悪しき造物主

04-01 下へ下へ



 雅さんが扉を閉めると、部屋のなかは暗くなる。


 ベッドに体を横たえて、呼吸の音を聞く。

 市川鈴音は、隣のベッドに眠っている。俺たちはカーテンを隔てて隣り合っている。


 すぐそこにいるのに、俺は市川鈴音を探しにいかなきゃいけない。馬鹿げた話だ。


 見つけてどうする? どうして俺がそんなことをしなきゃいけない?


 瞼を閉じて考える。市川鈴音の寝息が聞こえる。


「おまえのせいさ」


 と声がして、目を開くと裸電球のちかちかとした光が目を刺した。


 あの、梯子の下の風景、あの小部屋。


 竹編みの椅子の上に、男がひとり座っている。


 とりあえず、ひとつ溜め息をついて、俺は意識を丁寧に慎重に扱う。混乱してはいけない。俺はこの状況を把握していなきゃいけない。


 整理しよう。


 俺はさっきまでアルラウネにいた。あのベッドで眠った。そして今、あの桜の木の下の梯子の先、あの小部屋とよく似た光景にいる。そこにひとりの男がいる。


 つまりこれは夢だ。

 

 例の夢のひとつだ。


「……誰だおまえ?」


 竹編みの椅子に座った男は顔をあげてこちらを見た。学生。学生服を着ている。見覚えのない顔。


 怪訝そうにこちらを見て、誰何するその声は、違う声だ。


 例の声じゃない。


「おまえのせいさ」というささやきは、目の前のこの男が発したものじゃない。


 ほんとうに、なんなのだろう、これは。それでも冷静さを保て。けっして、理解を、整理を諦めるな。

 諦めた瞬間に、すべてなくなってしまう。


 俺は深呼吸をして、あらためてその男に向き直った。


「聞きたいのはこっちのほうだ」


 俺がそう言うと、彼は訝しむように眉を寄せる。


「なにを」


「おまえは誰だ?」


 電球に照らされた、その男の姿を見る。

 服装は学生服だ。うちの学校のものではない、おそらく。


 顔つきは、端正にみえるが、あどけなさが強く、少女のようにも見える。座っているのでわかりにくいが、俺よりも一回り小柄だろう。


「どうしてこんなところにいる?」


 質問を続ける。問題はいくつかある。


 これが仮に夢のなかの出来事だとして、まず確認しなければならないこと。


 彼が「俺の夢のなかの人物」に過ぎないのか、それとも、「俺と夢を共有する何者か」なのか。


 それは本来的に判別不能なことだ。


 夢でも、夢でなくても、疑うことこそ馬鹿らしいとはいえ、否定しきれないこと。だからといって、その疑いが正当だということにはならないけれど、疑いそのものを否定することに著しい困難がつきまとうこと。


「俺は……」


 と、その男は自問するようにつぶやいた。


「俺は、なんでこんなところにいるんだろうな?」

 

 聞いてるのは俺だ、と言おうかどうか迷った。





「名前は」と問うと、「菊池淳也」と返事がかえってくる。


「キクチジュンヤ。いつからここにいる」


 彼は横に首をふった。


「覚えてない。なんで俺はこんなとこにいるんだ?」


「知らねえよ」


 彼は少しむっとした顔になった。


「おまえこそ誰だよ。おまえこそ、なんでこんなとこにいるんだ」


「俺の夢だ、ここは」


「……何言ってんだ、おまえ」


 俺はひとつ溜め息をついた。どちらがおかしなことを言っているかと言われたら、俺のほうだろう、たぶん。


「俺は三枝隼だ。女の子をふたり、探しに来た。このなかのどこかにいるはずなんだ」


「……このなか、って、どういうことだ?」


「俺の夢だ、ここは。で、たぶん、変な世界とつながってる。妙な現実感がある奇妙な夢、と、夢みたいな奇妙な現実、がつながってる、っていうのが、俺の認識だ」


「えっと。救急車とか、呼ぶか?」


「いい。というか」


「ん?」


「べつに俺は勝手にするからいいんだけど、おまえ、大丈夫なのか」


「……えーっと、変人に心配されるのも妙な塩梅だな」


 どうも会話がうまく回らない。


「おまえ」


「おまえじゃない。菊池淳也」


「菊池。おまえ、ここに来る前の記憶があるか?」


「ん。うーん、あんま覚えてない、けど。誰かと一緒にいた気がするなあ。誰だったかな」


「いつからここにいるんだ、おまえ」


「……思い出せん! つーかなんだ、これは。取り調べか」


 どうしたものだろう。

 放っておいていいのだろうか、こいつは。


「よくわかんないけど、おまえは女の子を探しにきたんだよな?」


「ああ」


「ここの出口とか、知ってる?」


「知ってる、わけではないな」


「ミイラ取りがなんたらってことわざ、知ってる?」


「虎穴に入らずんば……とも言う」


「ふうん、好きだよそういうの。で、隼はこれからどうするんの」


「どうするもなにも、この部屋には扉が一個しかないんだよ」


「……あらほんと」


 いま気付いた、というふうに、菊池はうしろを振り返った。


「なにをするにもしないにも、とりあえずこの扉をくぐるしかないってわけね」


「そういうことだ。……なんなんだ、おまえ」


「なんなんだとはご挨拶だなあ、隼」


 そう言って彼は立ち上がり、


「まあ難しい話はよくわかんないけど、こんな状況で会うっつーのもなんかの縁だ。とりあえず協力していこうじゃない? それに隼、一個だけおまえに教えられることがあるぜ」


「なんだよ」


「女の子を探してるんだろ」


「ああ」


「会ったぜ。ひとり」


「どこで」


 菊池はにんまり笑った。


「この部屋に突然やってきてな。なんかよくわかんないけど、俺に何も声をかけずに通りすぎていった」


「さっき聞いたときになんで答えなかった」


「怒るなよ。通りすぎていったんだ」


「……?」


「俺のことが見えてなかったみたいに、そのまま歩いていった。思い返すと不思議だな。どういうことなんだろう、この部屋に扉は一個しかないのに、女の子はどこからかやってきて、まっすぐその扉から出て行った。ああ、でも、おまえもそうだな」


「……そうだな」


「ま、考えてもわかんねえか」


「雑だな、おまえ」


「考えすぎたってどうにもならねえよ。出たとこ勝負でなにが悪い。馬鹿の考え休むに似たり、ともいってだな……。まあいいか、こんな話は。とにかく、女の子を見たんだ」


「どんな?」


「ちっちゃい子だったな」


「いつ」


「ううん、わからん。三十分くらい前か……そんくらいだと思うな」


「……少なくとも三十分くらい前から、おまえはこの部屋にいたわけだ」


「たぶんな。でも時間の感覚がけっこう曖昧なんだ。あれが数時間前だったって言われても納得するぜ」


「……役に立つんだか立たないんだかわからんやつだな」


「まあいいじゃないの」


 と菊池は俺の肩に腕を回した。


「俺はなんで自分がここにいるのかわからんし、しかも、自分のことがあんまり思い出せない。ここがどんなとこなのかわからないけど、まあとりあえず、家に帰りたいわな。おまえの夢とか言われてもピンと来ないけど、とりあえずどうあれ、おまえも脱出路がわからんというなら、協力するのは悪くあるまい」


 たしかに、まあ、そう言えなくもない。


「そりゃ、そうだけど」


「だけど、なんだよ」


「脱出路はわかんないけど、これ、俺の夢だから、目がさめたら俺はいなくなるかもしれないぞ」


「……なんだそら、えっと……なんか混乱してくるな。なんでおまえの夢のなかに女の子が……いや、夢のなかに女の子がいるからって、なんでそれを探す? つーか、そういう夢ってだけか?」


「ちがうけど、説明めんどくさいし、たぶんそんなに興味もないだろ、おまえ」


「まあ、ないな。ない。女の子に興味はあるけど。まあ説明が面倒だっていうなら無理には聞くまい。とりあえず俺はおまえについて行くことにしよう」


「なぜ」


「だって別行動して、うしろから襲われたらいやじゃない?」


「誰に」


「おまえに」


「……なんで俺が犯人なんだよ」


「いやあ。おまえが自分のことどう思ってるかわかんないけど、俺視点おまえって相当怪しいから……」


「……わかった。とりあえず移動しよう。時間がない」


「やったあ。持つべきものは友だな、おい」


 誰が友だ。



 竹編みの椅子の小部屋を抜けると、そこは夜の校舎だった。ここまでは話の流れは一緒だ。そして後ろの扉を開けると、また屋上だ。


「はあ。なるほどねえ。こりゃ夢って言われても納得だわ」


 菊池は感心したようすでうんうん頷いている。ずいぶんと冷静に見える。


「あんまり驚かないんだな」


「俺はね、めんどくせえことは気にしないって決めてるの。むずかしいことは考えない。そういうふうに生きてるとね、なにかに驚いたりなにかに怒ったりすることがなくなる。まああるだろ、こういうことも、ってね。なるわけよ」


「ふうん」


 そんなもんだろうか、と思いつつ、俺は菊池が得意げに笑うのを見ていた。


「んで、どうする?」


「そんなに時間があるわけじゃないから、なにか見つけたいところではあるけど」


「時間。時間ね。なに、時間って」


「十五分後に起こしてもらうことになってるんだ」


「ふうん? 十五分。な、隼、おまえほんとにこれが夢だと思ってんの?」


「……寝てるときに見るのは、夢だろ」


「狭窄だねえ、視野がねえ」


 わざとらしく作った呆れた口調に、いくらか苛立ちを覚える。こいつがいったいなんなのか、よくわからない。菊池は俺の反応なんて気にした素振りもみせずに言葉を続けた。


「夢って言葉を選ぶのが、まずよくない。こいつは現実だよ。変な現実がおまえの夢に取って代わってる。そう受け取ったほうがいい」


 俺たちは話しながら階段を降り、廊下へと抜けた。どちらに進むか迷った末に、俺は例の、鏡を目指すことにした。


「こんな現実があってたまるか」


「馬鹿かおまえは」と菊池は笑った。


「冷静に考えてみ? 逆だよ。この生々しさ、この現実感が夢であるわけがない。じゃあ現実だ。現に起きていることから目をそらしちゃあいけない」


「……まあ、呼び方はなんでもいい」


「認めたほうがいいと思うね。女の子をさがしてるんだろ」


「ああ」


「夢のなかの、じゃないだろ? このなかに迷い込んだ女の子をふたり、さがしてる。それは夢のなかの出来事じゃあないはずだ」


 ……そうだ。

 他者が巻き込まれている。


「現に俺だってここにいる。いいか、夢のなかに他者はいない。けれどこの場所には他者がいる。他者がいるならそれは現実だ」


 その違いが重要なことであるかのように、菊池は繰り返した。

 俺は、そうかもしれない、と思いながら、けれど反駁する。


「根拠がない」


「なに?」


「おまえが俺の妄想じゃないって、なんで言い切れる?」


「中途半端な懐疑論者め」


「もうさんざん、そういうことが起きてきたんだ」


「隼よう、おまえつまんねえやつだな。感じるとか信じるっていうのは一種の跳躍だぜ。ほら、跳べ」


「なにいってんだ、おまえ」


 階段の踊り場で、菊池は一度立ち止まって笑った。


「おまえは矛盾してるよ」


「なにが」


「おまえはこの景色が夢だなんて信じてない。だから女の子をさがす。俺と会話をする。そう、おまえはこれが夢だなんて思えない」


 俺は少し呆れた。


「まるで、自分は、なにが現実でなにが夢か、区別がついてるみたいに言うんだな」


 菊池は自信ありげに頷いた。俺は、こいつの話をあまり真に受けないことにした。


 さて、と俺は前を見る。夜の校舎。時間はあまりない。


「菊池、ついてくるのはいいけど、よくわからないことを言って俺を混乱させたいだけなら、別行動にしよう」


 彼は頷いた。階段を降り、俺たちは一階の廊下を歩く。


「もうこれ以上は、必要そうなこと以外なにも言わないことにするよ」


「ああ」


 こいつはいったいなんなんだろう。俺はなにかを間違えているような気がする。ちせや市川の行き先に、俺はまったく心当たりがない。ただ、ちせの姿を見たあのときの鏡を目指しているだけだ。


 それならば、俺はこのイレギュラーの、菊池淳也の話を聞くべきなんじゃないだろうか。


 彼はなにかの意味があってここにいるんじゃないのか。


「隼よう」


「なに」


「機嫌悪いな。さっそくだけど、必要そうなことを言うよ」


「……?」


「ここ。下り階段があるぜ」


 背後を振り返ると、菊池は廊下の壁を眺めながら立ち止まっていた。彼の視線の先には家庭科室がある。


「……下り階段?」


「ああ」


 と言って、彼は家庭科室の扉を開けた。

 その扉の先は、家庭科室ではなかった。彼の言葉通り、黴と埃の臭いのする下り階段があるだけだ。


「……なんで気付いた?」


「べつに。それは必要なことじゃない」


「……そうか」


「どうする?」


「……この先に、なにか俺に関係があるものがあると思うか?」


「知らねえけど、どっちにしろそろそろ十五分は経ったな。どうするかは自分で決めていいと思うけど、虎穴に入らずんば、なんだろ」


 それから、思い出したみたいに菊池は言葉を付け加えた。


「俺だったら、こっちに進むね」


 なるほどな、と俺は頷いた。そして、彼の言葉に従うことにする。もともとのことの発端、俺たちが探していた場所。


「桜の木の下」「地下迷宮図書館」


 どっちにしたって、下に下に進んでいくほうが正しいように思えた。


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