11-02 アンティゴネー/涜神の口寄せ


 


 木陰のベンチに腰掛けて、俺と瀬尾はましろ先輩の話を聞く。彼女はコンビニで買ってきたらしい挽きたてのブレンドコーヒーに口をつけながら、風に軽くなびいたその長い髪を軽く撫でた。


「『薄明』について。……うん、その話になるよね。実はね、鈴音ちゃんにも聞かれたんだな」


「そう、でしょうね」


「いちおう、あらかじめ聞きたいんだけど、隼くんのなかに、こうじゃないかなって仮説はある?」


「……ましろ先輩をこうして呼び出す前に、『薄明』のバックナンバーを読み漁りました。最初は去年のものだけ。去年の、七不思議のものだけです。『薄明』に書かれたとおりのことが起こった。だから、七不思議はほんとうに存在して、かつても同じようなことが起きて、それを誰かが記述した、と考えるのが普通ですね」


「うん」


 ましろ先輩は笑った。


「でも、きみはそうは考えなかった」


「はい。最初から、そうは思ってませんでした」


「どうして?」


「ましろ先輩が去年の部誌にのせた『七不思議についての調査記録』。あれはそもそもの話、ましろ先輩の創作です」


「おかしいね。ちゃんと引用元はたどれるように書いてたはずだよ。事実かどうかはともかく、実際に『薄明』に記述はあったはずだけど」


「はい。ご丁寧に脚注をつけて、引用元が『薄明』の何年の何号のものなのかもたどれるようにしてあった。だから俺は去年から、あれがずっとましろ先輩の創作だったとわかってたんです」


「……ふむ」


「だってそうでしょう。ましろ先輩の『七不思議』の元ネタは、過去の『薄明』に寄せられていた、過去の部員たちが書いた『小説』だったんだから。散文でもエッセイでも調査記録でもなんでもない。たしかに高校が舞台になってるものはたくさんあった。でも、それらは全部、うちの高校の話かどうかもわからない。単にうちの高校をモデルにして書かれた架空の小説を、ましろ先輩が引用しただけだったんですから」


 俺は思い出す。


「俺ははじめから舞台裏を知っていた。だから、七不思議なんてでっちあげだってわかってた。ましろ先輩はこう考えたんじゃないですか。どれだけ丁寧に脚注を足して、どれだけ丁寧に引用元を記したところで、辿。そして、実はそれほど嘘もついていない。『薄明』には実際に、『そうした噂話についての記述があった』。創作として、ですけど。そして、『それらを編纂して』、ましろ先輩は『七つ以上存在する』それらを『便宜的に七不思議と呼称する』ことにした」


 ましろ先輩は照れくさそうに笑った。


「なんかはずかしいなあ」


 瀬尾はなにも言わない。俺は瀬尾の手を握ったままでいる。ましろ先輩はそれを茶化さない。


「じゃあ、部員たちは実際に七不思議に出会って、それをもとに小説を書いたんでしょうか? ……まさか。『七不思議についての調査記録』で触れられていない怪談や不思議についての記述なんていくつもある。だからやっぱり、あれらはその時点ではただの小説だったんです。『七不思議』なんてものは、そもそも、うちの高校にはなかったし、だから、そんな現象、起きたことだってなかった。そうでしょう。もし本当に起きていたなら、ましろ先輩が去年『薄明』に原稿を寄せる前から『七不思議』として噂になっていてもおかしくないんだから」


「ん」


「でも、それは起きた。『ましろ先輩が去年部誌に書いたとおりのこと』が、『俺達の身に起きた』。これは無関係なんでしょうか」


『なぜ』は。

 ないのだろうか?


 ……違う。


「もしあるのだとしたら、いちばん考えられるのはこうですね。『ましろ先輩は、そもそもそれらの『不思議』に出会っていて、『薄明』のバックナンバーから引用するふりをして、自分の経験について記述した」


「ほう」


 去年、ましろ先輩が記述した『不思議』。


「桜の木の守り神」

「予言の手紙」

「四階」

「這う男」

「地下迷宮図書館」

「鏡の向こうの異界」

「飛び降りる集団亡霊」

「巨大な鳥影」


「予言の手紙、四階、鏡の向こうの異界。それからおそらく……『地下迷宮図書館』も含めてもいいかもしれない。俺たちがこっちに帰ってきたあと、アルラウネでましろ先輩は、もともと『むこう』について知っていたと言っていた。じゃあ、『むこう』でそういうものに出会って、それについて書いたのかもしれない……と、考えることができます」


「うむ」


「ましろ先輩は、それについて詳しくは知らない。それがなんなのかは、よくわかってないって言ってましたね」


「うんうん」


「……常識的に考えたらこうなります。でも、俺の想像はちょっと違う」


「ほう」


 ましろ先輩は含み笑いをする。

 木陰のベンチに風が吹く。


「ましろ先輩が『薄明』に七不思議を記述した、七不思議が起きた」


「……後輩くんはさあ」


「はい」


「なに言ってるのか、わかってる?」


「わかってるつもりです。俺が言いたいのはこういうことです」


 俺はひとつ息を吸って、吐き出してから言葉を続けた。


「先輩は、『薄明』をつかって現実を書き換えたんです」


「……」


「どうしてそんなことが可能なのかはわかりません。でも、わかることもいくつかある。たくさんの脚注がふられ引用元を示している『七不思議についての調査記録』のなかでも、より執拗に、微に入り細を穿つように丹念に、引用元を指示している部分があります。そしてその引用元になっている号は、。誰かが隠したのか、それとももとからなかったのかはわかりません。とにかくそこはになっていた」


 テクストにおいて、そのテクストの是非を検討するとき、人は常にテクストの「手のひらの上」にいる。その射程はおそろしく広大で、絡め取られていることにすら気付けない。


「書かれていないことは、書かれていることを否定する根拠として引用することが原理的にできない」。書かれていないことがいかに不自然であるとしても、テクストの紛失や消尽の可能性もまた否定できない以上、根拠にはならない。ましろ先輩が用意したのは、だから、『偽典』だ。


 書かれていないこと、その領域、空白には、書き換えることのできる過去が存在する。


 ――嘘をつくときに大切なのは大胆であること、執拗なほど微に入り細を穿つこと、そしてなによりも、できるだけ嘘をつかないこと。

 

 俺がこのひとから教わった、数少ない教え。


「ましろ先輩が書いた『七不思議についての調査記録』、その丹念な筆致と執拗な脚注のなかで、そこだけがより微細に、精密に記述され、脚注が多く割かれているにもかかわらず、その不思議には、『桜の木の守り神』についてだけは……引用元がない。


 だから、こう言える。


「先輩は七不思議を編纂したんじゃなくて、やっぱりでっちあげた。ぎりぎりの綱渡りだと思います。誰かがちゃんと文章を読もうとしたら成立しなかった。でも成立した。誰も『桜の木の守り神』が他の不思議とともに並んでいることを不思議がらなかった。先輩は賭けに勝った。誰も先輩の嘘を見破れなかった」


「いま、きみに気付かれたけどね」


 でもさ、とましろ先輩は言う。


「それがどうしたの? わたしはたしかにちょっとしたいたずらごころで架空の不思議をまぎれこませたかもしれない。でも、だからって、わたしが『薄明』に書いたから七不思議が起きたっていうのは、飛躍してないかな?」


 その言葉でようやくわかった。


「先輩が書いたから七不思議が起きた。……でも、先輩の視点では違ったんじゃないですか」


「どういう意味?」


「書けば七不思議が実際に発生する、書いた文章は現実に影響する。その確信があったから、そう信じていたから、先輩は書いたんじゃないですか」


「……」


「理由はわかりません。でも先輩は、『薄明』に、『七不思議』として、『桜の木の守り神』を記述することで、その嘘をほんとうにしようとした。そしてその副産物として、他の七不思議がほんとうになった。……これはたしかに飛躍してるかもしれません。でも俺は読んだ。たぶん、去年の先輩の原稿を、誰よりも真面目に、真剣に、読みました。読んだら、そうとしか思えなかった。俺にわかるのはここまでです。この仮説がまちがっていたら馬鹿らしいことですね。でも、だからいまもう一回、最初の質問を繰り返します」


 俺は瀬尾の手をもう一度握った。


「『薄明』について教えてください。……お願いします」


 ましろ先輩は困り顔で笑って、


「オカ研の人だったら喜びそうな話題だよねえ、これ」


 と、茶化すみたいに言った。


「でも、ね。残念だけど、わたしを頼るのはまちがいだな」


「……」


「意地悪してるわけじゃないんだよ。でもね、後輩くん。さっき自分で言ってたよね。これは賭けなの。いい? どこにベットしたら勝てるか、どこに賭け金をおけば報われるかなんて誰かに聞いちゃだめ。そんなんじゃ無理。きみがなにかをしようとしているのはわたしにもわかるよ。でもね、人を頼っちゃだめ」


「……えっと」


「きみはさっき言ったね。『桜の木の守り神』には根拠がないって。うん、そのとおり。きみが言ったとおり。あの文章には根拠がなかった。だけどね」


 きみももう知ってるはずだよ、と彼女は言う。


「保証が、根拠がないと書けない? 信じられない? そうかもね。神様の沈黙とおんなじ。何もしてくれない神様は、いないのと一緒かもしれない。いるといえる根拠がない。でも……でもさ」


 わたしは。


「保証も根拠もなく、確信も信憑もなく、それでも何かを選択することを、判断することを、賭けっていうんじゃないの? きみだっていままでずっとそうしてきたはずだよ。もちろん、きみは仕組みを知りたいのかもしれない。でもね、そんなの……わたしだって、知らない。それが正しいことなのかどうかだって、聞かれたら困る。どこかからお墨付きをもらってから行動できるなら、それはきっと楽だよね」


 そうでしょう?


「最初から保証があるなら、それは賭けじゃない。祈る必要も願う必要もない」


 そうだ。

 俺は知っていた。


「書けるかもしれない、書けないかもしれない。わたしは、きみにはできる、なんて、保証してあげられない。確信なんてくだんないよ。わたしたちにできるのは、信じて、賭けて、祈ることだけだよ。……きっと。だからわたしからは一言だけ」


 ましろ先輩はきれいに笑った。


「覚悟を決めなよ」






 


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