09-03 夢の終わり




 目をさますと、覚えのある暗闇、覚えのあるベッドの上、覚えのある匂い。隣には、べつのベッド。けれど、誰も眠ってはいない。

 かすかに、光を視界の端に感じる。そちらを見ると、開きかけた扉から斜めにこぼれる灯り。からだがひどく疲れていて、頭はぜんぜん回らない。

 

 俺はいつから眠っていたのだろう。

 

 誰かの話し声が聞こえる。


 からだを起こして、俺はひかりのほうへと向かう。


「元素周期表みたいでしょう」


 誰の声だろう。誰かの声がする。


 俺は扉を、開いた。


 するとそこは、明るい照明の下。部屋の中央にはテーブル。いくつかの椅子。見覚えのあるいくつかの顔、顔、顔。


「起きたんだね、隼くん」


 最初にこちらを見たのは、鈴音だった。俺は状況がつかめずに、その場を見回す。


 ここは、『アルラウネ』だ。閉店後なのだろうか。テーブルの上にはカップがいくつか並んでいる。


 雅さんはこちらに振り向き、「遅いお目覚めだね」とからかうように笑った。

 

 その場にいたのは、五人。


 店主である雅さんと、市川鈴音。

 それから、宮崎ましろ、宮崎ちせ。

 最後に、瀬尾青葉。


「やっと起きたね」

 

 と彼女はうれしそうに笑った。


「俺、いつから眠ってました……?」


「ん、覚えてない?」


「……はい」


「十五分前だよ」


「十五分前……?」


「覚えてない?」


 雅さんは不思議そうに首をかしげたけれど、俺はどうしても、時間のつながり方が思い出せない。最後の記憶は、『幻獣辞典』に挟まれた手鏡に触れたところ。


「なんで、みんな揃ってるんだっけ」

 

 彼女たちはそれぞれに、困り顔を見合わせた。


「えっと、どこから説明したらいいかな」


 ましろ先輩が、そう声をあげた。俺は頭を整理する。


「……あっちで、いろいろあって。怜が、そのあと、さまよって……で、鏡に触って……」


「うん。そこからだね」


 まるで、俺の混乱が当たり前のものであるかのように、ましろ先輩はあっさり頷いた。


「ちょっとまえにも説明したんだけど。……うん、まあ、後遺症みたいなもんかもね。また説明しようか」


「……ぜんぜん、状況がつかめないです。俺たち、どうなったんだっけ」


「わたしの大活躍について話そっか」


「お姉ちゃん……」


 それまで黙っていたちせが、ましろ先輩をいさめるような声を出した。


「でも、やっぱり、わたしがいちばん説明できるしね。わたしの大活躍について」


「諸悪の根源でもあるでしょ……」


「ひどいこと言わないでよ」


「……諸悪? すみません、ぜんぜん思い出せない。俺、さっき、鏡をさわったところだと思うんですけど……」


「後輩くんの送った手紙は、二週間前の部室に置かれた『幻獣辞典』に届いたよ。それを盗み見たのはちせ。ちせがわたしに知らせた。それでわたしたちは、二週間前から準備してたってわけ。つまり、本に鏡を挟んだのはわたしのアイディア。感謝してね」


「……やっぱり、過去に届くんですね、あの手紙。合ってたんだ」


「そりゃーそうだよ」とましろ先輩は言った。


「わたし、ちゃんと書いたでしょ? あれは『予言の手紙』なんだよ」


 ……ああ。

 

 ああ、もう。


「ましろ先輩はどこまでわかってたんですか……?」


「そのへんは、企業秘密もあるからなあ」


「……企業て」


「副部長、あのね、わたし、怜さんに呼び出されて、それでファミレスでね、副部長のこと訊かれたんだけど、でも、ましろ先輩が来てくれて……」


「そうそう。後輩くんの手紙の内容で、瀬尾さんのことが書いてあったから、瀬尾さんのあとをこっそりつけてたのだ」


「それで怜さんは一度いなくなっちゃって。ましろ先輩が追いかけてくれたんだけど」


「逃げられちゃった。ごめんね」


「……逃げられた?」


「うん。……わたしを見た途端、逃げちゃった」


「……あの、ましろ先輩は、怜に会ったことがあったんですか」


「うん」


「……」


「怒らないでよ? わたし、きみたちが知り合いだなんて知らなかったし」


「怜に『むこう』のことを教えたのは、先輩ですか」


「うん」


「『むこう』って、結局、なんなんですか」


「それを、ずっと考えてるんだけど、やっぱりわたしにも、まだわからないかな。わたしが教えたのは、わたしがわかってるかぎりのことだけだから」


 それから一度、ましろ先輩は話をやめた。言葉を引き継ぐように、今度はちせが口を開く。


「隼さん、それで、どうでしたか?」


「どうって……?」


「あ、えっと。雅さんが言ったんです。市川先輩も、隼さんも、もう夢を見ないはずだって。さっき眠ってたとき、隼さんは夢を見たのかな、って」


「……夢」


 アルラウネで、眠っているときに見る夢。

『むこう』の夢。


「見……」


 たの、だろうか。見ていないのだろうか。

 わからない。

 

「少なくとも、見ていた気は、しないです」


 俺は、鈴音のほうを見た。


「うん。わたしも」


「つまり……」


「わたしたち、ちゃんと眠れるようになったんだね。……なんでか、わかんないけど」


「よかったねえ」


 雅さんが、どこか場違いな声でそう言った。

 それ以上何を話せばいいのか、今はわからない。



 怜が逃げ出したあと、瀬尾とましろ先輩のもとに、別の『怜』が現れた。その子は自分のことを『わたし』と呼んでいた、と瀬尾は言った。

 

『わたし』の怜は、ふたりに、公園の場所を教えた。隼はたぶんそこから出てくるはずだから、と。そして二人は公園にむかい、涸れた噴水のなかでうつ伏せに横たえた俺を見つけた。


『わたし』の怜は、一緒には行動しなかった、と二人は言った。


 それで、ましろ先輩は、以前会ったときに連絡先を交換していた雅さんに電話をして、車を回してもらった。『アルラウネ』にいた雅さんが出かけようと支度をしていたところ、奥の部屋で、それまでずっと眠っていた市川鈴音が目をさました。雅さんとましろ先輩は連絡をとり、雅さんが店を離れるあいだに鈴音を見ていてもらうために、ちせを『アルラウネ』にむかわせた。


 そして、公園に雅さんが来るまでのあいだに、俺は目をさました。


「そのときは普通に起きてる感じだったね。いちおう、憔悴はしてたみたいだったけど。それでここに運んでもらったわけ。途中で一回、いろいろ説明したんだけど、やっぱり覚えてない?」


 俺はやっぱり覚えていない。……そんなことが、ほんとうにあったんだろうか。


 そして雅さんは、俺と鈴音に、『アルラウネ』で、いつものように眠ることを提案した。……だとしたら、その順番が正しいのだとしたら、俺は、夢を見ていない。

 

『アルラウネ』で眠るとき、俺はいつも夢を見ていたのに。



「こういうものなの」と雅さんは言った。


「こういう、突然なものなの。いつも、終わりって」


 だから喜んで、と、雅さんは俺たちに言った。


「きみたちはもう、当たり前の夢が見られるんだから」


 そうなのだろうか。

 

 そう、なのだろうか。




 その日は、とにかくそれで解散になった。いろいろと未整理のことはたくさんあったけれど、それ以上頭を突き合わせていたって仕方がない。だいいち、


「もうすぐテストでしょ、高校生諸君」


 と、いきなり現実的なことをましろ先輩に言われたせいで、もっと考えなければいけないことがたくさんあるのだという気がした。


 俺はいったいどれだけのあいだ、そういう現実的なあれこれを放置して、『むこう』のことに気を取られていただろう。


 ましろ先輩とちせのことは、雅さんが送っていくことになった。俺と市川は、いつもどおり『アルラウネ』からは自分で帰ることにする。すると、瀬尾は俺についてくると言い出した。


 俺は、どうしてか、瀬尾のほうをまっすぐに見られなかった。


 どうして、なのだろう。瀬尾もまた、俺に何かを言いたげにしながら、何も言わなかった。


「あの」


 鈴音は沈黙をきらったのか、とつぜんそう声をあげた。

 時刻は、十時四十分。まだ、そんな時間なのだ。……いろんな感覚が、狂ってしまっている。


「わたし、邪魔だったらはずそうか?」


「あ、じゃまってことは」


 瀬尾は気まずそうに手を振った。


「そう?」


「うん、大丈夫」


「隼くんも、平気?」


「なにが」


「平気ならいいけど」


「鈴音こそ、疲れてるんじゃないの」


「……うん。まあ、でも、わたしは寝てただけだからね、実は」


「……まあ、そうか」


「……あの」


 と今度は瀬尾が声をあげた。


 俺と鈴音が同時に視線をむけると、彼女は気まずげに俯いた。


「ふたりとも、なんか、名前で呼び合ってるんだね?」


「……ああ、まあ」


「うん。兄妹だからね」


「兄妹……?」


「うん。いろいろあって、兄妹」


 鈴音はあっさりと、それだけの言葉で片付けた。瀬尾は複雑そうな表情で、俺を見る。


「やっぱりわたし、外すね」


「鈴音」


「気を遣ってるんじゃないよ。おなかすいたから、ラーメン食べてから帰ろうと思って。それじゃ、また学校で」


 そう言って、鈴音はひらひらと手を振って、夜の駅前どおりを駆けていった。


「……もう閉まってるんじゃないのか」


 と、思わず声を出た。


 それで俺と瀬尾はふたりきりになってしまった。



 駅までのあいだ、瀬尾はしばらく黙り込んでいたけれど、やがて、覚悟を決めたみたいに口を開いた。


「……副部長のことが、さ」


「ん」


「副部長のことが、わかんないな」


「……えっと、どういう意味で?」


「さっきまで、ね」


「うん」


「ずっと心配しててさ。……ちゃんと目をさますのかなとか、なにかしんどいことがあったんじゃないかとか、危ないことがあったんじゃないかとか。そういうの、ぜんぜん知らない自分が、悔しくて」


「……うん」


「でも、わたしは副部長のことを、ぜんぜんなにも知らないわけじゃない、だからいろいろ、信じようって思ってて。でも、それなのにね、さっき、市川さんを下の名前で呼んでるのに気付いたとき、またわかんなくなった。ぜんぜん知らないんだ、って思った」


「……えっと」


「ごめん、いま、ぜんぜん関係ないこと喋ってる」


「いや、いいんだけど」


「あの、あのね。……ましろ先輩も、市川さんも、言ってた。副部長は、今日、わたしが怜さんに呼び出されたのを知って、わたしを守るために、ましろ先輩に手紙を使ってお願いしたんだって。……怜さんがわたしに声をかけるのも、わたしが、副部長にとって重要な存在だからだって」


「……」


 あのふたり、なんでそういうこと喋っちゃうんだろう。


「そうなんだ、って思った。でも、いまは、そうなのかな、って思って……」


 瀬尾の声を聞きながら、俺たちは駅につく。


「……どっかで話してく?」


「……ううん、終電になっちゃうし」


「……だよな」


 今日は何曜日だっけ。


「おかしいの、わたし」と瀬尾は言った。


「知ってるって思ったり、知らないって思ったり、そうなんだ、って思ったり、そうじゃないのかもって思ったり。行ったり来たりする」


「……瀬尾、あのさ」


「……急がないと、乗り遅れちゃうね。わたし、先いくね」


 そう言って、瀬尾は逃げるみたいに走り出した。

 俺は呼び止めようとしたけれど、うまく声が出ない。


 彼女のうしろすがたを、そのまま見送る。

 

 俺は、そのうしろすがたを、そのまま見送ったあと、

 自分はどこに帰るのだろう、と考えた。

 

 

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