第九話:もう大丈夫だから
「あ、ありがとう。もう大丈夫だから」
「よかったぁ。急に咳き込むからびっくりしちゃった」
「ご、ごめん。気管にコーヒーが入っちゃって」
まだちょっと呼吸が苦しいけど、何とか笑顔でごまかした俺に、綾乃がほっとした顔をしてくれる。
しまった。いくらパニックになったとはいえ、これはやらかしすぎだろって。
そんな反省の気持ちが、さっきまでの変な熱を忘れ、心を冷静にさせた。
「気を取り直して、残りもちゃんと味わうか」
「そうだね」
互いに笑顔を交わした俺達は、そのまま互いのデザートを口に運び始めた。
でも、ゲームってイベントが勝手に発生するから、そこに積極性がどれだけあるかってあまり意識してなかったんだけど、綾乃ってリアルになると、あそこまで積極的なのか。
まあ好感度も高いし、想いが募ればこうもなるのかもしれないけど……。
あ。もしかすると、好感度だけじゃなく彼女達の積極性みたいのも、フラグがおかしいのと同じく、何等かしか影響していたりしないんだろうか?
とはいえ、それを判断する術は流石にないよな。
ほんと。色々と一筋縄じゃいかないこの世界。
異性と付き合った経験のない俺にとって、予想できない事ばかりのこの状況は、ほんとハードモードだ。
◆ ◇ ◆
やっと普段通りの空気に戻った俺と綾乃は、その後も今日の水族館の話題とか、連休中に出された宿題の話とか、他愛のない話をした。
一応過去の話もちらちらとされたけど、やっぱり俺の記憶に重なるようなものはない。
でも、幼馴染の話って結構具体的だったけど、何かで語られたりしてたんだろうか?
当時親父が「綾乃好きなら」って、彼女が主人公のドラマCDや小説も薦めてこようとした記憶があるけど、ハマったとはいえそこまでいくとオタク過ぎるしって思って、全部断ってたんだよな。
もしかしたら、そういう所にこういった話があったのかもしれないけど、今となっては確認する術もないか。
ただ、そう考えると俺の記憶からこの世界が作られたって事は、流石になさそうだけど。
そんなこんな考えつつも、表にそれを出さず色々と話した後、喫茶店を出てもう少し水族館を見て回った俺達は、そのまま帰りの時間を迎えたんだ。
◆ ◇ ◆
「今日は、付き合ってくれてありがとう」
「こちらこそ。楽しかった?」
「うん。とっても!」
家の近くのバス停でバスを降り、夕焼け空の下、互いに笑顔でそんな話をしながら歩く俺達。
綾乃が本当に喜んでくれたのがわかる笑顔を見ると、俺もほっとする。
そりゃ、俺といてつまらなかったなんて言われたら、やっぱり申し訳ないしさ。
「今度は、翔君が動物園に誘ってくれるんだよね?」
「ああ。ちゃんと考えておくよ。家に行く件は任せたからな」
「うん。きっとお母さんも喜ぶと思うから。楽しみにしててね」
流石に数時間ずっと一緒だったのもあって、会話は随分とこなれてきた。
少しは自然にこういう会話も自然にできているし、いいことだな。
「それじゃ、また学校でね」
「ああ。またな」
互いに手を振り、何時もの下校時のように十字路で別れると、俺も彼女に背を向け家路を歩き出した。
本当は送って行くとかの選択もあったんだけど、正直ゲーム内で出てきたことのない、綾乃のお母さんに会うって心構えがまだできていない。
流石に久々で緊張するからってことで、今日家まで送るのは勘弁して欲しいって謝っておいた。
まあ、遅かれ早かれではあるし、一応俺だって心は大人。
相手が大人であれば、もう少し落ち着いて話せる……と、いいんだけど。
今日一日を振り返ったって、二十六年の人生で経験できなかった事も多くて、かなり混乱もしたくらいだ。もう少しうまく立ち回れないと結局苦労しそうだよな。
雑学ステータスがどれだけ上がってるかわからないけど、こういう所は自分自身で何とかしないといけないってのは、やっぱりなんか理不尽だ。
しかし……今日の綾乃は随分と積極的だったな。
いきなり家に迎えに来たり、腕を組んだり、お互いにデザートを食べさせあったり。
正直困惑もしたし、恥ずかしさも凄かった。
でも、やっぱり憧れの人とデートできるっていうのは、なんだかんだで嬉しかった。
でも、綾乃は幼馴染の主人公が好きだからこそ、これだけの態度を見せてくれてるだけ。そう考えると、やっぱりちょっと虚しくなるな……。
あーあ。
俺もゲームじゃなく、ちゃんとリアルでこういう経験を出来てたらなぁ……。
何とも言えない感情に苦笑いをしたその時。突然胸がズキッと痛んだ。
物理的って感じじゃなく、心の痛み。
同時にふっと思い浮かんだ過去。
瞬間、俺ははっとして足を止めた。
◆ ◇ ◆
──高校一年の時にハマった『胸キュンメモリアル』。
今でも綾乃のスチルイベントなんかは覚えてるくらいやりこんだはずなのに、結局このゲームをやらなくなった。
ゲームの熱なんて、やっている内に落ち着いてくるもの。
やり過ぎて飽きがきた。そんな理由もあるにはあった。
だけど、俺が止めた本当の理由は、自分が主人公のようになれなかったからだ。
俺の好きだった人は、可愛くて素敵な人気者に変わっていった。
でも、俺は自分の自信のなさに、ずっと変われなかった。
遠目に見ていた彼女の姿は、本当に昔と変わった。
おずおずとした自信のなさは陰を潜め、優しそうな笑みは前よりも増えた初恋の人。そりゃあ、人気にだってなる。綾乃みたいに。
だけど俺は、キュンメモの主人公のようにはなれなかった。
努力して彼女に振り向いてもらおうって気持ちなんて持てず、俺みたいなオタクじゃ不釣り合い。心でずっとそんな言い訳をして、俺は俺のまま変わらずに生きてきた。
そのくせ、未練がましく「彼女から告白してくれたら」なんて考えて。そんな現実は来ないって思って首を振る。
それまで、そんな自分の情けない日々を忘れるかのように、キュンメモに没頭していた。
だけど、ある日この事実に気づいてしまい、そんな鬱々とした気持ちが俺をキュンメモから遠ざけた。
そこにある主人公の姿が、あまりに眩しすぎたから。
◆ ◇ ◆
その場でくるりと振り返る。
勿論、道の先に既に綾乃はいない。そこには沈んでいく夕日と、赤く照らされる街並みが見えるだけ。
そんな、どこか物悲しい雰囲気を感じる景色を見ながら、一度はないと思っていた、もしかしたらという想いが生まれる。
俺は、やっぱりこの世界を望んでいたんじゃないか?
高校時代の後悔を重ねてしまったからこそ、俺は綾乃に初恋の人を重ね、高校時代に出来なかった自分の恋を経験したい。そう思ったんじゃないか?
だから、俺はこの世界にいるのか?
だから、この世界の綾乃は、俺の希望を叶えるために、最初から好感度が高いんじゃないか?
疑問に答える声なんてない。
結局これだって、事実かどうかもわからない。
だけど、そんな心の隙間に入り込んできた疑問は、今日の綾乃とのデートの余韻なんて完全に吹き飛ばし、俺の心に強く残ってしまったんだ。
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