騙されない者はさまよう

03-01 鍵の代金



 その週の金曜、駅近くの商業ビルのなかの学生向けの安いファミレスに俺は呼び出された。


「どうせ明日休みでしょ」と言われてしまうと、まあそりゃそうですと答えざるを得ない。状況も状況、事情も事情、相手も相手ということで、俺に断る権利はなかった。


「それで」


 と、俺を呼び出した張本人は頬杖をつきながらポテトフライを口に含んだ。ドリンクバーから(俺が)持ってきたアイスティーの中の氷をストローでゆらゆら揺らして、なにやら不服顔だ。


「ちせをどこに隠してるの?」


 じとっと睨まれて、さすがに戸惑う。「ネタはあがってるんだぞ」と言わんばかりの表情で、ましろ先輩は俺をみつめた。


「ええと。なぜ俺がちせを隠していることになるんですかね?」


「状況的にそうかなあって。後輩くん、ちせみたいなちっこいの好きでしょ」


「どういう偏見ですか……」


 泣きたくなる。


「違うと申すか」


「好きか好きじゃないかで聞かれたらむずかしいですね、嫌いかどうかで聞かれたら嫌いではないですが」


「やはり犯人は……」


「ちがうちがう」


「犯人に決まってる! 部屋に監禁してちせに……ていうかちせと……なんか……卑猥なことしてるんでしょ!」


「ましろ先輩、そういうこと言うキャラでしたっけ……」


「それがさ、聞いてよ後輩くん、大学って爛れててさ」


「なんでちょっと嬉しそうに言うんですか……?」


「カルチャーショックだよね……」


 くだらない話をしているところに、「遅れました!」と慌てた様子で、私服姿の瀬尾青葉が現れた。「よう」と声をかけると「よっす」と返事が来る。


「青葉ちゃんひさしぶり。元気だった?」


「はい、元気です……ましろ先輩も、元気そうですね……?」


「うん、まあね。妹が行方不明だけど」


 ほんとうに、妹が行方不明になった人のテンションではない。


 部誌『薄明』の発行直後、文芸部員一年の宮崎ちせは突然に失踪した。学校に来ていないだけなのかと思ったら、家にも帰っていないのだとましろ先輩からの連絡でわかった。


 そんなわけで、出来事を整理する意味で、ひさしぶりに会おうじゃないかと呼び出され、俺と瀬尾はまんまとこの場にやってきた。


「わたしの読みでは」とましろ先輩は真顔をつくり、


「てっきり後輩くんの家に転がり込んでいるものだと……」


「なんで俺の家なんですか」


 せめて同性である瀬尾の家のほうが可能性が高いだろう。


「後輩くんにかなりなついてるみたいだからね」


「はあ」


 まあ、なつかれている気はしていたけれども。


「ちせは後輩くんのことお兄ちゃんだと思ってるみたい」


「なんですそれ……」


「副部長、そういう趣味なの……?」


「やめろ」


 にやけた顔で悪ノリしてきた瀬尾を咎めると、彼女はけたけた笑った。


「ちなみにわたしも後輩くんのことを弟だと思ってるよ。やったね」


「からかうのはやめてください」


 まじで。


「副部長ってそういう……」


「……瀬尾、とりあえずなんか頼んだら?」


 このふたりが揃うと俺は本当に形無しだ。一年の頃の生活を思い出して暗澹とした気持ちになる。思えばつらい日々だった。





 瀬尾の注文したハンバーグプレートとチョリソーが届いたあと、真面目なのか不真面目なのかわからないテンションのまま、情報の共有をおこなう。


「じゃあやっぱり、家には帰ってないわけですね」


「そう。制服も靴も荷物もなし。まるっきり家には近付いてない感じだね」


「帰る途中でなにかあったのかな」


 独り言のつもりでそう言うと、「ううん」と瀬尾から答えが返ってくる。


「ちせちゃんの靴、確認したんだけど、なかったのは上履きだった」


「……つまり」


「うん。学校から出てないってことだね」


 とりあえず、帰り道の途中で何かがあった、というわけではないらしい。それはそれでよくわからないことにはなる。


「校内でなにかあったってことですね」


「だね。ふたりとも、なにか心当たりある?」


「わたしはわかんないです」


「たぶん七不思議ですね」


 ふたりの視線が揃ってこちらを向いた。


「七不思議? ってあの、ましろ先輩がでっちあげたやつ?」


「でっちあげって失礼だな。誠実かつ純正な調査と検証の結果だよ」


「大嘘じゃないですか」


「嘘ついてないもん。『薄明』に書いてあったもん」


 子供みたいな拗ねた声でつぶやきながら、ましろ先輩は瀬尾の皿からチョリソーを奪って食べた。


「……辛っ」


「そりゃチョリソーですからね」


「や。副部長、チョリソーは辛いソーセージのことではないから」


「そうなんだ」


「そうなんだー、青葉ちゃん物知りだね」


 ましろ先輩も初めて知ったらしい。この人にも知らないことがあるのか……。


「で、七不思議がなに?」


 ましろ先輩に問われて、ようやく話せるタイミングになる。ひとつポテトをつまんでから話そうとすると、


「あ、ごめん、飲み物とってくるね」


 と瀬尾が立ち上がった。話が一向に進まない。


「副部長もなにか飲む?」


「あ、悪い。コーヒー」


「ホットのブラックでいいんだよね?」


「うん」


「先輩は……」


「わたしはいいや」


「はーい」


 瀬尾が立ち上がってドリンクバーにむかうと、ましろ先輩がにんまり顔で俺を見た。


「仲良しだね?」


「ですかね」


「上手くいってるみたいでなにより」


「なにがですか……」


「お姉ちゃんうれしい」


「誰がお姉ちゃんだ」


「ま、後輩くんたちの関係性の話はあとで聞くことにしよう」


「……」


 なにも言うまい。


「ていうか」


「ん?」


「余裕そうですね。こういうこと言うのも微妙ですけど、妹さん失踪してますよ」


「うん。そうだね」


「そうだね、って」


「見つけるから」


 とましろ先輩は顔色一つ変えずに言った。


「ちせは好奇心旺盛だからね。あの子はいつも、わたしが面倒事を引き起こすみたいに言うけどさ。本当は、余計なことに首突っ込んで巻き込まれてきたり、変なもの見つけてくるのはちせのほう。勝手になにか探しに行ったり、勝手にどこかに迷い込んだり。あの子が自分で気付いてるかはわからないけどそうなの。変に吸い寄せて、変に入り込んで、後始末はいつもわたし」


「今回も、そうってことですか?」


「わかんない。でも、わたしが見つけるから」


 なるほど、と胸の内だけで頷いた。心配してるとかしてないとか、彼女にとってはそういう次元の話じゃないらしい。

 いや、でも、ちせが興味を持っていた七不思議って、あなたが広めたものだと思うのですが……とは、さすがに言わないでおく。


 瀬尾が席に戻ってきてから、俺は話を再開した。


 ちせが、七不思議に興味を持っていたこと。「手紙」が『幻獣辞典』に挟まっていたこと。そしてちせ自身の言葉。「地下迷宮」について、誰かが迷い込んだらまずいと話していたこと。


「……それっぽいなあ」


 と、ましろ先輩は苦笑した。「ですね」と俺がうなずくと、瀬尾はひとりで首をかしげた。


「えっと。よくわかんないんですけど……なんか変なことが起きてるってことですか?」


「まあ、後輩くんが校内に監禁してる可能性もなきにしもあらずって感じだけど」


「ないです」


「ないらしいから、どっちかっていうと超常現象路線だね」


 受け入れが早いことに驚く。


「……えっと、七不思議ってでっち上げなんですよね?」


「青葉ちゃんはオカルトなんか信じませんってタイプ?」


「……まあ、べつに絶対にありえないとまでは言わないですけど」


 瀬尾の感覚が普通だろう。とはいえ、


「図書室の本に変なメモを挟んでるやつがいた。その話について調べてるやつがいなくなった。と考えると、そのメモを挟んでるやつが誰なのかっていうのを調べるのは、無価値ではない気がする」


「そうかもだけど」


 瀬尾はストローをくわえてメロンソーダを一口含んだ。ましろ先輩はそこでおもしろそうにくすくす笑って、


「無価値じゃないっていうか、ふたりにはもちろん調べてもらうよ」


「え」


「だってわたし、学校入れないし。ふたりにラジコンになってもらわないとさ」


「ラジコンて」


「やってくれるよね、後輩くん。鍵の代金がまだだもの」


「……鍵って、あれ、タダじゃないんですか?」


 ていうか、もらったっていうより、押し付けられたつもりでいたのだが。

 肩をすくめると、横から瀬尾が俺の服の裾を引っ張った。


「鍵って、なに?」


「……内緒」


「……ちぇー」


 わざとらしく舌打ちの真似をして、瀬尾はすねたふうに顔をそむけた。

 頼むから本題から逸れないでほしい。額を抑えながら、俺は考えた。


 市川のことをふたりに話すべきかどうか、俺には結論が出せなかった。

 関係があることなのかどうかもわからないのだ。


 市川は、夢のなかにすら現れない。

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