第九話:流石に疲れた……
……さ、流石に疲れた……。
沙友理の後ろ姿を見送った俺は、この状況から解放されたことに、ほっと胸をなでおろしていた。
あの後、沙友理が陣内さんって呼んでいた初老の執事が、彼女を迎えに来て会話は中断。
エリーナが待っているって事で、二人は彼女が借りた本を抱え、こっちに会釈をして去って行った。
これでエリーナの出会いイベントは何とか終えたけど。この先どうするかな……。
俺はそんな事を考えながら、さっき自分が座っていた閲覧席に戻ると、テーブルに頬杖を突きぼんやりと考え込む。
綾乃。エリーナ。沙友理。
これでやっと三人か。
残りの出会いイベントはあと二人──そういやあの子もいるから、実質あと三人か。
まあ、彼女にも好感度はあるけど、出会いイベントが秋限定だから早々登場しないはずだし、当面は気にしなくって大丈夫……だよな?
そのフラグすらおかしくなってたら、俺の持ってるキュンメモの知識は、この先ほとんど意味をなさないと思うしかないな……。
でも、綾乃の時もそうだったけど、たった二十分ほどしか絡んでないのに、気疲れが酷い。
気持ち的にはこのまま家に帰って休んでもいいんだけど、できれば立てた方のフラグも確認したいんだよな。
うーん……まあ、どうせ遅かれ早かれだし、何もなければそれはそれで問題なし。
仕方ない。もう少し頑張るとするか。
でも、沙友理のメイド姿もやばかったけど、エリーナもやばかったな。
── 「わわわ、私も……高校生なのです……」
そう。あれでもあの子は高校生。本気でそう見えないのがまた怖い所……って、あれ?
さっきエリーナは、私も高校生だって言ったのか?
あの時が初めての出会いだし、流石に今日は私服っだから、俺が高校生だってわかるような要素も設定もなかったはずなんだけど……。
……あ。
もしかすると、「私、もう高校生です」って言ってたのかもな。だとすれば辻褄も合うし。
流石にフラグがおかしくなるにしても、流石にキュンメモの大前提である、『主人公を過去から知る知り合いは綾乃だけ』って設定まで無視はしてこないだろう……と、思いたい。
さて。
じゃあ、次に行く前に早めに昼飯を済ませて、腹拵えしてから夢乃中央公園に足を運ぶとするか。
俺は本棚に読んでいた本を戻すと、そのまま足早に図書館を出て行った。
◆ ◇ ◆
でもほんと、この世界自体は本気でリアルだ。
さっきもゲーム内のファーストフード店で一人で飯を済ませたんだけど。
店は違えど本気でリアルのファーストフード店らしい内装。周囲の人達も普通に暮らしてるかのように喋ってるし、食べた飯もジャンキーだけど美味しいし。
日数経過とか、週の頭の選択がなかったら、絶対キュンメモの世界がリアルになっただけって思ってただろう。
何となく、その方が気持ちが楽だったかもなぁ……。
そんな事を考えながら、途中でまた綾乃に電話をし、留守電になったのを確認した後。腹ごなしついでに、徒歩で夢乃中央公園までやって来た。
春先だから、まだ桜並木に綺麗な花が満開。
桜舞い散る中、俺は辺りを見渡しながら歩いて行く。
休日だからカップルや家族連れ、友達や仲間と花見を楽しんでいる人は多い。
そんな中ぼっちで歩いているのは、ちょっと肩身が狭く感じるけど、そんな気持ちすら癒す桜の力は偉大だと思う。
ええっと、ここで登場するヒロインは、他のヒロイン達とまた一線を画す存在だ。
何故かっていうと──。
「ワンワン!」
「ちょ! ちょっと待てってー!」
突然背後から聞こえた犬の鳴き声と女子の声。これって──。
思わず体ごと振り返った瞬間。
「ワオーン!」
既に俺目掛け、栗毛色の大型犬が嬉しそうに飛び込んでいた。
「うわっ!」
完全な奇襲に、なす術もなく押し倒された俺は、そのまま背中を強く打つ。
痛ってー!
そう叫びたくなったけど、そんな感情は別の触感によってあっさり打ち消された。
「お、おい! や、やめろ! く、くすぐったいって!」
「ワンワン!」
リアルでも未経験だった、犬に顔や首筋をペロペロとされる行為。
それがいちいちくすぐったくって、俺はただ情けない声を出す事しかできない。
いやだって、ガチでくすぐったいんだぞ!?
しかも、犬の方は喜びを尻尾をブンブンしながらアピールし、ただひたすらに俺を舐めてくる。
「ま、マジで勘弁しろって! ほ、ほんと! 頼む! 頼むから!」
「こらー! ワン吉! ダメだって! ほら、離れろってー!」
飼い主の顔を見たいものの、とにかくこのワン吉のアタックが厳しくって、俺はしばらく必死になって犬をなだめるのに専念するしかなかった。
◆ ◇ ◆
「はーっ。はーっ」
「だ、大丈夫、ですか?」
「あ、ああ」
並木道のど真ん中で、大の字のまま息を切らす俺。
散々俺を楽しんで満足したワン吉がやっと離れたのを見計らい、近くの柵まで引き離し、柵にリードを巻いて戻って来た飼い主が、汗を拭うと俺の顔を覗き込んできた。
青いボブヘアーの少女。
彼女もまた息を切らせつつ、俺の頭側に立ち、前屈みになってこっちを見ている。
エリーナほどじゃないけど、ちょっと小柄で童顔。褐色の肌がすごく健康的。ランニングウェアで隠れていない引き締まった手足は、流石体育ステータスに対応したヒロインらしさがある。
……やっぱり、彼女との出会いイベントだったか。
やっと落ち着いて顔を見た俺は、改めて彼女のパーソナルデータを記憶の奥から掘り起こした。
名字の通り、クラスメイトの葛城颯斗の一つ下の妹だ。
運動神経抜群の彼女は、確か陸上部所属。今は中学生だけど、来年には同じ高校に入学してくる、後輩ポジションのサブヒロインだったりする。
「本当にすいません。普段はあんなに興奮しないんですが……」
「いいよ。犬に好かれてるのは何か嬉しいし。流石にちょっと、疲れたけど」
何気に動物好きな俺にとって、さっきのは半分ご褒美みたいなもの。
同時にあのバタバタがあったからこそ、他のヒロインの時より緊張せず会話に入れていた。
「怪我とか、ないですか?」
どこか男勝りな感じを覚えるハスキーな声と口調。
問いかけに促されるように、俺は上半身を起こし、自身の体を見てみた。
流石にジャケットやデニムのズボンが汚れたりはしてるけど、擦り傷なんかはない。背中も強く打った割に、打ち身特有の痛みも感じないな。
これも体育ステータスが高いが故だったんだろうか?
検証してみたい気もするけど、流石に怪我をするのは怖いし、後でランニングでもして確認でもしてみるか。
「ああ。特には」
「それなら、よかったです」
立ち上がって砂埃を払っていると、詩音がホッとした顔をする。
「でも、随分服が汚れちゃいましたね……」
「気にしなくてもいいよ。どうせ後は家に帰るだけだし」
「あの、すいません」
「ん? どうしたの?」
「あの、連絡先と名前、教えてもらえませんか!?」
「え? なんで急に?」
「その、クリーニング代とか、弁償しますんで」
詩音が申し訳無さそうに語ってるけど、ここまでは全て想定通り。
この先、ゲームではさっきの沙友理の時同様に選択肢が出るんだけど、遠慮し続ける方を選んでも「そんなの駄目です!」のループに入って、結局連絡先を教える事になる。
ループをリアルでやるのは流石に面倒。
でも、折角の自由会話。だったら少し展開を変えてみるか。
エリーナ達と接してた時より余裕がある今だからこそ、俺は敢えて違う切り口で理を試みる事にした。
「えっと、君って今幾つ?」
「え?」
こっちからの突然の質問に、彼女は少し戸惑いを見せる。
「あの、えっと、十四です」
「だったら、お金だって大事にしないと。どうせこの服は家で洗濯するだけだし。だから気にしなくっていいよ」
「で、ですけど……」
食い下がりたい。でも理由がなくなった。
だからこそなのか。詩音は普通に困った顔をする。
さて、どうなる?
彼女の顔を見ると心苦しくなるけれど、心を鬼にしてその先の展開がどうなるか、反応を待ってみた。
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