第五話:今日は綾乃と水族館

 慌ただしかったゴールデンウィーク初日を終え、翌日を迎えたわけだけど。

 今日は綾乃と水族館っていう現実は、目覚めた俺に新たな緊張を与えてきた。


 渚とのデートだって緊張したけど、何気にあいつは積極性があるだけあって、会話をリードするのが上手かった。

 それで助けられた部分も多かったんだよ。


 そういう意味じゃ、綾乃とのこれまでの会話って、普通に喋れている部分もあるけど、照れてる時間も圧倒的に多い。


 まあ、相手が相手だし、緊張するなってのが無理。とりあえずはこの間みたいに、デート中に変な事を口走ったりしないよう気をつけないとな……。

 そんな事を考えながら、一通りの準備を終えた、その時。


  ピンポーン


 ……え!?

 突然家のチャイムが鳴り、俺はその場でびくっとしてしまった。

 っていうか、キュンメモでこういうシチュエーションはないし、別に何かを通販で買うような事もしていない。

 勿論満月でもないから、リーゼロッテが来るわけもないだろ。

 それなのにチャイムが鳴る? 


  ピンポーン


 俺の疑問を打ち消すように、またも鳴らされたチャイム。

 ……まあ、とりあえず出てみるか。

 興味と不安、半々の気持ちながら、俺はそのまま玄関に足を運ぶと、ゆっくり、少しだけドアを開けた。


「はい」


 と言おうとした瞬間、俺はその言葉を発せないまま、目を丸くしてしまった。


 ピンクを基調とした、春色らしさのある落ち着いたシャツとスカート。

 そこには、清楚さ際立つ、メインヒロインオーラ全開の綾乃の姿があった。


 へ? 何でここに!?

 あいつが俺の家を知ってるって──あ、知ってはいるのか。


 動揺から一転。俺ははたと気づいた事実のお陰で、逆に落ち着きを取り戻す。

 元々綾乃は主人公の幼馴染。家族絡みで付き合いがあったのであれば、主人公の引越し先くらい、知っていてもおかしくない。

 実際、オープニングで俺の家の方角を知ってたもんな。


 前から話していた通り、家でのイベントは本来ないし、綾乃がこうやって家に来ることもない。

 でも、フラグがおかしいのもそうだけど、ゲームがリアルになっている関係でこんな機会も増えたからこそ、予想していなかった突発的状況も起こり得るんだって、少しは頭で理解し始めてる。


 まあ、連日イベントじみた展開を経験しているんだ。

 そろそろ、これくらいは日常茶飯事って思わないと。


 うつむき立っていた綾乃は、上目遣いにこっちをちらっと見た後。


「お、おはよう」


 と、短く、恥ずかしそうに口にして、視線を逸らす。


 ……うっわー。

 や、やっぱり可愛い過ぎる……って、見惚れてる場合じゃないぞ!


「お、おはよう。って、よく俺の部屋を覚えてたな」


 答え合わせも兼ねてそんな質問をしてみると、彼女はまたちらっと視線をこっちに向けた。


「あ、その。お母さんから教えてもらったの」

「そうだったのか。だけど、今日の待ち合わせは駅前だったろ?」

「う、うん。そうなんだけど……その……」


 少しもじもじとした綾乃が、ぽそりと言う。


「久々に一緒にお出かけできるし、早く会いたくなっちゃって……」


 ……なんていうか、憧れのキャラにこんな事言われて、喜ばない奴いないだろって。

 それくらい、内心めっちゃ嬉しくなって、顔がニヤけそうになる。

 でも、流石にそれはキモい。絶対に。

 だから、会話でごまかしながら、俺は必死になって堪えた。


「そ、そっか。だ、だけど、それだったら連絡くらいしてくれよ。俺がもし出かけちゃってたら、すれ違いになってたかもしれないんだぞ」

「あ……そ、そうだよね。ごめんね」


 綾乃が慌ててそう謝ってきたけど、この反応……本気で考えてなかったって感じがする。

 とはいえ、彼女がしゅんっとするのを見るのは心が痛む。


「今度は気をつけてくれよ。その……早く会いたいっていうのは、嬉しかったから」

「……えっ?」


 ……うわー。

 俺、今絶対似合わない事を言った。


 慣れない台詞を口にしたせいで、一気にこみ上げた羞恥心に、俺は思わず顔を背け、頬を掻く。

 とはいえ、やっぱ誰とのデートが一番楽しみだったかといえば、やっぱり綾乃だったのは間違いない。当時それだけハマった推しキャラなんだから。


 綾乃は……。ちらっと横目に見ると、彼女は凄く嬉しそうな顔をしてる。


「……うん。今度は気をつけるね」


 ……あー。やっぱり俺、綾乃の笑顔に弱い。

 これを見れただけでほっとしてるし、何より嬉しいし。


 そういう意味じゃ、この世界にこれて本当に良かったかもしれないな。

 なんて事を思いながら、俺も少し顔を赤くしつつ、あいつに笑い返したんだ。


   ◆  ◇  ◆


 あの後、俺と綾乃はそのまま水族館を目指し、駅まで歩き始めた。

 流石にデートとはいえ、今の俺達はただの幼馴染。

 流石に手を繋いだりはせず、通学時のような適度な距離を空け、並んで歩いて行く。


 通学の時もそうだけど、元いた世界の話題ができない俺にとって、こういう時に話せる話題は皆無。

 そのせいで正直ちょっと困っていたんだけど、そこは綾乃が頑張ってくれて、沈黙は何とか回避できていた。

 

「なんだか懐かしいね」

「ん? 何がだ?」

「ほら。昔はよくこうやって、一緒に出掛けてたでしょ?」


 そう問いかけられたけど、残念ながら俺の記憶にそういった綾乃との過去はない。

 とはいえ、中学一年くらいまでは交流があったという設定があるからこそ、こういう会話になるのも必然か。

 下手に記憶にない事を語って、ボロを出すのはちょっとな……。


「そうだったか?」

「そうだよ。ほら。あの公園とか。私がブランコ乗りたいってせがんで、翔君に連れて来てもらったの。覚えてない?」


 綾乃が指差したのは、近所にある公園。

 確かにそこには、ブランコを始めとした遊具が色々と並んでいる。 

 覚えてるか以前に知らないし、ゲーム内でもこんな会話はなかったと思う。


 ただ、それ否定するのは、彼女が持っている過去を否定する事になるもんな。それは流石に悪いか。


「そういや、そんな事もあったな」

「でしょ? あの後、翔君が知らないおばさんが連れて来た犬に懐かれちゃって、大変だったもん」

「あー。あれはヤバかったな……」


 何故か記憶と違うワン吉との出来事を思い出し、自然に苦笑してしまう。

 子供の時の事があそこまで酷かったかは知りようがないけど、詩音との導入イベントから考えると、きっと幼い頃から犬に懐かれる体質って設定でもあるのかもしれない。


「あの時、翔君犬にすっごく舐められてて、くすぐったそうだったよね」

「そりゃそうだろ。あの感触は今思い出しただけでも、ぞくぞくって背筋がくすぐったくなるし」

「そんなに?」

「まあな。綾乃も経験してみたらわかると思うぞ。今度、動物園の触れ合いコーナーで試してみるか?」

「え?」


 彼女が俺の言葉に、突然口に手を当て目を丸くする。流石に想像してそれは嫌だって思ったに違いない──。


「それってその……次のデートのお誘い、って事で、いいのかな?」


 ──あ。

 急にまた恥ずかしそうにする綾乃を見て、俺はまた自分がやらかした事に気づいた。

 っていうか、やっぱりこういう会話は慣れてなさ過ぎだ。不用意すぎだろって、俺……。


「あ、えっと。それは、その……」


 どうする? どうする?

 一気にパニックになりながら俺が必死に導き出した答え。

 それは──。


「綾乃が行きたいっていうなら、今度誘うよ」


 そんな、自分のミスの受け入れだった。

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