11-04 アンティゴネー/鳥籠の鍵




『薄明』、平成四年の、春季号と夏季号。


 この部分だけが、バックナンバーとして存在しない。欠けている。


 だから、ましろ先輩は、ここに自分が捏造したい七不思議の記述が


「文芸部かあ……なつかしいなあ」


 雅さんは、本当になつかしそうに、そんなことを言う。


「懐かしい……?」


「うん。いろいろあったなあ」


「……」


 どうして違和感があるのだろう。

 知っている事実と食い違っているような気がする。でもそんなはずはない。俺は当時の文芸部について何も知らないのだから。


「懐かしいだけですかね……?」


「ん?」


「雅さんは、俺たちの高校は知ってたはずだし、俺たちが文芸部に所属してることだって、話の流れで何度も聞いてたはずじゃないですか」


「ん、そうだっけ? なんでそう思う?」


「ちせがこっちに戻ってきたとき、うちの高校まで雅さんに車を出してもらいました。あのとき俺がなにも言わなくても、雅さんはうちの高校に向かってくれた」


「ああ……なるほど」


「懐かしいだけなら……気付いたときに話題にしてもおかしくない。でも、雅さんはずっと黙ってた」


「ふむ」


「なにかあったんじゃないですか、当時」


「飛躍してるなあ」


 飛躍。

 最初からそうだ。


 おかしな話だ。

 俺と市川が同じ夢を見て、偶然、ネットを介してこの店の噂を知り、そしてここにやってきた。


 その店主が、俺たちの高校の卒業生……。


 でも、もうそんなことはどうでもいいことなのかもしれない。


「『薄明』を書こうと思いまして」


「ふむ」


 コーヒーをいれるよ、と言って、雅さんは立ち上がった。俺は遠慮しようとしたけど、結局そうはしなかった。……なぜだろう?


「あのね、わたしたちのときも……」


「はい」


「……いや、いいか」


「はい」


 と俺は頷いた。


 もうどうでもいいことだ。

 過去何があって今どうなっているとか、何が原因で何が起きたとか、そんな話はもう重要じゃない。もし探れるとしても、それはあとでいい。


 今大切なのは、もう書くことだけ。それに必要なものをかき集めるとこだけだ。


「……うん、覚えてる限りのことを教えてあげる。吉野や、茂くんや……それから、わたし、……のことも。でも、それでどうするつもり?」


「できたら雅さんにも監修してもらえると助かるんですけど」


「監修?」


「はい。平成四年の『薄明』春季号と夏季号を捏造します」


「……」


「順を追って説明します。……もしかしたら、そうしても伝わらないかもしれませんが」




 必要なものは三つ。


 『薄明』平成四年春季号、

 『薄明』平成四年夏季号、

 『薄明』平成二九年夏季号。


「俺がしたいのは七不思議の書き換えです。そのためには『薄明』のルールがはっきりしている必要がある。去年の部誌でましろ先輩がやったことの結果として、一部の七不思議は現実に出現した。となると『薄明』にはなにか、書かれたことを現実化させるような力があると想像するのは、飛躍ではあるかもしれませんが突飛とまでは言えませんよね。


 では、『薄明』はどういうルールで記述を現実化するのか、ですが、わからない点が多すぎる。ましろ先輩はそのうえである程度の成功を収めているわけですけど、これはあの人だから上手くいってるだけですね。再現性はほとんどない。


 とにかく俺は『薄明』を使って七不思議を書き換えたい。一番最初に思いついたのは、去年のましろ先輩の原稿の内容を、そのまま援用したり否定したり、とにかく検証したふうを装って書き換えることです。これはましろ先輩本人が使った手口だけに成功しそうですが、そうなると、ましろ先輩の書いた記事が効力を失うことになるかもしれない。効力を失ったましろ先輩の記事に足場を置いた俺の記事が、なにかを書き換えるほどの結果を産めるかというのは、微妙なところですね。もしかしたら、「ましろ先輩の変えた現実」を「なかったことにする」だけのものになりかねません。


 だから、『薄明』に、『薄明』の記述現実化のルールを記述することにしました。春季号と夏季号が紛失しているのはちょうどよかったです」


「えっと……できるの? それ」


「どういう意味ですか?」


「だって、『薄明』のルールを『薄明』を使って現実化するってことは、そこでもまた『薄明』のルールをすり抜けなきゃいけないってことでしょ?」


「ここについてはましろ先輩に手伝ってもらってます。使えそうな案については青葉と俺で探してます。手が足りなくなったら、ちせや鈴音にも頼むつもりですが、今のところ進捗は悪くないですね」


「つまり……きみはもう、『薄明』のルールを把握してるってこと?」


「おおまかには。けっこう単純なところも多いので」


「……ほんとかなあ」


「絶対とは言いませんけど、たぶん……」


「……いいよ、わかった。べつにわたしは、『薄明』になにができるかなんてどうでもいいしね。……ちょうどいいのかも。わたしにとっても……それに……吉野にとっても」


 それがどういう意味なのか、俺が知る必要はない。




 家に帰ると、純佳がソファで眠っている。さいきんは、ろくに話せていない気がする。俺は鞄を置いてから手を洗い、痛んだ瞼の奥に熱を送るように指で抑えたが、届くはずもない。

 

 純佳はずっと眠っている。俺は彼女に近付いて頭を軽く撫でた。柔らかな髪の感触。深く寝入っているものだと思ったら、彼女はくすぐったいように口元を綻ばせた。


「おかえりなさい」


 と眠たげな声で純佳は言った。まだ瞼は閉じたままだ。


「ただいま」


 と俺は言う。純佳は瞼を閉じたまま手を伸ばして、俺の制服を手探りのまま掴む。とっかかりをつかまえたというように、俺の腕を両手で掴むと、強く引っ張ってきた。慌てて傾いた体重を支えようとすると、俺のからだは純佳に覆いかぶさるような姿勢になっていた。俺の陰のなかで純佳は目をあけて、また微笑する。


「兄、そのあたりでやめておいたほうがいいです」


「おまえが引っ張ったんだろうが……」


 おかしそうに純佳は笑って、また目を瞑った。


「そう……そうかもしれません」


「……」


 純佳はまだ目を瞑っている。微笑んで、俺の腕を掴んでいる。彼女のささやくような息が俺の頬に当たる。


「わたしは兄の味方ですよ」


 とつぜんに、純佳はそんなことをいう。


「兄が、どんなにずるくても、どんなにひどくても、わたしは兄の味方です」


「……なに、急に」


「でも、できるなら……兄にも、わたしの味方でいてほしかったです」


「……純佳?」


「……」


「どうしたんだよ、急に」


 純佳はようやく俺の腕を離す。彼女の表情に含まれている感情がよくわからなくて、俺は戸惑う。


 おそれ、怯え、後悔……どれも違うような気がした。


「……純佳、おまえ」


 今度こそ、ほんとうに直感だった。


「おまえ、なにを知ってるんだ?」


 純佳は、目を開けようとしない。眠ったように微笑んでいる。

 

「……もう時間です。そろそろごはんにしましょう」


 そう言って、話を打ち切るように俺の身体を押しのけた。




 言葉の意味を整理できないままなのに、純佳は何を聞いても答えてくれなかった。それでも俺がするべきことは変わらない。


『薄明』を書くこと。


 瀬尾青葉と、宮崎ましろ、それから、弓削雅。


 奇妙な、奇妙な共同戦線。


 俺は『薄明』の目次を考える。





 『薄明』平成四年春季号


 目次


 

 1.小説


『ゆりかごに眠る / 赤井 吉野』

『白昼夢  / 佐久間 茂』

『空の色 / 弓削 雅』

『悲しい噂 / 酒井 浩二』

『ひずみ / 峯田 龍彦』

『ハックルベリーの猫 / 峯田 龍彦』

『許し / 笹塚 和也』




 2.散文


『ちょうどいい季節 / 酒井 浩二』

『神様の噂 / 赤井 吉野』

『偏見工学 / 峯田龍彦』

『恋人のいない男たち / 笹塚和也』 


 3.詩文


『冬の日の朝に思うこと / 赤井 吉野』

『夕闇 / 弓削 雅』

『たちまちに行き過ぎる / 弓削 雅』

『成り立ちについて / 弓削 雅』

『作り方 / 佐久間 茂』



 編集:赤井 吉野  弓削 雅

 表紙:赤井 吉野



 編集後記:赤井 吉野




 『薄明』平成四年夏季号


 目次


 1.小説


『ふんわりとした音 / 赤井 吉野』

『水の上 / 佐久間 茂』

『茜色には程遠い / 弓削 雅』

『もしもあなたがいなくても / 弓削 雅』

『真実 / 峯田 龍彦』

『日々かくのごとし / 峯田 龍彦』

『白線捉える / 峯田 龍彦』

『永遠の途中 / 笹塚和也』


 2.散文


『猫と犬について / 赤井 吉野』

『屋上遊園地について / 赤井 吉野』

『天気について / 赤井 吉野』

『縁結びの少女 / 赤井 吉野』

『幽霊の所在 / 峯田 龍彦』

『無限の猿と踊る / 佐久間 茂』



 3.詩文


『白衣 / 弓削 雅』

『風遥か / 弓削 雅』

『鈴の音 / 弓削 雅』


 編集:赤井 吉野 弓削 雅

 表紙:赤井 吉野

 


 編集後記:赤井 吉野 




 俺たちはこれから、それぞれに分担し、これらの文章を、雅さんから聞いた話を参考にでっち上げる。


 そして、それとは別に、今年の夏季号も作り始めなければならない。


 することは単純だ。


 ましろ先輩の作った「守り神」の話を、確認可能なものに書き換えること。

『薄明』それ自体のルールを、明文化すること。

 それらをこのでっちあげの内部にあるものとして書き上げる。


 そして、今年の夏季号でしなければならないこと。


 今現在は二週間前後にすぎない『予言の手紙』の射程を、もっと過去まで、遠く過去まで届けること。


 そこからはじまる。


 俺たちのテクストを、過去にまで届けるために。

 過去を書き換えるために。


 そのために……ひどく陳腐な、ひどく滑稽な、ひどく当たり前なことからはじめなければならない。


 文章を書くこと。

 

 スタンドライトの灯りの下でペンを握り、机に向かってノートを広げる。

 

 文章を書き、推敲し、書き上げ……その繰り返しだ。


 その先に届けるために。




 

 








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