11-03 アンティゴネー/薄明のつくりかた
◇
「……って、かっこよく決めたつもりだったんだけどなあ」
土曜の市立図書館のワークスペース内でましろ先輩は溜め息をついた。周りはガラス張りの壁。当然といえば当然だけれど、中で悪さができないように、外からは丸見えだ。もちろん、利用している人間がいるのにわざわざ覗き込んでくるような強気な人もそうはいないけれど。
「わめいてないで、手伝ってください」
「うう、それわたしのパソコンだぞ……」
「あんまり騒ぐと追い出されちゃいますから、静かにお願いしますね」
「……あんまりだよう、わたし先輩だぞー……」
「隼くん、これとかどう?」
「どれ」
「ほら、ボルヘスの」
「……『伝奇集』か」
「ふたりともぜんぜん話聞いてくれない……」
「あとでシェイクおごってあげますから、先輩も考えてください」
「思いつかないよ……なんで後輩に脅迫されなきゃいけないんだよう」
「めんどくさいから拗ねないでください」
「めんどくさいっていった!」
しー、と指を立てて口にあてる。ましろ先輩はさすがに黙った。
「脅迫っていうのは、人聞き悪いですよ。事故を未然に防ぐために協議したんじゃないですか」
「うそだよう……こんなはずじゃなかったんだけどなあ」
「ぶつぶつ言わないでください。さんざんかっこいいこと言ったんだから、手伝ってもらいますよ」
「納得いかないよう……」
「ていうか……利害は一致してるし、いいじゃないですか」
「そうだけど……後輩くんに脅されるなんて、わたしのキャラじゃないんだけどな」
「じゃあ、『薄明』にそう書いといてください」
「むむ……」
ましろ先輩がさんざんかっこいいことを言った日の週末、俺と瀬尾はましろ先輩を脅迫して――ではなく、ましろ先輩にお願いして、部誌作りを手伝ってもらうはこびになった。それで場所として、市立図書館のワークスペースを利用してみたかったというましろ先輩の意見を採用し、午前十一時現在、進捗はかんばしくない。
もっとも、思惑通りというべきか、思惑以上というべきか、ましろ先輩は素直だった。「こうなったらやけです」というプラカードが幻視できそうなほどに正直だった。おかげで話は早かったけれど、だからといってなにかがはっきりしたわけでもない。
◇
俺たちの話はこうだった。
「たしかに、覚悟が少し足りなかったかもしれませんね」
と、あのあと俺は返事をした。
「でも、ましろ先輩。俺はべつにましろ先輩に助けてほしいから聞いてるわけじゃないんです」
「……どゆ意味?」
「俺がなにもわからずに、『薄明』を書いて、それで何かを変えてしまったら、そのとき、ましろ先輩が変えようとしたことにもなにかの影響が出るかもしれないと思ったんです。だからあらかじめましろ先輩に話を聞いて、お互いのしたいことに影響が出ないようにできるかもしれない、と。でも、そうですね。たしかに、ましろ先輩に話を聞こうとするなんて、俺は甘えていたのかもしれない」
「……むむ」
「俺がまちがっていました。ましろ先輩、そうですよね。書くことは根本的に賭けなんだから、安全な方向に行こうとしちゃいけない。だから、もし書いた結果誰かの書いたものをかき消してしまったとしても、それは仕方のないこと……ですね」
「……え、っと。後輩くん? ちなみになんだけど、どんなのを書こうとしてるのかな」
「……」
「ま、まさかだけど。まさかだけど。去年のわたしの原稿を利用したりとか……しないよね」
「青葉、行こうか」
「待て待て待て待て」
直前までかっこよく決めていたのに、ましろ先輩は威厳もなにもなく焦っていた。俺は自分が正解を踏んだらしいと確信する。この人がほんとうに焦る姿なんて、めったに見られるものではない。
「待って待って後輩くん、あのさ。『薄明』が現実に影響を与えられるかもって話までだよね、さっきまでの話は。それで、それで後輩くんは、いったい何をするつもりなの? その口振りだと、べつの七不思議をもう一個つくるとか、そういう次元のことをやろうとしてるんじゃないよね?」
「はい」
「後輩くんは知らないかもしれないけど、『薄明』に書いたことはなんだって現実になったりするわけじゃないよ? けっこう厳しいルールみたいなのがあってね……?」
「いえ、大丈夫です。これは賭けですから。できるかできないかなんて保証されてやるものじゃないですし。俺も覚悟を決めようと思います」
「こらこらなんで急に勇ましくなるかなあ。ちょっと聞いて? ていうか教えよう? なにをする気なの? まるっきり自信がないって感じの言い方じゃないよね?」
「そうですね。自信があるわけでもないですが」
「うん」
「過去を書き換えます」
「……」
ましろ先輩はそこでようやく一度黙った。
「書き換える……?」
「はい」
「書き……換える……」
そこで先輩が硬直した理由までは、俺にはわからなかった。
◇
ましろ先輩の話はこうだった。
『薄明』は、たしかに現実に、われわれの、実際の「現実」に、一定の影響を与える、ある種の「ファンタジー的な、魔術的ななにか」なのだと。どうしてそんなものがあるのかまでは、ましろ先輩にはわからない。
「それはとってもおかしなものなんだよ」
とましろ先輩は言う。
「どこかで始まったはずなのに、その始まりがどこなのかを指し示すことができないような、そういう種類のおかしなものなんだよ。それについて冷静に考えようとすればするほどに、頭がこんがらがって、矛盾しているように思えてしまう」
その魔術は、「はじまりがどこなのか指し示すことがとてもむずかしい」。それでも「発生したものとしてそこに既に存在して、今なお機能している」。
「どうしてそれがましろ先輩にはわかるんですか」
質問の答えは単純だった。
「わたしも詳しく知ってるわけじゃないよ。わたしは『薄明』のバックナンバーに挟まってた手紙を読んだの」
「手紙ですか」
「うん。後輩くんにわたした屋上の鍵、あるでしょ。あれも、それと一緒に挟まってた」
「なるほど」
「でもね、『薄明』には、過去を書き換えるなんて大げさなことできないよ」
「そうは思えません。そもそも、ましろ先輩はそれをもうやったんですから」
「違うんだよ。わたしは失敗したの。……ううん、成功を確認できない、って言ったほうがいいのかな」
そこまで言ってから、ましろ先輩は言葉を止めた。
「……そうか」
「……はい?」
「そうだね……手伝うよ、部誌作り」
「いいんですか?」
「うん。そのかわり、こっちからも注文を入れさせてもらってもいい?」
「もちろん」
そう、そこには契約があった。
◇
だのに机に頬をのせ、だるそうにましろ先輩は気を抜いていた。
「なんでそんなにやる気ないんですか」
「そりゃやる気もなくなるよ……規模が違うもん。本気でやる気なの?」
「とりあえずやる気は出さなくていいんで、そのバックナンバーのチェックお願いします」
「もうやったよお」
なんだかんだで仕事が早い。
「助かります」
「……ほんとにやるの?」
「もちろん」
「きみは……これでなにをする気なの?」
「だから、過去を書き換えるんですよ」
「でもさ……」
「もう始まってるんですよ」
◇
その日の夕方、俺はひさしぶりにアルラウネを訪れた。雅さんは相変わらずに飄々とした素振りで俺を迎えてくれる。
「何の用事かな?」
と訊ねられたので、俺はすぐに本題に入ることにした。
もう、ここからは確認作業でしかない。
「突然ですけど、雅さんってうちの高校の卒業生ですよね」
「急だね。……そうだよ。言ってなかったっけ?」
「そうなんですね。……部活は文芸部でした?」
「うん……なんだ、気付いてたのか」
「いえ。もしかしたら違うかもと思ってましたけど、当たりでよかったです。手間が省けました」
「手間?」
「もし雅さんじゃなかったら、ほかのひとを探すのが大変ですから」
平成四年号の部誌『薄明』に名前が登場する、『弓削雅』という人物がいた。
その年の春季号と夏季号は、部室にバックナンバーが残っていない。
彼女がその頃の文芸部の事情を知っていたら、いくらか話は早い。
「なんかよくわかんないけど……何が知りたいの?」
「……当時の文芸部のことが知りたかったんです。雰囲気とか、何人いたかとか……」
「……? そう、なんだ?」
「教えてもらってもいいですか?」
「いいけど……なにをする気?」
今度はさすがに、過去を書き換えます、とは言わなかった。
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