俺は怜に、最近俺の身に起きていたことについて話した。怜ならたぶん、笑いはしないだろう。
◇
1、奇妙な声。
「……幻聴?」
「だな。変な男の声。強く、咎めるような」
「内容は?」
「……言いたくない。ただ、印象的なのが一個。『罪の重さを、考えてもみろ』だ」
「罪、ね」
◇
2、奇妙な夢。
「内容自体は、別に夢らしいっちゃ夢らしい。やけに現実感があって……違うな。醒めたあとでも、現実としか思えない夢、だ」
「それは、いやだね」
「かなり。その夢を見ると、俺は、文脈と状況から夢と現実の区別をつけるしかない。寝る前はここにいたはずだ、とか、現実ではこんなことは起きないはずだ、みたいな具合だ」
「……なるほどね」
「そして、その中に、ひとり状況を共有できる相手がいた」
「……」
◇
3、市川鈴音。
「市川鈴音。瀬尾や俺と同じ文芸部の部員で、俺は夢の中であいつに会った。そして現実でそのときの話をすると、市川も夢の中で俺と会ったと言う」
「……同じ夢を見てる、ってことだ」
「そうなる」
「……それで?」
◇
4、『アルラウネ』。
「夢をみる人、って都市伝説があって」
「ああ、知ってる。『アルラウネ』だね」
「……なんで知ってるんだよ?」
「前に調べたことがあるんだ」
「……」
「なに?」
「……やっぱり探偵じゃないか」
「その呼び方、やめて。じゃあ、『アルラウネ』で見てもらったんだ」
「っていっても、特に何がわかったってわけじゃないけどな」
◇
5、市川鈴音と宮崎ちせの失踪。
「市川鈴音と、後輩の文芸部員、宮崎ちせが同時期に失踪した」
「失踪?」
◇
6、七不思議。
「ここからが面倒な話だ」
「聞くだけでめんどくさそうだね」
「そもそもうちの高校の七不思議は、もともと文芸部の部誌に記述があったものをかき集めて、先代部長が去年捏造したものだ。本当に流布していたかどうかすらわからない。とりあえずこれを前提にして聞いてくれ」
「了解」
◇
6-1、予言の手紙。
「ちせは失踪する直前、宮崎ちせの友人が、ある日図書室の本に挟まっていた謎のメモを見つけた。ちなみにボルヘスだ。そのメモには『桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!』という記述があった」
「なるほど? いたずらかな?」
「俺もそう思った。でも、ちせはそう考えなかった。これが七不思議のひとつである『予言の手紙』である可能性を考えた」
「……なるほど。でも、それが予言ってことになったら」
「そうだな……。『桜の樹の下には、これから屍体が埋められる』ってことになるかもしれない。でも、俺もちせもそうは考えなかった」
「どういうこと?」
「誰かのいたずらで、なにかの暗号だと思った。あからさまに梶井基次郎の引用だったから」
「……なるほどね」
◇
6-2、地下迷宮図書館。
「でも、そもそも、ちせが気にしていたのはその七不思議じゃなかった。別の七不思議……『地下迷宮図書館』の方だった」
「ふむ?」
「『予言の手紙』に近いことが起きたことで、もしこの七不思議が現実に起こりうるとしたら、『地下迷宮に誰かが迷い込んだら危ない』とちせは言っていた」
「……」
◇
(怜は、俺の言葉を聞いてあからさまに黙り込んだ。言ってから、どこかで聞いたような話だと俺も思った)
◇
6-3、桜の木の下。
「とにかくちせは、その噂について調べていた。それで、ある日失踪した。同時期に、市川鈴音もいなくなった。ちせは、学校から出た気配がなかったにもかかわらず、学校からいなくなった」
「……隼がいうなら、学校からは出てなかったんだろうね」
「鞄も靴もそのままだった。俺じゃなくてもわかることだ」
「……続きは?」
「俺と瀬尾はちせの足取りを追うことにした。彼女が七不思議を調べていることはわかっていたから、地下迷宮にあいつが迷い込んだんじゃないか、と思ったんだ」
「うん」
「それで、予言の手紙をさらに調べた。新しく挟まれていたメモがあった。『騙されないものはさまよう』だ」
「……ふむ」
「ラカンの引用らしい。俺と瀬尾はこれを暗号だと思った。でも最終的に、それをそのまま真に受けることにした。『騙されないもの』が『さまよう』なら、『騙される』ものは『さまよわない』。だから、『真に受ければさまよわない』と読むことにした」
「なるほど」
「そして、『桜の木の下』に向かった。するとそこに、地下につながる梯子を見つけた」
「桜の木の下?」
「校門のそばに大きな桜がある。その近くだった」
「誰でも入れそうな場所だね」
「……そう、だな。でも、たしかにあった。俺たちはその梯子を降りた。問題はそこからだな」
◇
6-4、地下の校舎。
「地下の空間を進んでいくと、俺たちは校舎の中にいた。夜だった。誰もいない校舎だ。進んできた扉をもう一度くぐるとそこは屋上だった」
「……混乱してきた」
「続ける。その中で俺と瀬尾は市川鈴音と、彼女が連れている小さな子供に出会った。けれど、彼女たちはすぐに姿を消した。俺と瀬尾は鏡をさがした」
「うん。それで?」
「校舎の中にある鏡に近付くと吸い込まれた。それで、現実の校舎のほうに戻ってきた」
「なるほどね」
「……」
「なに?」
「いや」
◇
6-5、鏡のむこうの異界の森。
「その日の夜、俺は『アルラウネ』に行った。するとそこで、市川鈴音が眠っていた」
「……えっと?」
「失踪したと思っていたら眠っていた、んだけど。失踪したタイミングからずっと、そこで眠りっぱなしらしい。アルラウネで眠ると、俺は必ず、市川鈴音と会える夢を見る。だから、夢の中で市川に出会えるかもしれないと思って、そこで眠ることにした。でも、そこにいたのは市川じゃなくて、菊池淳也という男子だった」
「……知ってる人?」
「知らない。とにかくそいつと一緒に行動した。夢の中は、ほとんど『桜の木の下』で見た地下の空間と一致していた。俺は、俺の夢と、桜の木の下が繋がっているんだと考えた。そのどこかに、もしかしたらちせと市川がいるかもしれない。そして、菊池と一緒に校舎を散策しているうちに、本来の校舎には存在しない、地下に向かう階段を見つけた。そのさきにはエレベーターがあって、それを更に降りた先は森だった」
「悪趣味な夢だね。なにがなんだかさっぱりわかんないけど」
「本当にな。その森で、ちせを見つけた。そして、例の鏡から現実に帰ると、俺はアルラウネで目を覚ました。その日、ちせは夜の校舎で見つかった」
「……」
◇
「ここまでが、大雑把な流れ」
「……実際に起きたことなんだよね?」
「ああ」
「市川さんは、まだ眠ったまま?」
「そうなる」
「……それで、隼は……」
なぜだろう、怜は、どこか、落胆しているように見えた。
「……ねえ、市川さんと、夜の校舎で会ったときにさ、一緒にいた女の子って、どんな子だった?」
「……迷子だっていってたな」
「そうじゃなくて、見た目とか」
「……」
こいつは。
本当に、俺が知っている泉澤怜なのか、と、不意にそんな感覚に襲われる。
「ちどりに似てたよ」
「……だったら!」
彼女は不意に声を荒らげた。周囲の喧騒からも浮き上がった、ひときわ大きな声。
恥じるようにあたりを見回したあと、怜は小さな、震えた声で言葉を続けた。
「だったら、隼はもう一度そこに行くべきだよ」
「……」
「隼にとっての謎は、たぶん、そこに行かないと、解けないんだ」
そうかもしれない。
「ちどりは、きっと……」
「……ちどりは?」
「その子が」と、
「その子が、ちどりかもしれない」
「……ちどりがいなくなったのは、六年前だぞ。六年前のちどりと瓜二つの子供がいたとして、ちどりってことにはならない」
「……」
怜は苦しげに顔を歪めた。
「……隼は、さ」
「……なに」
「隼が、あの日、来ていたら、なにか違ったのかも。あの日、純佳ちゃんが風邪を引かなければ……」
あの日、が、いつをさしているのか、俺にはわかった。純佳が、風邪を引いた、と、その言葉に、俺は思わず息をなくした。
ちどりがいなくなった日、あの日、あのとき、本当は、俺も、怜と、ちどりと、一緒にいるはずだった。
その日、なにがあったのか、どこにいたのか、今に至るまで、怜は俺に、教えてくれない。
「……ごめん、なんでもない」
「……いや」
「隼は、もう一度、そこに行くべきだと思う。その子は、ちどりかもしれないから」
「……」
そう、かもしれない。結局、そうするしかないのかもしれない。
夢は俺に、それを求めているのかもしれない。
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