第十二話:ありがとなのです!
「今日は本当に、ありがとなのです!」
「こっちこそ」
あの後、駅前に着いた俺達は、駅前のロータリーに留まっていた、あからかさまな高級車の前で向かい合っていた。
車の後部座席のドアの前には、執事の陣内さんが仰々しく立っている。
「でも、本当にいいのです? 車でお送りしなくって」
「ああ。大丈夫だよ。家も近いし、少し買い物とかもして帰りたいから」
「そうですか……」
俺の断りにしゅんとしたエリーナ。
だけど、ここまでも緊張とかドキドキがやばかったんだ。
今日はそろそろ一人になりたいし、ここは心を鬼にしないと……。
「それじゃ、また学校でね」
「はいです! あ、あと、約束の事は──」
「大丈夫だよ。後で待ち合わせの時間とか決めようね」
「は、はいです! それじゃ、失礼するのです」
ペコっと可愛らしくお辞儀した彼女は、そのまま陣内さんが開けたドアから車に乗り込む。
ドアを閉めこっちに一礼する陣内さんに釣られ、俺も軽く頭を下げると、そのまま彼は運転席に戻り、車は去っていった。
ロータリーを抜けて俺の視界から消えるまで、窓から一生懸命こっちを見ていたエリーナの、名残惜しそうな顔はちょっと胸にきたけど。同時に視界から車が見えなくなった直後の安堵感も凄かった。
いや、綾乃と帰宅する時って、言ってもそこまで長い時間一緒じゃないからまだいいんだけど。この間の渚にしてもそうだけど、リアルであるが故に、帰宅イベントひとつがスチルイベントばりに密度が濃過ぎてさ。
……ほんと、こうやって考えると、ゲーム内の主人公って凄い大変なんだな。
よくこんな環境で平静保って過ごせてるよ。
さて。買い出しもいいけど、ちょっと気疲れも凄いし、今日は駅前のファーストフードで夕食を済ませておくか。
何とも変な感心をしながらも、やっと肩の荷が下りた俺は、少し気楽な気持ちで近くの店に入って行った。
◆ ◇ ◆
何となく疲れのせいか。
ぼんやりと飯を食べていたら、気づいたら日も完全に落ちていて、店を出ると既に空には星が瞬く時間になっていた。
えっと、今日寝ると次は何時になるんだっけ?
星空とは対照的な、明るい駅前の大通りを歩きながら、ぼんやりとそんな事を考える。
確か、ゴールデンウィークは来週末からだったよな。
となると、何もイベントが発生しなければ、次は今週末の土曜って事になる、でいいのか?
正直ゲームの日付スキップのせいで、未だに曜日感覚が狂う。そういう意味でも、この世界で暮らすってのは結構大変なんだよな。
実際このせいで、人生で初めて手帳のカレンダーに、過ぎた日の所に斜線を入れたくらいだ。
多分好感度が下がるとはいえ、約束をすっぽかすのは社会人として以前に、人としてあっちゃならないって思うし、約束した事に対するスケジュール管理だけはしっかりしておかないとな……。
そういやよくよく考えると、この世界のヒロインイベントも、ゲーム的な要素はあるんだけど、きっちりゲームってわけじゃないんだよな。
それでなくたって、ヒロイン達とアドリブで交流しなきゃいけないんだし。
大体、ゲームじゃ一枚絵が出る特別なはずのスチルイベントだって、こうやって体感すると日常の中のワンシーンでしかないだろ?
そう考えると、やっぱりリアルな側面が強い。
しかし……このままスチルイベントを経験したら、本気で俺は理性が持つんだろうか?
通常イベント扱いのやり取りですらこれだけ大変なのに。
こんな心配をする理由はただひとつ。
胸キュンメモリアルってゲームの最終目標でやっと告白されるのに、そこまでの過程のイベントで、まるで恋人みたいな距離感を出されるイベントが多いんだよ。
流石にキスとかエッチなんてのはないものの、さらっと手を繋ぐみたいな、ボディタッチ気味な行動も多い。
まあ、ゲームとしてキュンメモを遊んでるだけだと、こういった部分をそこまで強く感じる機会ってスチルイベントくらいだし、それもイベントこそが特別って思ってるからあまり意識してなかったんだけど。
それをリアルで体感するとやばいってのは、渚で既に実証済みだ。
なまじヒロイン達の魅力を存分に感じているからこそ、本気で俺の理性が持つのかはずっと心配……って。こう考えると、ゲームの世界ってほんと、リアルとかけ離れた夢の世界で遊んでたんだなって気づかされる。
まあ、考え過ぎても仕方ないか。なるようにしかならないし。
相変わらず先の見えない状況に、自然とため息が漏れるけど、それで何かが変わるわけじゃない。
深く考えるのはよそう。一旦は流れに身を任せて──。
ぼんやり歩いていた俺は、ある違和感に気づいてふと足を止めた。
……あれ?
さっきまで、普通にそこそこ駅を往来する人達がいた気がするんだけど……。
今気づいたら俺一人だけ。
後ろを振り返っても、何故か人がいない。
勿論、店なんかには人がいるのが見える。だけど、通りを歩く人影がないし、店の中から誰かが出てくるとか、外を気にする様子はまったくない。
駅からそこそこ離れたとはいえ、仕事や塾を終えた学生達とかが結構いたし、何よりまだ駅前の大通り。流石に人の流れがここまで綺麗に切れるとは思えないんだけど……。
何となく走る胸騒ぎ。
狐につままれたような気持ちで唖然としたけれど、今の所、何かが起こるような気配もない。
「……たまたまか?」
独りごちると、俺はそのまま大通りを再び歩き出す。
まあ、綾乃との下校なんかでも、この世界がゲームっぽいって感じる所があったじゃないか。
こういう事もきっと起こるに違いないよな。
そう自分を納得させようとしたけど、同時に心でこうも思ってた。
じゃあ、何でこんな事が起こってるんだ?
基本的に、キュンメモで夜イベントが発生するのは、デート中のスチルイベントだけだ。
普段の通学や帰宅時の通常イベントは全部昼。休みに個人行動してる時だって、昼しか行動していない。
だとすれば、こんな露骨なゲームっぽい人払いみたいな展開なんて起きる理由は──いや、ちょっと待て。
まさかあれか!?
急に浮かんだ心当たり。
だけどまだ気持ちが追いついていない。
い、いや待て。
本来あれはエリーナの好感度が最大の時、一年目のハロウィン時期に彼女とデートした時だけ発生する、かなりピンポイントでレアな出会いイベント。
だから今の時点じゃ出ないって踏んでたんだぞ!?
俺は思わず大通りを駆け出すと、東西に走る道まで出て、迷わず東の空に目をやる。
──今日は、満月。
記憶が確かなら、彼女は満月の日じゃないと出会えなかったはず。
って事は──。
そこまで考えた、その時。
一瞬強く背後から吹いた生温い風を感じ、背筋がゾクっとして、思考が止まる。
……まさか。いるのか?
次に頭に思い浮かんだそんな疑問。それを確かめる為に、ゆっくり、恐る恐る振り返ってみると。
俺から少し離れた視線の先。
街灯の照らしていない暗がりに、誰かがいた。
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