第二十話:えっと……沙友理先輩?

「えっと……沙友理先輩?」

「は、はいっ!」


 またか……。

 顔を覗き込み問いかけた俺に気づき、はっとした沙友理がびくっ! っと体を震わせ俺から距離を取ると、上ずった声で返事をする。

 顔が真っ赤なのは、間違いなくあの親子の一言が効いたんだろう。まあ、俺もちょっとは動揺したし。

 ただ、今の俺達は、ただの先輩と後輩だ。彼女の俺に対する好感度があっても。


 そう。先輩と後輩。先輩と後輩……。

 自分に言い聞かせるべく、頭でその言葉を何度か復唱した後、俺はできる限り普段通りの顔をして見せた。


「随分道が逸れちゃいましたけど、例の花畑を目指しますか? それとも、どこか別のアトラクションにでも入ってみます?」

「あ、ええと……その……か、翔君にお任せしても、よろしいですか?」


 しどろもどろになっている彼女の、眼鏡の下の表情はまだ困惑気味。未だ夢覚めやらず、って所か。

 こういう時にどうしてあげるべきか。正直俺もちゃんと分かってない。

 下手に勘違いさせてもいけないけど、無碍にもできないと思ってる。


 ……こっちから動くのは、本当は愚策。

 でも、沙友理なりに勇気を出して、ここまで頑張ってきたんだ。少しはご褒美があってもいいだろ。


「じゃ、話でもしながら、のんびり花畑でも目指しましょう」


 俺はそう言いながら微笑みかけると、彼女の右手を取った。

 突然の事に、またもびくっとした沙友理。怖がらせたかな? という心の不安を敢えて無視し、俺は彼女の手を引くとゆっくり歩き出した。


 園内は相変わらず、多くの客で賑わっている。

 そんな中、まるで違う世界にいるかのように、沈黙を続ける俺達。

 こっちから率先して行動されると思ってなかったのか。横目で見ると、並んで歩く彼女は恥ずかしげに俯いたまま。


 今日はずっとこういう空気だったから、流石に少し慣れてきた。

 だけど、ただ沈黙したままなのはやっぱり落ち着かない。


 ……そうだ。

 どうせだし、さっきの話を聞いてみよう。


「あの、沙友理先輩」

「は、はい」


 俺の呼び掛けに、彼女が顔を上げこっちを見る。


「あの、さっき将吾君の両親を探す時、俺の腕に手を回してたじゃないですか」

「は、はい。あ、あの時は、急に申し訳ございません。その……ご迷惑でしたよね?」

「いえ。それはいいんですけど。あの時、少し震えてましたよね。あれはやっぱり、不純だと思ったからですか?」


 その問いかけに、またゆっくりと俯いてしまう沙友理。

 ただ、見せている表情は恥ずかしさではなく、どこか不安げ。

 さっきまでと違う空気に、俺も少し気持ちが引き締まる。


「……あの、笑わずに聞いていただけますか?」

「……ええ」

「……あの時、わたくしが翔君の腕に触れたのは……わたくしの、弱さのせいです」

「弱さ?」

「はい。昔の事を思い返し、怖くなったのです……」


 俯いたまま、唇を噛む彼女。

 昔の事……。沙友理の設定上、そういう何かってあったっけ?

 自分が思いつく限り、彼女の設定で何か思いつく物もないし、覚えている範囲でのスチルイベントで、こういったシーンもないんだけど。

 このリアルな世界だからこその、独自の設定だろうか?


「えっと……何があったのか、聞いてもいいですか?」


 興味本位もあったけど、やっぱりどこか元気のない沙友理が気になり、思わずそう聞いてしまう。

 いや。遊園地まで来ておいて、こんな顔をさせてるのもどうかと思ったけど、理由がわかれば励ましたり、元気づける事もできるかと思ってさ。

 

 横を歩きながら、こっちに目を向けてきた沙由里が、ひとつため息を漏らす。


「……まだ、エリーナ様が小学生だった頃、家の近くの森で、迷子になった事があるのです」

「迷子?」

「はい。夜、わたくしがお部屋にお伺いした所、お姿がなかったのです。皆で屋敷内をくまなく探しましたが見つからず、屋敷の外まで捜索範囲を広げた所、森の奥で倒れているのが見つかりました。やや衰弱しておりましたが、命は無事。ですが、ご本人も何故森に行ったのかわからない、不可思議な事件だったのです」

「へー。そんな大変な事があったんですね」


 なんて知らぬ存ぜぬを貫いたけど、俺はこれを聞いて、やっとを思い出した。


 この話。沙友理からは帰宅イベントの話のひとつとして、ちらっとしか語られないんだけど、リーゼロッテとの会話イベントでそれに対する説明があった気がする。

 確か、リーゼロッテが満月以外の日に行動できないか試して、失敗したって話があったはずだ。

 思ったよりエリーナの体が馴染むから試したっていう理由で、でも結局体が持たずに断念したんだったか。

  

 でも、確か沙友理はゲーム内だと、エリーナが迷子になって大変だった、くらいしか話をしてなかったよな?

 ってことは、この世界がよりリアルになった事で、当時の感情まではっきりと表現されているって事なんだろうか?


「もしかして、さっきのでその時の事を思い出したんですか?」

「……はい」


 俺の言葉に彼女が足を止めると、表情を強張らせ、その場で身を震わす。


「あの日、お嬢様に何かあったらと、ずっと不安でございました。誰かを失う怖さ。それがずっと拭えませんでした。そして、先程の将吾君を見つけた時にも、不謹慎ながら同じような事を思ったのです。もし彼と御両親と永遠に逢えなかったら。彼を探しているであろう、御両親の気持ち。それらを勝手に考えてしまい、言いようのない不安を覚えてしまったのです……」

 

 俺の手を握る彼女の手の力が、少し強くなる。

 きっとこの会話のせいで、余計な事を思い出させたのかもな……。


 ゲームにない、現実だからこその不安。

 それを知らなかったとはいえ、沙友理をそんな気持ちにさせた。

 そんな罪悪感を、俺はぎゅっと手を握り返す事でごまかし、再び彼女の手を引き歩き出した。


「それで、腕に手を回してて、少しは安心できましたか?」

「え? そ、その……お陰様で」

「そうですか。先輩の役に立てたなら良かったです」


 俺ができる限りの笑顔を沙友理に向けると、歩きながらこっちを見た彼女が、眼鏡の下で真っ赤な顔をしたまま目を瞠る。


 今でも、ヒロイン達に向けて何を話してやればいいのかとか、向けてやる表情の正解なんてわからない。

 でも。多分こうすれば、彼女は不純で悩むことはあっても、過去の不安は和らいでくれるはず。


 俺はそれだけを信じて、再び前を向き歩き続けた。


   ◆  ◇  ◆


 またも続いた俺達の沈黙。

 それが破られたのは、目的地にしていた花畑の丘に着いた時だった。

 それまでは道の左右にある建物に阻まれて、丘の全体像までわからなかったんだけど。いざ開けた場所に行った瞬間、一面に春の花々が咲き誇る凄い景色が拡がっていたんだ。


「これは……」


 沙友理もこれには自然に言葉を漏らし、丘に見惚れていたけど、勿論俺も感動した。


 いや、俺の仕事場ってそれなりに都会にあったし、家だって郊外とはいえ、ここまでの丘がある公園なんてなかったしな。


「凄いですね、先輩」

「はい。綺麗ですね……」


 夢心地の彼女の表情に、不安の影はない。

 この景色のお陰で、少しはさっきの気持ちも紛れてるのかも。こればかりは花々に感謝だな。


「折角ですし、丘の上まで行ってみましょうか?」

「は、はい。是非」


 問いかけに頷く沙友理に頷き返し、俺達は他のお客に続いて花畑の合間の道を歩いて行く。

 そして、数分掛けて丘の上まで登りきった。


 丘の頂上は開けた草原の広場になっていて、ここから色とりどりの花々と遊園地が一望できる。


 晴れ空の下に広がるこの景色。

 これ、スマホがあったら絶対一枚撮影するんだけどなぁ……。

 そう嘆いたところで、スマホがぽんっと出てくるわけじゃないし、カメラだって持ってない。


 まあ、こういう時は想い出と思って、心に焼き付けるのが正解か。

 そう思ってじっと景色を眺めていると。


「翔君」


 と、隣の沙友理が俺を呼ぶ声がした。

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