第三話:俺の記憶通りなら
朝の学校までの道のり。
俺の記憶通りなら、次のヒロインとのイベントは、この通学中に発生するはずだ。
朝の晴れ空の下、大きく深呼吸した俺は、ゆっくりと通学路を歩き出した。
しかし、ちらちらと周囲に視線を巡らせながら思うけど、この風景はほんと、現実にしか感じないな。
元々このゲームの通常イベントは、ドット絵で描かれていた背景に、ヒロインの立ち絵で構成されている。
でも、この住宅街ひとつとっても、ゲームらしさなんて皆無。これでゲームの世界って言われても、正直まったくピンとこない。
そのせいか。未だ心がふわふわして落ち着かない。ゲームならゲームってはっきり分かってる方が、気持ちも落ち着くんだけど……。
ちなみに、歩いている中で、少しずつ通学する生徒も増えてきたけど、今の所は新たなヒロインの姿はない。
……って、馬鹿。
肝心な事を忘れてたじゃないか。
今回出てくると思ってたヒロインなんだけど、実はステータスを上げても、第二週以降じゃなきゃ平日の出会いイベントが発動しないんだよ。
つまり、今日は何もないまま、平穏無事に終わるって事だよな。
ったく。現役じゃないとはいえ、そんな事も忘れてるとは……。
まあいいか。
一週間無駄になったけど、昨日は綾乃にかなり緊張させられてたし、今週は少し落ち着いて学園生活を──。
「あ、翔君。おはよう」
ぼんやりしていた頭が一気に覚めるくらい、衝撃的な挨拶が背後から聞こえて、心臓が口から飛び出そうになる。
この声……まさか……。
歩みを止め、平静を装いながら振り返ると、朝日なんかよりよっぽど眩しい微笑みを浮かべた、ブレザー姿の綾乃が立っていた。
「お、おはよう」
緊張が拭えない硬い笑みながら、何とか挨拶を返すと、彼女は笑みを絶やす事なく、俺の脇に並んだ。
は? ゲームプレイ初日のこのタイミングで一緒に登校イベント!?
……なんて、一瞬混乱したものの。よくよく考えたら、これは十分あり得る話か。
既に彼女の好感度は、ある程度上がっているはず。
だからこそ、本来ならゲーム中盤以降、好感度が上がってきた所で起きる、登下校時の綾乃との日常イベントのフラグが立っているのは、ある意味自然だもんな。
とはいえ、まだたった二日目。
いきなり過ぎる展開に、昨日と同じく、俺の心臓が一気にバクバク言い出す。
「良かった。人違いじゃなくって」
「そ、そうだな」
何とかそう返すと、逃げるように俺は歩き始めたけど、勿論そんな俺の心の内なんて知らない彼女は、自然に並んで歩き出す。
「ず、随分早いんだな」
「そうかな? でも翔君、昔っから学校に遅刻したくないからって、早起きしてたでしょ? あれからだよ。私も早起きになっちゃったの」
「そ、そっか。何か、ごめん」
「謝る事なんてないよ。お陰でこうやって、今朝も一緒に登校できたし」
相変わらず顔を少し赤らめつつ、本当に嬉しそうに話す彼女に、俺は気恥ずかしさを誤魔化すように、笑う事しかできなかった。
でも、これがリアルだったら、本気で大変だったな。
こんな美少女と登校なんてしてたら、絶対他の生徒に注目されるし、それこそある事ない事噂され、みんなに茶化されるに決まってる。
そうなったらきっと、色々耐えられなかったに違いない。
……あれ? 待てよ。
俺はふと、綾乃のゲーム内での行動を思い返す。
元々好感度が低い時は、みんなにからかわれたくないなんて口にする彼女。
だけど、その後主人公のステータスが上がっていくにつれ、そういう台詞は鳴りを潜め、主人公に対して一緒にいたそうな雰囲気を出すんだよな。
って事は、もしかしたら……。
あるアイデアが閃いた俺は、頭の中で台詞を整理すると、緊張しながら話を切り出した。
「なあ、綾乃」
「どうしたの?」
「いや。その、いいのか? 俺と一緒に登下校なんてして。友達にからかわれたり、噂されたりするんじゃないのか?」
不思議そうに首を傾げていた彼女は、俺の突然の質問を聞いてはっとすると、何処か申し訳なさそうな顔で、俺を上目遣いで見上げてくる。
この顔の理由はどっちだ?
「あ……確かに。翔君が私のせいで、皆にからかわれちゃうかもしれないよね……」
……そっちか。
って事は……。
「あ、いやいや。俺なんて別に、馬鹿にされるのも慣れてるからいいんだけどさ。ただ、俺のせいで、綾乃に変な噂がたつのは申し訳ないっていうか……」
俺は彼女に釣られた振りをして、言葉通りに申し訳無さを顔に出してみる。
すると、綾乃は歩みを止めると顔を赤らめ、俯いたまま、急にもじもじとし始めた。
「そ、そんなの気にしないで。私は、その……噂をされてたら、ちょっと嬉しいし……」
後半の言葉は、正直ほとんど聞こえないほどの小声。
それでも、何を言ったかはわかっていたんだけど。
「え?」
敢えて聞こえなかった振りをすると、はっとした綾乃は必死に何かを否定するように、両手をぶんぶん振り、焦りながらこう言った。
「あ、えっと。な、何でもないの! とにかく、私は気にしてないから。ね?」
「そ、そっか。わかった」
そんな彼女のリアクションに、俺は赤くなった顔を誤魔化すように顔を背ける。
……うん。この会話でわかった。
今、綾乃の好感度は、最高まであがってるって。
俺が振った会話。
実は、元々ゲーム内の通常イベントで、似たような会話があったんだ。
元々、友達にからかわれるのが恥ずかしいと言っていた、好感度が低い頃の彼女。
それが、主人公と親しくなり、主人公に惹かれる中で変化した心情を表すような、中々に乙な会話イベントは、
──「なあ、綾乃。最近
という、主人公の言葉から始まる。
勿論前に言った通り、あくまで噂に関してはこの台詞のみで、ゲーム内で一切噂されるシーンはないし、実際にからかわれたり、注目を浴びたりするシーンもないんだけど、会話はそれ前提に進んでいく。
──「え? そうなの?」
──「ああ。でも流石に、俺なんかと噂になったら迷惑だよな?」
で、主人公のそんな問いかけに対する答えが、さっきの綾乃の台詞だったんだ。
ゲーム内の主人公は都合よく鈍感で、その言葉を聞き取れなくって、結局彼女の言葉はうやむやにされちゃうんだけど。
敢えて同じ流れにする事で、好感度を計ったんだ。
ただ、主人公との違いがあるとすれば、俺ははっきりと聞き取ってしまっていた。
彼女が小声になった部分まで。
……っていうか、そのせいで俺の顔の火照りが治らない。
いや、だってそうだろ?
二十六年彼女なしの俺が、こんな美少女に恋心を寄せられてるんだぞ。これがゲームの世界だとしても、そりゃ緊張するだろ。
泳がせていた目をちらりと隣に向ければ、俯いき身体を小さくしつつ、未だ顔を真っ赤にしながら歩く綾乃。
……こんな美少女が、俺に……。
思わず緊張で喉が渇き、生唾を飲み込む。
このゲームで好感度最高になってからの特別イベントは、結構ドキドキさせられる物が多い。もし、それを間近で、しかもリアルに経験する事になったら……。
予想以上に高かった好感度から、そんな未来を想像してしまい、正直浮き足立ってしまっていた、その時。
「そこのお二人。よろしいでしょうか」
別な意味で俺をドキッとさせる、落ち着いた声が背後から聞こえたんだ。
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