01-05 嘘




 雅さんに夢のなかでの出来事を説明すると、彼女は「なんもわからないね」とケタケタ笑った。それはそうだろう。こちらは面白くもなんともないが。


「隼くんは『夜』と『無限の廊下』、鈴音ちゃんは『渡り廊下』と『入れない図書室』、二人が会ったのが『中庭』ね。聴こえたのも込みで考えると、隼くんのほうが詰め合わせパックって感じだね」


 淹れてもらったコーヒーをいただきつつ、夢の内容を忘れないうちに整理する。言葉にすると馬鹿馬鹿しいというかあほらしいというか、真面目に向き合いたい気持ちにはなれなくなる。なにが無限の廊下だ。


「罪の重さを考えてみろ、かあ……」


 なんとも気まずくなるワードだ。俺が黙ったままでいると、市川が不意にこちらをむいて、


「三枝くん、自首したほうがいいよ」


 などと言い出す。


「心当たりがない」


「ほんとに?」

 

 まあ、もちろんこうなる。夢の中で得体の知れない声に「罪の重さを考えろ」と言われたと聞けば、誰だってそう思う。何か犯した罪がある、忘れている罪があるのだろう、良心の呵責かなにかが夢という形で出てきているのだろう、と。


 だけど……。


「悔いていることはある」


 もちろん、ある。


 後悔していること。どうにかしたかったこと。見過ごしたこと。ないわけがない。


「ただ、それが罪と呼ばれることなのかはわからない。それより俺が気になるのは、その前の言葉のほう」


「前って言うと……」


「『ここいらで諦めたほうがいい』だね」


 雅さんの言葉に頷きを返す。


「まあ、そもそも『罪』とやらの内容を隼くんにだけ問い詰めるのはフェアじゃないよね。鈴音ちゃんも似たようなこと言われてるわけだから」


 彼女はそう言ったあと、おかしそうに笑って言葉を続ける。


「諦めたほうがいい、かあ。でも、額面通りに受け止めないほうがいいよ。ふたりが見てるのは普通の夢じゃないんだから」


 普通の夢だったとしても額面通りに受け取ったりはしないと思うが、その言葉にいくらかほっとした気持ちになる。


「今はまだヒント集めだからね。どっちにしても普通の夢とおんなじように考えないほうがいいね」


「気になってたんですけど、こういう夢を見てた人って、以前にもいたんですよね?」


 うん、と雅さんは頷いた。


「その人たちは、夢を見なくなったんですよね?」


「そうだね」


「その人たちの場合は、どういう解決だったんですか?」


 んー、と唸りながら、雅さんは眉を寄せてコーヒーに口をつけた。


「参考にはあんまりならないかもだけど、そうね。だいたいはフロイトやラカンとそんなに変わらないかな。なかにはすごいのもあったけど」


「すごいの?」


「最終的に『世界に風穴を開ける』とか言って失踪しちゃった」


「雅さん、それたぶん解決例じゃないよ」


 市川は苦笑混じりにそう言って、雅さんは「そう?」なんて笑っているが、俺はぜんぜん笑えなかった。


 とにかくその日はそのあたりで解散することになった。いくら考えても結論が出ないものは出ない。切羽詰まるとおかしくなりそうだ。


 


 てっきり二時間くらい経っているかと思ったら、まだ八時半だった。早めに店についたのを差し引いても、眠っていたのはほんのわずかな時間だったのだろう。


 雅さんには、報酬は解決したときに気持ち程度もらえればいいと言われている。「慈善事業みたいなもんだからね」とは本人談。言っちゃなんだが胡散臭くて仕方ない。


 地下から出ると、湿り気を帯びた五月の夜の空気が肌寒いくらいだった。『アルラウネ』を出ると、いつも外の空気の心地よさにほっとする。ようやく息ができる、というような。


「三枝くん」


「ん?」


「ラーメン食べにいかない? おなかすいちゃった」


「いかない」


 ちぇ、とわざとらしい舌打ちのふりをして、市川はいつもどおりの調子だった。


 あまり働かない頭をぶら下げたまま、駅までの道を並んで歩く。


「聞きそこねたんだけど、そういえば瀬尾さんの話、なんだっけ?」


「ああ」


 頷いて、考えるのも面倒になり、答えることにする。べつに話したところで損をすることでもない。


 ましてや市川は、大野とのことを話してくれた。俺が話さないのは、やはりフェアじゃない。


 そう考えてから途方に暮れる。

 どこから、どこまで話すのがいいのだろう?


 何を、どこまで?


 べつに市川が相手だからではない。


 起きたことだけなら、簡単に話せる。それでも、それは話したことになるのだろうか。俺は、俺にとっての瀬尾を、誰かに話せるほど整理できているのだろうか。


「瀬尾……とは、去年、入学してから初めて会った」


「うん」


「会って驚いた。幼馴染に瓜二つで……でもぜんぜん違う。性格が」


「別人だもんね」


「そう、別人だから。文芸部に入った一年は、そのとき俺と瀬尾だけで……」


「わたしも入ったよ」


「幽霊部員だったけどな」


「うん」


「去年は賑やかだった。卒業した先輩たち……みんなでがやがやしながら部誌作ってたっけな。ましろ先輩がいて……ましろ先輩は知ってる?」


「ううん」


「変な人だった。たまに妙に鋭くて、話すことは意味ありげなんだけど、よくわからなくて」


 マンドラゴラ、屋上の鍵、草刈り、苗。


「とにかくそんななかで、瀬尾と俺は唯一の同学年の部員同士として過ごして」


「その頃は三枝くんも真面目に部活に出てたわけだ」


 頷きを返すと、市川は不思議そうに笑った。


「なに?」


「真面目に部活に出てる三枝くん、あんまり想像できないね」


 幽霊部員に言われるのも微妙な感じだ。


「それで?」


 それで? それでなんだって言うんだ?


「それだけだよ」


「そう」


 もうすぐ駅につきそうだった。市川は俺の半歩後ろを歩いている。なんとなく空を見ても、街の灯にぼやけて星なんか見えやしない。


「どうして嘘をつくの?」


 俺は返事をしなかった。



 家に帰ると純佳はリビングにいなかった。自分の部屋に戻っているのだろう。若干ふらつきながら、俺も自室に戻ることにする。『アルラウネ』から帰ったあとはいつも激しい疲労感を覚える。眠るたびにいつも例の夢を見るわけではない。ただ、『アルラウネ』で眠ると必ずあの夢を見る。不思議だが、本当にそうなのだから仕方ない。だからだろうか。『アルラウネ』に行くのは、本当は億劫でもある。


 気怠いからだのままベッドに横たえる。けれど、横になったからといって、眠れるわけでもない。眠りたいわけでもない。

 からだは疲れているのに、眠る気にはどうしてもなれない。


 あの囁き、あの夢。とっとと終わってほしい。何もかも忘れて、泥のように眠りたい。


「なにもかも、全部忘れちゃうのがいいと思うよ」と、瀬尾はいつか、俺に言ったのだった。

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