第十一話:いたのです

 俺達は公園の入り口に立って、園内に目をやる……って、何でエリーナは俺を壁代わりにして、こそこそと顔を出してるんだろうか。

 俺が見えてる時点で、隠れてる事になってないだろって。まああいいけど。


 思った以上に小さな公園には、街灯とベンチ、ブランコがひとつずつあるけど、それ以外は軽く木々が植えられている程度のこじんまりとした感じ。

 で、目的の猫は……。


「あ……いたのです」

「え? どこ?」

「あそこです」


 未だ前に出ないエリーナが指差した先を見ると──確かにいる。

 ベンチの下でしゃがんで、こっちを見ている三毛猫が。

 あっちはリアルの猫同様に反応はいいのか。既にこっちに気づいているな。

 まだ距離があるからわからないけど、このまま歩み寄ったら逃げるだろうか?


 一応自分の記憶を探る限り、エリーナにこういうスチルイベントはなかったし、通常の帰宅イベントでもこんな展開は未経験。

 そういう意味じゃ、これはもうフラグ云々以前のイベントって事になる。


「翔様。もう少し、近くで見たいです」


 彼女は素直にそんな願望をぽそっと口にしたけど、叶えてくれるかはあっちの機嫌次第、か……。


「構わないけど、あいつだって、俺達に構われたくないかもしれない。だから、もしあっちが逃げようとしたら無理せず戻ろう。それでもいいか?」

「は、はいです」


 俺の申し出に、真剣に頷くエリーナ。

 こういう素直さは助かるな。


「じゃ、行くぞ」

「はいです」


 俺はゆっくりと公園に入り、一歩ずつベンチに近づいていく。彼女は勿論、俺を盾にしたまま。


 大体全体の半分距離を詰めてみたけど、今の所逃げる気配はない。

 思った以上に変化がないから置物かと不安になったけど、直後に長い尻尾をゆらゆらっとさせたから、流石にそれは大丈夫か。


 ……お?

 俺は次の一歩を踏み出した所で、歩みを止めた。

 猫は視線を逸らさず、尻尾をぴーんと立て、すっと立ち上がる。

 気にはされてるけど、逃げるような警戒感までは出されていないみたいだな。

 ワン吉の時みたいに、俺に動物に好かれるだけの魅力があるといいんだけど。


 さて。吉と出るか、凶と出るか。

 俺達が固唾を呑んで見守っていると……。


「こ、こっちに来たのです!」


 小声ながら、少し興奮したエリーナの言葉通り、確かにあいつはゆっくりとこっちに歩いて来た。

 尻尾の動きで猫の気持ちがわかるとかあった気がするけど、俺もそこまで覚えてないんだよな。

 まあでも、悪い兆候ではないか。


「……にゃーご」


 そのまま俺達の側までやって来た三毛猫は、ゆっくりと俺やエリーナの足に体を擦り付け、まとわり付きだした。


 ……ほっ。

 良かった。こいつは人懐っこい奴だったか。


「か……かかかか、可愛いのです!」


 エリーナといえば、完全に目を爛々と輝かせて、惚けたように猫を見守ってる。

 こういう反応はお嬢様ってより子供って感じだな。


 暫くして、猫がちょっとだけ距離を置き、俺達の前に腰を下ろし、背筋だけ立てて行儀良くしてる。

 これなら流石に驚かせずに済みそうだな。


「ゆっくり腰を下ろしてみよう」

「は、はいです!」


 エリーナもついに俺の横に並び、二人同時に膝を抱える感じでゆっくり腰を下ろしてみたけど、猫は逃げたり怯える様子もない。


「ね、猫ちゃん。お、おいで」


 彼女が緊張しながら、だけど優しくそうお願いすると、言われた事を理解したのか。再び腰を上げた猫は、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 手が届く距離まで来た所で、エリーナはおずおずと手を伸ばすと、そのままゆっくりと頭を撫で始めた。


「はわわわ。も、もふもふなのです」


 慎重さは忘れない。

 けど、心底嬉しいんだろう。この世界で初めてエリーナの微笑みを見て、胸の辺りでズギュン! と音がした気がした。


 ……やっべー! 可愛すぎだろって!

 思わず顔を逸らし、今日イチ真っ赤になった顔を思わず手で覆う。

 今までの子供っぽさとはまた違う、お嬢様らしさを感じる微笑み。

 これがいわゆる、ギャップ萌えってやつか……。


 俺ですらこの衝撃なんだ。

 親父だったら絶対に尊死とうとししてたな……。


 何とか呼吸を整え心を落ち着けると、ゆっくりとエリーナと猫を見る。

 頭だけじゃなく体も撫でられ、目を細め気持ち良さそうな猫。

 エリーナはそれを微笑みながら、満足そうに撫でている。


 陽が傾き、夕焼け色に染まり始めたそんな一人と一匹は、やっぱりリアルにしか感じなくて。

 俺は暫くの間、ここがゲームの世界だなんて忘れて、その光景に目を奪われていた。


   ◆  ◇  ◆


 エリーナと猫は互いに満足するまでじゃれあい、触れ合っていたんだけど。

 流石にそろそろ家に戻らないとって思い出した頃、猫はまるで合わせるかのように「みゃーっ」と感謝したような声を上げると、そのまま去って行った。


「やっぱり、猫ちゃんは可愛かったのです!」

「そっか。懐いてくれて良かったな」

「はい! これも翔様が誘ってくれたお陰なのです! ありがとなのです!」


 駅までの道を歩きながら、ほくほくと満足そうな笑顔を見せている彼女。

 満足してくれてよかったと思うと同時に、さっきまでの気まずい沈黙はなくなってて、本当にあの猫には感謝しかないな。


「ちなみに、翔様は動物はお好きなのですか?」

「俺が?」

「はい」


 そうエリーナに問いかけられ、俺は少し答えに窮する。

 好きか嫌いかでいえば好きだけど、熱狂的ってほどでもないからだ。

 さっきだって、普段なら猫がいたなぁとは思うけど、警戒させたら可哀想だしって、そのまま素通りしてただろうし。


 ただ、何となくこの会話はゲームの通常時の帰宅イベントで選択肢があった流れだったような気もするし、別に嫌いってわけじゃないんだ。無難に答えておくか。


「まあ、それなりにかな。やっぱり見てると癒やされるしね」

「そ、そうですか」


 俺の答えに、彼女が少し考え込む。

 ん? 何か今のでフラグでも立ったか?

 俺の記憶だと、ゲーム内じゃ今みたいな選択肢は、好感度が多少変動するくらいで、そのまま楽しく下校した、みたいな簡易メッセージで終わる流れしか知らないんだけど。


「あのあの!」


 突然歩みを止め、こっちを見上げてくるエリーナ。

 ふわっと流れた銀髪が綺麗。だけど、表情には何処か意を決した、みたいな強い意思を感じる。


「どうかしたの?」

「は、はい! その、翔様はゴールデンウィーク、お暇な日はありませんですか?」


 そういや、もう少ししたら連休か。

 とはいえ、勿論現時点でまったく予定なんて入れてもいなければ、立ってもいない。

 まあ、キュンメモだと結局、自分が率先してデートでも入れない限り、選択肢を選んで終わりだし。普段の俺だったら、家で家事でもしつつ、ゆっくりして終わりなんて日も多いからさ。


 ただ、この会話の流れだと、流石にデートのお誘いな気はする。

 実の所、ヒロインからデートに誘ってくる時は、詩音の出会いイベントを除くと、基本的には夜、携帯電話にお誘い電話が掛かってくる。

 本来こういう帰宅時にお誘いっていうのはないんだけど、ここはもうフラグがおかしいっていうより、リアルになったからこそ、こういう柔軟さが出ていると考えないとか。


 用事があるからと嘘をいて、断る事はできる。

 ただ、その嘘がばれて後々面倒になる方が大変な気もするな。


 ……まあいいか。

 この世界がリアルだからこそ、一人でできる事も多いとはいえ、正直今一人でやりたいことなんてそこまで多くないし。

 何か連休何もなくって、変にこの世界のことばっかり考えてるのも、それはそれで疲れる気がするしな。


「……いや。今の所、特段予定はないかな」

「ほんとなのですか?」

「うん」


 俺がそう返すと、さっきまでの勢いから一転、また恥ずかしそうにもじもじっとするエリーナ。

 ほんと、ころころと反応が変わるのは見てて飽きないし、目の保養にいいけれど、心臓はずっとバクバクしてるから、それはそれでこっちも大変だ。


「じゃ、じゃあ、その……五月三日に、一緒に動物園に行きませんか?」

「動物園か。いいよ。エリーナが行きたいっていうなら」

「ほ、本当なのですか!?」


 あれ?

 まるで目を皿のようにした彼女にちょっと驚いたけど、あまりに素直に俺がOKしたからだろうか?


「あ、ありがとうございます! 楽しみなのです!」


 予想以上の喜ばれ方。

 流石にそれは気恥ずかしくって、俺はニコニコしているエリーナから目を逸らし、目を泳がせながら、頬を掻いてしまった。

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